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書けるとき、書けないとき

書けるときは書ける。書けないときは書けない。

書けないときの要因は、眠いか、まだ筋道が見えていないか。

闇雲に書いたってだめなんだ。「とりあえず書き始める」と、なんだかんだと文章になっていくけど、それは録音した音声を言葉に書き起こしているだけかもしれない。

途中でよくわかんなくなっても、結末がいい感じになれば、なんか書けたような気がする。気がするのだ。

いや、それでもいいかもしれないな。

一端の記者が、文豪のようにウーンウーンと唸ったところで、それは作品ではなく仕事なのだから。納期をきちんと守り、読みやすい記事ができていれば、それで合格に違いない。

でも、ぼくの性分ではだめだ。ウーンウーンと唸って、夜通し考え続けて、ようやく記事が書ける。100本の記事を書いたとすれば、90本はそんな感じ。

でも、書けるときの、あの感覚は誰にも教えまい。

筋道が見え、話し手の魂に呼応して、書き手であるぼくの魂も震える。「知る」でも「分かる」でもない、「理解する」の状態かなと思っている。

溢れ出すような感覚ではあるのだけど、だからと言って、文章がすらすらと書けるわけではない。

ひとつひとつ吟味し、己の理解と対話しながら進めていく。何度も何度も読み返す。ちょっと書き換える。その繰り返し。

闇の中を彷徨うような不安からは抜け出し、明確に出口へと向かう光は見えている。あそこに向かって行けばいいのだと、揺るぎない自信に満ちながら。

最高なんだけど、早く終わってくれと願いながら。

こんなつらくて地獄のようなエクスタシー、誰にも教えまい。

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