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木こりになりました。

無事に、なりました。見習いもいいところですが、一応。
毎週末、福岡県は八女市に通い、山の中に籠って研修を重ねました。
新しいことに挑戦するって楽しい。
できることが増えるって、何歳になっても楽しい。

前回の記事を書いたのが、研修初日の前夜。
初めて利用する宿に寂しく泊まっていました。今は旅行する人も全然いないので、広いゲストハウスに宿泊者は僕1人だけ。誕生日は知らない土地の、知らない宿で、ちょっと不安な夜を送っていたのです。
こんな変なことを衝動的にやってしまう自分がちょっと面白いな〜とも思っています。

そんなこんなで1ヶ月以上も経ってしもうて。
お返事の期限14日は倍以上もオーバーしてしもうて。すまんと思ってる。

・ ・ ・ ・ ・

ちょーのくんが最後に書いていた詩。すっごくいいね。
ふわふわとした、やさしい温もりが感じられました。
それと同時に、グルグルと繰り返す日常が、膨大に蓄積されていくイメージも湧き上がってきた。

「話す」は「離す」。
空に飛んで行きたくてじっとしていられない風船の、ヒモを握る手を離してみれば、すこしだけ気持ちが軽くなる。

・ ・ ・ ・ ・

というわけで、僕が話したいこと・離したいこと。
胸に抱えたままでは苦しいので、吐き出したいことを綴ります。

僕は多分、結構いろんな顔がある方だと思う。
他人からも「色々やってるよね」と言われることが多い。さっきも言った通り、我ながら変なやつだなと思っている。見た目はスンッてしてて平静を装っているくせに。

例えば、「林業がやりたくて…」という話をすれば、
「え?なんで?笑」「何になりたいの?笑」みたいな反応が返ってくる、気がする。

「何になりたいの?」て聞かれるのがイヤなので、もはや言わないこともよくある。
本当はAもBもCもあるけど、Bだけとりあえず教えておく、みたいな感じ。
説明するのが面倒くさい。それが割と本音に近い。

だけど、根底には「知ってほしい」自分がいる。
それを否定することができないんだ。だから、こうして「木こりになりました」だなんて発信をしているんだよね。

自分が打ち込んでいること、ハマっていること、最近興味があること。
それを理解してくれる他人に出会った時、実はすごく嬉しい。
やっぱり、その話が通じる相手を求めているんだ。好きなことを素直に語り合える友人が欲しくない人間など、いるのだろうか。あんな幸福な時間を共有したいと思わない人間がいるのだろうか。

だから僕は、いろんなコミュニティに顔を出すのだろう。
自分の中に3つの世界があるのなら、3つのコミュニティに属したくなる。

「本当の僕はこうじゃ無いんだ…!」と葛藤を抱えながら1つのコミュニティで生き続けるよりも、「ここにいる人たちが理解してくれるなら、とりあえずそれで楽しく生きていける。」という居場所が1つでも別にあればいい。

大なり小なり、居心地の悪さは感じてしまう、わがままな生き物だから。
そんな生きづらさは分散してしまえばいいよ。

それよりも、自分が好きだと思えるものを心置きなく語り合える居場所があれば、豊かな気持ちが自分のことを守ってくれる。そんな幸福な居場所が、小さくても複数あれば、その数だけ豊かな人生を送れるのではないだろうか。

知って欲しくないようでいて、実はわかって欲しい。
こんな気持ちを僕は抱えています。

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