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W杯をきっかけに、サッカーから組織の「らしさ」を考える。

みなさん、こんにちは。
Acompanyという会社でCSO(Strategy)をしております堀尾と申します。

今回は、毎年恒例の年末に行われる Advent Calendar 2022 の中で、このタイミングで書いてみたいことをつらつらと書いていこうと思います。
今日が4日目の記事になります。

このタイミングで、と書いたものの、タイトルでネタバレしているように(笑)、今大盛り上がりのW杯についてです!

ちょうど今は、グループリーグが終わって、決勝トーナメント1回戦の試合が始まったところですね。そして、皆さんご存知の通り、サッカー日本代表がグループリーグでドイツとスペインに勝利するという歴史的なことまで起こりました。

私自身、サッカーに関しては、幼稚園の頃からやっていて、プレー自体は小学校までだったのですが、中学の頃からサッカー観戦にはまりました。当時は、2006年ドイツW杯が行われたタイミングでした。そこで、ジーコ監督率いる日本代表は、予選リーグで敗退してしまいました。当時の印象としては、日本代表があまりチームとしてまとまっておらず、チームの方針を持てずにいるようでした。

そんなチームの後に、日本代表チームの監督に就任したのが、イビチャ・オシム監督でした。2022年ももうすぐ終わりますが、今年2022年はオシム監督が亡くなられた年でもありました。そのこともあって、追悼特集号が雑誌Numberで組まれたのですが、私はこの雑誌を本屋で購入してから、120ページほどの雑誌にもかかわらず、2日ほどで頭から後ろまで読んでしまいました。それぐらい食い入ってしまう何か深いものがありました。

半年ほど前に出版された雑誌でもあるので当然ながら記憶に鮮明に残っていたのですが、その記憶を保持しながら今回のW杯での試合を観ながら、色々と思うところがありました。それと同時に、このAdvent Calenderを書く機会になって、「これはサッカーの話だけではないぞ」と思うようにもなりました。つまり、私たちの生活で触れるチームや組織にも通じるところを感じます。どこまで書けるか分かりませんが、オシム監督、サッカー日本代表、そして組織について書いてみたいと思います。
(注)以下、引用文として掲載しているものは、上記の雑誌からの引用になります。

1. 絶対的に良い組織はない。

オシム監督が最初に日本で監督をしたのは、Jリーグのジェフ千葉でした。ジェフ千葉でフォワードとして活躍し、ジーコ監督にもサプライズ選出されたことで有名になった巻選手がこんなことをインタビューで語っています。

「オシムさんがいつも言っていたのは、『サッカーには相手がある』ということ。相手が変われば戦い方も変わるし、内容も変わる。そういう意味では『理想形』なんてないのかもしれません。

P.34

ここで「理想形」などないと書かれている一文にオシムさんらしさがあります。オシムさんは、よく「哲学者」という言葉を相手にも自分にも使うことがあるのですが、この「理想形」はないという考えは、「哲学」と少し似ている部分を感じます。つまり、絶対的に何か正解のようなものを固定するのではなく、置かれている状況や時間、一緒にする人との関係が変わるのだから、考え続けなければいけないという意味においてです。

同じように、他のインタビューでオシムさんは、ある考えが絶対的に支配しているわけではないことについて触れています。当時は、「トータルフットボール」というコンセプトが流行していました。これは、ざっくり言えば「全員で攻めて、全員で守る」「攻守の切り替えをスムーズにする」という考え方です。

「常に攻撃的でなければならないという考え方ばかりが世の中を支配しているわけではないけれど、私はサッカーがその方向に進んでいると信じている。しかしだからといってトータルフットボールを最高のものだというつもりもない。それを口にした瞬間、進歩は止まるからだ。それ以上に素晴らしいものがあるという夢が持てるからこそ、サッカーは美しいスポーツとして存在するんだ。」

p.44

このことは組織に置き換えても同じなのではないかと思います。確かに、何かの領域において先端を行く企業、専門性の高い企業といったものはあるかもしれません。ただ、同じ状況に置かれた組織というものは存在しません。固有名詞を出して恐縮ですが、「トヨタが〜」「Googleが〜」「ソニーが〜」という話はいろんなところで目にします。当然、これらの企業の優れた部分から学ぶことは多いと思います。かといってこれらの企業が絶対的だと思い込んで、全く同じになろうとしてしまうことも回避しなくてはなりません。

このことは、オシムさんが日本代表を率いていたときに、「日本人らしいサッカー」という言葉を使い、自分達のオリジナリティを自ら発見し、磨いていこうという姿勢にも繋がるところがあるとも思います。

