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コミュニケーションは“領域展開”。(祝・てんびん座1周年)

ちょーのくんと始めた、往復書簡のマガジンユニット「てんびん座」。

前回の記事で、ちょーのくんから「ねえ、ちゃんと覚えてる?」と1年記念日について言及されて、僕はハッとした。いけない、いけない。

「ああ、ちゃんと覚えているともさ。で、どうする?」
努めて冷静に応じるモル。あぶない、あぶない。

往復書簡「てんびん座」を始めて1年が経ちました。

ということで、マガジンのバナー画像を撮り直しました。

前のはこちら。

近いのよ

近いのよね。
こうやって見ると普通かもしれないけど、これバナーにした時、ほぼ顔面しか入りきらなくて。なんなら、あごと頭頂部が少しはみ出てました。

「「目が覚めたかい?」」

これはフィルムカメラで撮ったんですけど、タイマー機能が付いてなくて。
だから、ただのセルフィーです。自撮りです。
貴重なちょーの氏当時のパーマヘアーも、ちょろりとしか入っていない。こりゃいかん。

▶︎一番最初の記事でも、反省しています。

その反省を大いに活かしまして、ちゃんとセルフタイマー機能がついているデジタルカメラで、遠目に撮りました。

新しい画像がこちら。

この表情っ…!!!

あ〜〜、いい表情!!絶妙な顔してます!!

アップにすると……

あ〜〜〜っ!

なんとも言えない。ちょーの氏の首の角度も、後ろの街灯が眩しくて僕の顔がちょっと見えないのも。なんとも言えませんねぇ。

一応、イメージは実写版「セトウツミ」でした。
見たことないけど。

あっち見たり
こっち見たり
もっかいあっち見たり

どうですか、出てますか。セトウツミ感。

いろいろ撮ってみましたが、良いような、ぎこちないような……。
というところで、最後にベスト・オブ・アンニュイが撮れたので、採用っ!

「てんびん座」2週目のはじまり、はじまり。

こんなに自分らの顔を出しまくる記事でいいのでしょうか。
ここまでで、ちょーの氏は8回、僕は9回、顔を晒しています。
みずから1回多めに出しています。

改めて見ると、僕ってこんな顔をしているんですね。鏡で見る顔と、写真で見る顔はけっこう違う気がする。実際に他人から見られている顔は、どっちが近いのかな。

笑顔でいる時と、無表情でいる時とでは、当たり前だけど、なんか雰囲気が違うな。優しいなって思われたり、怖いなって思われたりするんだろうな。

声や、使う言葉、話すスピード。顔、表情、目の動き。方言のあり・なし。
それら全てをひっくるめて、相手に与える僕の印象が決まる。
コミュニケーションのあり方が変わる。

・ ・ ・ ・ ・

この間、耳が不自由な方とコミュニケーションを取る機会がありました。
全く聞こえない訳ではないけど、自分の耳で全てを拾い上げるのが難しくて。マスクを取って、唇の動きが見えるようにして。音声をテキスト化してくれる「UDトーク」というアプリを開きながら、ゆっくりゆっくりと、対話をしました。

僕がライターというお仕事をしているということもあって、興味を持ってくださいました。

「他人の話をずっと聞いていたら疲れませんか?」

「インタビューをしたら、スラスラと文章が書けるんですか?」

「自分のことを話すのは得意ですか?」

最後の質問の答えは、「NO」でした。嫌いではないけど、慣れていない。
普段は、僕がインタビュアーとして聴き役に徹することが多いので、こうやって根掘り葉掘り聴いてもらえたのは、なんだか新鮮で嬉しい気持ちになりました。

自分のことを話すのは得意ではないので、言葉に詰まりながら、選びながら。

後日、その女性からメッセージが届きました。

「チョイスされる言葉が優しくて、とっても心地よかったです」

じわぁっと、存在を肯定された気がして、もっかい嬉しくなりました。
実はちょうど最近、「ライターが言葉を失ったらどうなるんだろう?」だなんて考えていて。

失語症になったら? 文字が書けなくなったら? 耳が聞こえなくなったら?

少し怖いような、でもちょっと知りたいような。

そんな時に、耳が聞こえない方と出会って。
仮に、2人のコミュニケーションに(社会的な)障壁があったとしても、人間同士として通じ合うことができるんだって分かった。中身を肯定された気がした。

コミュニケーションは、領域展開。

さらに、その場には手話を使える方がいらっしゃって。
周囲にも、耳の不自由な方にも伝わりやすいように、肉声と手話を織り交ぜながらお話しされていました。(UDトークは、大勢の会話の場だと、いろんな声を拾ってしまう。)

手話も1つの言語で、コミュニケーションの1つ。
手話を使う人たちの間でしか分からない意思疎通が生まれている。

そこには、健常者とか障がい者とか、優劣とか、存在していなくて。
なんなら、置いてけぼりになるのは僕ら(健常者)の方で。
そんな可能性は、いつも潜んでいる。

ああ、そうか。
この世界にあふれている、あらゆるコミュニケーション(言語、メディア、ファッション、カルチャーやアートとかも?)の選択は、呪術廻戦でいう「領域展開」だな、と。

僕らがnoteで往復書簡のマガジンをやりとりしている時、ここにたどり着いた人、僕らのパブリック交換日記に興味を示す人、文字が読める人としか、関われない。

これが、ラジオ(音声メディア)に変わったら、たぶん、別の人と関わることになる。
そこで話す内容によっても、関わる人と、関わらない人とのラインが引かれる。
そんなふうに思うのです。

だからさ、みんな好き勝手に、自分の領域展開していこう。
そこで通じ合える人と満たし合い、高め合っていこう。

その展開できるフィールドが1つでもあれば最高。
だけど、増えれば増えるだけ、同じ世界を共有できる・通じ合える人も増えるじゃんね。

2週目は、文字ではなく、音声にします。

ということで、「てんびん座」の2週目は、往復書簡の頻度はもう少し緩めにして、新しくラジオをしようと思います。新しい領域展開です。

「浅はかで、雑食な僕らの、カルチャーを愛でるラジオをやってみよう」

別に深い考察とかないし、マニアックに攻めるつもりもないです。
単純に僕らが好きなものを持ち寄って、「ここが面白い!」ってのをお裾分け。

Twitterのスペースでやっていこうと思います。

とはいえ、この往復書簡も大事なリセットタイムで、頭の中の整理整頓・棚卸しみたいな作業なので、無くさないつもりです。ゆるやかに返し、受け取り続けていこうかと。

2週目も、どうぞよろしくお願いします。

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