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映画感想『リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』

『リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』(以下『リョーマ!』)は、かつて一世を風靡してテニスブームを巻き起こした漫画『テニスの王子様』の劇場作品だ。

感想を一言でいえば……

ゴールデンボンバーの歌広場淳さん、日本を代表するアニメーション作家である新海誠さんといった著名人も絶賛する本作品は、ミュージカル映画……あるいは、エンターテインメント作品として完成されたコンテンツになっている。正統派の後日談でありながら『テニスの王子様』を知らない人であっても楽しめる、まさに新生版だ。

とにかく『リョーマ!』を観た多くの者は、多幸感に包まれて劇場を後にすることになるだろう。今回はその神ってる部分について、感想を何とか言語化していきたいと思う。

作品紹介からはじまるミュージカルは神

私は『ラ・ラ・ランド』が大好きだ。

冒頭の「Another Day of Sun」の壮大さに、一気に世界観に引き込まれる。
この「Another Day of Sun」という楽曲、華やかな開幕を飾っているだけにも見えるのだが、最後まで観ると「ストーリーの概要を提示していたこと」が分かる。2回目に作品を観た時、それに気づいて息ができないほどの感動に包まれた(まだM1なのに)。

『リョーマ!』のM1である「Dear Prince〜テニスの王子様達へ〜」は『テニスの王子様』最終回で歌詞が(漫画内に)挿入されている象徴的な楽曲であり、アニメ最終話のタイトルでも使用されている。それを初っ端に持ってくるのは、今までのイメージをぶっ壊す表現だ。
テニプリファンは原作のストーリーが走馬灯のように頭を過ぎり、一気にテニプリの世界に没入していく。原作を知らない人には「リョーマくんってハチャメチャ強いし、最高にクール!なんかおかしなテニスやってるし、いっぱいイケメンもいる!」ということが伝わるようになっている。

本作のテーマをあえて掲げるなら「親を超えていく少年の物語」だ。
『テニスの王子様』を知らない人であっても、その少年である越前リョーマが「テニスがめっちゃ強くて超カッコいい!」ということだけ分かっていればOKである。越前リョーマの父が越前南次郎であることは説明されるし、作品冒頭で年上の中学生に圧勝していた越前リョーマが汗だくになっても勝てない強さを父が持つことは観れば分かる。

なので、越前リョーマのカッコよさがよく伝わるM1は大正解だ。

ファンタジックな楽曲演出が神

私は『サウンド・オブ・ミュージック』が大好きだ。

幼少期にもらったビデオを擦り切れるほど観た。5歳児なのにもらったのが字幕版だったので、歌は英語で意味が分からない。なんなら字幕が追い切れないので、ストーリーもよく分からない。それでも、ある女性が家族の一員となって大切なものを気づかせてくれる物語なのは分かっていた。それは曲中のテンション、歌っている表情や描写によるものだ。

『リョーマ!』を観て感じたのは、この楽曲内の演出が神がかっているということだ。

歌い出しから演出は、とにかくファンタジック。ディズニー作品を見慣れている人であれば親近感を抱くであろう、ミュージカル映画らしいワクワクする演出になっている。現実を描くことに執着していないが故の分かりやすい描写がされ、登場人物の個性や関係性がよく伝わってくる。表情の機微も素晴らしく、監督の神志那弘志さんの力が大きいだろう。

特に素晴らしいと感じたのは、テーマソングでもある「世界を敵に回しても」だ。

『リョーマ!』には2つのバージョンがあり、ある場面のストーリーが異なっている。その場面では越前リョーマに所縁のある人物がそれぞれの言葉で彼の背中を押す。そして、その人物がクライマックスのナンバーである「世界を敵に回しても」で姿を現すのだ。この時の感動は筆舌に尽くしがたい。
現実では人間が急に姿を現すことはあり得ない。しかし、そんなことはどうだっていい。越前リョーマの「先輩達に、ライバル達に背中を押されている」という感覚が、ファンタジックに表現されていることは誰でも理解できるだろう。