「オシムからは、サッカーについて考えることを学んだ。何が正しいのか。他人をコピーするのではなく、何が大事かを考えることだ。コーチはひとりひとり違う。コピーをしても、決して本物にはなれないからね。」

p.92

2. 日本の自己認識

先ほど触れた日本のオリジナリティに入る前に、サッカー日本代表の現状分析についてもオシムさんのコメントが興味深かったので、少し紹介したいと思います。

 「残念なことに、日本人は(ゴール前での)最後のアイディアだけが重要だと思っている。例えば5つのコンビネーションがあるとしても、彼らにとっては最後のプレーだけが大切で、その前の4つの要素を忘れている。
 これは日本のチームのどこでもそうだ。基礎ができていないことは、日本人の問題だ。彼らはいまだにサーカスのテクニックで乗り切ろうとするが、その発想は間違っている。
 日本人は戦術も、戦術的なファウルも含めてすべてよく学んでいるし、全部分かっている。だが、真の意味でのサッカーを飛び越えて、先に進んでしまった。まず彼らは、『サッカー』をすることから始めなければならない。ごく当たり前のことを学んで初めて、次に進めるのだ。日本は戦術的にはるか先に行っているのに、根本的な部分で遅れている。」

P.40

この話は、サッカーに少しでも触れたことのある方なら、ハッとする内容です。

よくサッカー日本代表は、「得点力不足」だと批判されることが多く、シュートを打ってゴールが決まらなかったシーンを編集されたものを何度も目にすることがあります。ただ、それはオシムさんからしたら、「ある一部分を切り取った」だけにすぎません。その背景にやらなくてはいけないことが、多数あって、一つ一つを積み上げていかないといけないと言っています。見えないところでいろいろなことが要因になっていることを意識して、物事を見てみることにもつながります。
私の小学校の頃なんかは、ここで言う「サーカスのテクニック」のようなものが高く評価されていたようにも思います。ドリブルやリフティング、テクニックを見せ合いながら、試合で活きる基礎的なプレーはないがしろにされてしまう印象は、たしかに当時からありました。だからこそ、よりハッとされる内容でもありました。

こういったみんなが視野を狭くして、何かに固執して考えてしまっている時に、オシムさんは、冷静に現状分析をして、何が必要かを説き伏せます。このような近視眼も、サッカーに限らず、組織で何かをしている時には、よく発生してしまうことだと思います。これもある種の「哲学的」な思考かもしれませんね。

3. ディシプリン(規律)の必要性

では、日本のオリジナリティをどのように考えていくのか。このNumberの雑誌を読み通してみると、オシムさんが何度も口にする言葉がいくつかありますが、そのうちの1つに「ディシプリン」という言葉があります。ディシプリンは、「規律」「訓練」といった意味を持ちます。

「サッカーゲームを進める上で、どのチームにも不可欠なものとして共通な要素は、規律となる」

p.44

ー日本人はその点で大丈夫ですか?
「まったく問題はない。働けとか、学べとか、走れとか、駆り立てる必要がないからね。学習しようとする姿勢は旺盛だ。しかし、注意を促したい点もある。学習したと思い込んで次へ進む癖がある。サッカー選手に限らず、日本人はあまりにも速いスピードの中で生きている。常に新しいものを求めている。それ自体はOKだ。サッカーにおいても新しいものを求めることは美しいことだが、その上で、しっかりとトレーニングしなくてはならない。しっかり固めて、確実になったところで先へと進むんだ。」

p.44

ここでトレーニングと出ていますが、オシムさんは、自身の監督の役割として、「まず基準を作ること。そしてそれを、選手に説明すること」だと述べています。

「日本人にディシプリンがあるというのは、私はどうかと思う。たしかにあなた方の社会は、誰もが丁寧に挨拶はする。だがそれは、戦術的ディシプリンとは何ら関係ない。」

p.93

「日本人は常に誰かに導かれたがっている。だがサッカーで大事なのは自分で決めて、自分で責任を負うことだ。しかもコレクティブに、チームのことを考えながら」

p.104

「上司に向かって、どうしてですか?と尋ねるのが、はばかられる傾向にある。上司もあえて説明しようとはしない。日本のシステムはそうで、日本人は子どものころからそういう環境で育っている。上位下達が重んじられる社会で、自分の想像力を働かせることは難しい」

p.104

上の部分で書いてあることは、日本人としてはドキッとする内容かもしれません。確かに、何かの規則に従うという意味でのディシプリンを持っていると自負することはあるかもしれませんが、それはオシムさんの述べる「ディシプリン」とは少し異なります。あくまで、組織的に連携して動くためのディシプリンであって、その都度状況に合わせて自分達で組織的に動ける力のことを指しているからです。

