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伝える力は無敵。

先週のバスでの出来事。
noteに書きたかったのだが、どう言葉にして伝えれば良いか分からなかった為、表現することを諦めていた。
言葉にすることから逃げるのはよくないと昨日思い始め、書くことを決意。
元々ブログを始めた理由は、伝える力を伸ばしたいということだ。伝えたいことがあるのに、そこから逃げたら永遠に上達はしない。伝えれることしか伝えていないのだから、当然だろう。
だから書くことを決意。伝わればいいな。。、

先週のバスでの出来事。
座っていると、僕の後ろの席の人が、目の見えない男性と、その人をサポートしている女性だった。
僕より後に乗車されて、「段差ありますよ」「手すりが右手に〜」など事細かに男性に伝えていた。
僕は、ああ見えない方なんだなと漠然と認識した。
車内での、二人の会話が僕は印象に残った。

「〇〇の花は咲いている頃だね、咲いてる?」
「ああそういえばそうですね、咲いていますよ」
「そうかそうか、綺麗なピンクの花びらだなぁ」
「桜も散ってしまいましたが、そろそろ別の□□の花も咲きますね」
「僕は□□の花が一番好きだなぁ、綺麗なんだよ、咲いたらまた聴くね」

何気ない会話だが、このやりとりが心に残っていて、大事なことを教わっている気もする。

見えない方が、見えているように楽しめいること。見えない方の記憶と、相手の言葉とを組み合わせて、満開の花を想像している。かつ季節を感じながら花を楽しんでいる。

バスの中で独り、凄さを思い知った。

自分の中で、目の見えない世界は想像できない。想像するのが怖いから逃げているのだけなのたが。
無理に想像するが、正直、楽しくないだろうなという印象である。人が情報を取得する割合は8割が視覚だ。それを奪われた世界は、楽しくないと僕は思った。

そんな自分の思い込みを一掃してくれたのが、二人の会話だった。視覚こそないが、花を楽しめることは可能だ。過去の記憶を呼び起こして、かつ、サポートしてる人の見えている世界を共有することで、花は楽しめるのだ。

サポートをみんなでしようとか、そういった話ではない。障害を持った方を理解をしてくれとかでもない。

楽しみ方は色々なやり方があるんだなぁと勉強になったことを僕はただ伝えたいだけだ。
目の見えている世界でも、気づけていないことはたくさんある。会話の中でも季節を感じることが出来る。モノを知ることで伝え方の幅が増える。
などなど、二人の会話に教わることがたくさんあった。

伝わらなくてもいい。僕だけが心をほっこりさせればいい。だけど、それだけでは勿体ないと昨日から思い始めた。二人の会話を思い起こすと、伝える力の可能性というか無敵感が僕を奮い立たせてくれた。この二人のどちらかが伝える力がなければ、会話は成立していない可能性があるからだ。

伝える力を今よりもっと伸ばそう。いつか役に立つ。それは目の見えない方だけではなく、道に迷っている人や、仕事で悩んでいる人にも役に立つかもしれない。
伝える力って実は最強なのかもしれない。そこに気づけたからこそ「言葉にすることから逃げてはいけない」と悟った。今は下手でもいいから、書くこと、伝えることを選んだ。
書けたことで安堵はしている。伝わるか伝わらないかはとりあえず後回し。

自分の人生の良い分岐点になれたと思えるように、これから日々を愚直に過ごしていく。

最後までありがとう御座いました。

ーおわりー

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