3DCG化したキャラクターコンテンツが求めてしまいがちな現実感に囚われず、この演出を採用しているところが非常に秀逸だ。ミュージカル『テニスの王子様』シリーズがコンテンツの軸となってきたことも、このミュージカルらしいグランドフィナーレに大きな影響を与えたのかも知れない。

楽曲構成も秀逸で、壮大かつポップなナンバーから始まり、ヒップホップ、ソロとデュエットのバラードを経て、バンドサウンド、ポップなテーマソングに繋がっていく。物語の緩急に合わせてふさわしい楽曲が配置されており、楽曲のテンションから主人公である越前リョーマの心情に寄り添って作品を観ていくことができる。
まさに、自分自身が”リョーマ”になったかのような大冒険を体験できる映画だ。

ストーリーがハチャメチャなのが神

先ほどの項目でも書いたが、ストーリーはハチャメチャだ。

中学一年生が一人で海外に武者修行に出ているし、海外旅行なのにテニスラケットしか持っていないし、テニスギャングという謎の存在がいて、テニスによってタイムスリップしてしまう。

なぜなのかは神にしかわからないし、もしかするとしか神でさえわからないのかも知れない。

私は幼少期から『テニスの王子様』シリーズを見続けてきたが、キャッチコピー通りに「こんなテニプリ、見たことない」。歌広場淳さんの言葉を借りれば「いや、そうはならんやろ!」(※注釈)という展開の連続で、ずっと驚かされ続けることになる。

そう、ずっと驚かされ続けるのだ。

次に何が起こるか全くわからない、サプライズの連続
それはエンターテインメントにおいて最も重要である要素だ。”ハッピーメディアクリエイター時々漫画家”を自称する許斐剛先生は、原作である『テニスの王子様』でも多くのサプライズを取り入れてきた。これまでのメインフィールドであった漫画の世界とは違う、現実的な制約のある3DCGの世界であっても、予想もつかない展開と劇的な演出で絶え間ないサプライズを実現している。

しかし、ハチャメチャな展開をうまくまとめ、台詞を過不足なく配置し、物語をつくりあげた脚本家の秦 建日子さんの力もすごい。ちなみに秦 建日子さんは大ヒットドラマ『アンフェア』の原作者である。なんと豪華な布陣だろうか。

やはり許斐剛先生は神だった

先ほど褒めちぎった劇中歌、実はすべてが許斐剛先生による作詞・作曲だ。

テニプリファンは「許斐先生ってやっぱすごいな~」と感動するのみだが、初めてテニプリに触れた人は「はあ!?」となるだろう。そのくらい普通ではない。ミュージカル映画として見応えのある本作の総指揮を名乗るにふさわしい業績だ。

許斐剛先生は『新テニスの王子様』を月刊誌にて毎号2話掲載で連載中だ。なぜ月刊誌で2話掲載なのか、もはや意味が分からない。それだけで漫画家としての仕事量が相当なものであることが分かるのだが、一体いつ作詞・作曲をしていたのだろうか。まさに命を削った創作活動であることが感じられる。

なにより許斐剛先生の尊敬すべきところは、そうまでして創り上げた作品を「笑われましょう」と言っているところだ。普通、懸命に命を削ってつくったものなら「笑われたくない」と思ってしまうものだ。ついつい笑顔より感動の涙を欲しがってしまう。

そこをエンターテイナーに徹して「笑われましょう」と言える表現者としての志の高さには、もう畏敬の気持ちしか抱けない。

許斐剛先生がつくりあげたテニプリというコンテンツに出会えたこと、許斐剛先生と同じ時代に生まれたことを光栄に思う。そんな生きとし生けるものへの感謝が沸き上がる、最高のエンターテインメント作品を観てしまった。

やっぱり、テニプリっていいな。

※注釈:歌広場 淳さんの配信内での発言です。


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