一方で、オシムさんの面白いところは、日本人のオリジナリティを考えながら、それがサッカーという組織においてはどのように発揮されるかまで考えているところにあるとも思います。私たちが持っている長年培ったものはある程度受け入れるものでもあり、活かされるものでもあるかもしれません。ただ、その生活で起きていることと、組織で起きていることを意識して区別することはできそうです。このことも、仕事上の組織を考える時に参考になりそうな考え方です。

4. 選手が自分自身で考える。

上記で書いたディシプリンにつながるところで、オシムさんが何度も口にしていたのが「選手が自分自身で考えること」です。ここは、先ほどの「導かれたがっている」という言葉に対応する部分だとも思います。

ー考えるサッカーはあなたの代名詞です。
「たしかに私は、選手が自分自身で考えるのが好きだ。私と同じように考えるのを強いるのでなく、彼らが自ら何故なのかと自問する。熟考して答えを導き出す。彼らにそうしてほしいから、私はあのようなトレーニングをおこなっている。それぞれのセッションで違ったテーマを設け、彼らが自分自身でどうすべきかを考えられるようにする。戦術的なことも、私ではなく選手たちが問題を解決する。」

p.90

「走りながら、素早く考える。効果的に。時間を無駄にして、つまらないミスを犯さないために。個人の自意識のせいで、チームの仕事を台なしにしないために。優先すべきはコレクティブ(組織的)で、個はそこから先のプラスアルファだ。個人の判断も、まずはコレクティブなものであるべきだ」

p.90

よく「走るサッカー」としてメディアではオシムさんの方針を報道されることがありましたが、もう少し踏み込むと、ここでの意味は「走りながら考える」ことにあります。ボールを持っていない時に何をするかというのは、サッカーをプレーしたことがある方ならわかると思いますが、逆説的ですが想像力が求められて結構難しいです。ボールを持っている時の動作は教科書的に色々と教わるためすぐにイメージできてしまうからです。

そして、ボールを持っていない人が考えながら動けるということは、「組織的」であるということにもつながります。これも仕事上の組織に置き換えて考えてみると、非常に含蓄を覚えます。仕事というのは、何か作業に取り組んでいる期間、その担当者の持ち物だという発想から、少し考えを広げさせてくれるかもしれません。

ワールドカップをきっかけにして、サッカーの試合を見ていると、いろいろなことを感じます。そして、今回はオシムさんの追悼特集号を読みながら、「組織的」であることについて深く考えるきっかけを持てたように思います。
「組織的」とは何かを考える中で、オシムさんの考えは、いつの間にか私たちが思い違えている部分、固執している部分、見落としている部分を提示してくれてハッとさせてくれるものであるようにも思います。また一方で、自分達が元々大事にしてきたものにも目を向けさせてくれます。

今回のワールドカップを見ながら、オシムさんがサッカー日本代表に当時伝えていたコンセプトが、どこかで今の日本代表に影響を与え、予選グループでドイツやスペインといった世界トップクラスの強豪の勝利につながっていたかもしれないと思うと、感慨深いものがあります。

最後に会社につなげて考えてみる。

今回の整理では、「ディシプリン」と「自分自身で考える」という考え方が登場しましたが、改めて、私たちの会社Acompanyではどうなのかを少し考えてみて、終わりたいと思います。

実は、最近、Acompanyでもここでのディシプリンに近いものとして、「Acompany GUARDRAIL(アカンガードレール)」というものが作られました。

ガードレールと聞くと、みなさん、登下校のときに歩道の側にあった経験や、車を運転しながらいつも目にする記憶が呼び起こされるのではないかと思います。その言葉通り、進む道の脇で自分達を守ってくれる存在を意味しています。

元々、Acompanyには、「Be Cool. Be Hacker.」というバリューがありました。このバリューについては、ちょうど昨年にnoteを書いたこともあるので、よかったらご覧ください(笑)。

ここでのバリューの大意としては、Coolが「自分も相手も大事にできること」、Hackerが「継続的な改善を繰り返しながらハックすること」です。

そして、今回のアカンガードレールのおかげで、より「自分と相手を大事にできる」ようになり、より「ハックする」フォームを得られるようになっています。

詳しい内容については、また別のところで公に発信することが会社としてあると思いますが、今回色々と書いた上でお伝えしたかったことは、同じ価値観を組織として体現する上で、今回のようなディシプリンがあるということです。

そして、それはオシムさんが言うように「導かれる」という感覚よりは、「組織的に動くため」のものであり、その上で「自分自身で考える」ためのものなのではないかと、今回書きながら自分自身でも学びがありました。

もし、こういった話に興味を持たれた方は、お気軽にご連絡ください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

それでは、良いお年を。


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