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道を つくる|Make a way

音楽やデザインの仕事を一旦止めて、植木屋さんで働くようになって4年が過ぎました。

で、最初はなんにもできないからって雑草取りが多かったんです。こまかな雑草を手で摘んだり、小さな鎌のような道具で根っこから掘り返したり。

表のお庭は先輩にまかせて、日当りが悪くて湿っぽい裏の通路で、地面に這いつくばって、はびこるシダや匂いの強いドクダミを取る。まわりには忘れ去られた植木鉢や、出す機会を逸した粗大ゴミや、下水の蓋などがあって「あー…」っていう気持ちになる瞬間もあったけど、うざったい空間が雑草を取ることによってさっぱりすることに意外な喜びを覚えて、それからは進んで雑草を請け負うようになりました。

それで、ひざまずくときに膝をカバーするニーパッドを装着したり、固い樹脂のヒモを回転させて雑草をカットする草払い機の使い方を覚えたりして、能率はあがるし、特に草払い機の操作法に注目して、ストラップの長さと重心、に気を配ったり、先端のヒモの長さを試行錯誤したり、あと、回転の早さと土に当たる角度を調整すれば苔に覆われた場所でも苔を残しつつ雑草だけ刈ることができるかも?って思って、すこしづつそのテクを覚えたりして、この仕事に愛着を覚えました。

最近はありがたいことに、庭木の剪定をまかされる機会もふえて、あらためて、剪定って彫刻に似てるな〜って感じています。日当りの良いお庭のまんなかで、高い三脚のてっぺんに昇って、晴れがましく鋏を振う姿も作家っぽいし、そうやって出来上がった植木も、時に立体造形された作品、のように感じています。

で、そういった視点からからあらためて、地面をととのえる作業を振り返ると、「これってグラフィック・デザインぽいな」って感じます。

雑草を刈ると、とにかくお庭全体が見えてくるような気がしてて、たとえば、よくあるのが、生い茂った雑草をなくすと、庭石が、はっきり姿をあらわして、すると、その庭を造園されたときの全体像のデザインの意図が伝わるような気さえしてくるのです。

すると、メインビジュアルである樹は、作家さんによる写真やイラストレーションで、僕は余白を意図した地面から発想し直して、全体のデザインの大胆さと調和を見たいんだな、って、自分の、向き、がはっきり自覚できた、と思います。

それと、最近意識しているのが、「道をつくる」こと、です。

これも、最初は、作業するのにじゃまだから、この枝切っちゃおか!っていうムカっとした気持ちが始まりなんです。で、そこで、立ち止まって、だいぶ熟孝して、「植木屋さんが作業しやすい配置にすることの合理性」と「ここに住む方もできればできるだけお庭を歩いて樹々に触れ合ってほしいな」という気持ち、は、間違っていないはず。という結論に達して、あと、「庭は、なんだかんだいったって、人工的な文化なんだし、だから人間優先でいい」っていうありがたい言い伝え(自作ですがvv )にしたがって、どんな小さなお庭でも、そこを巡るための道、を意識するようになりました。

だから、目の高さ位の枝はなるたけ落とすようにしていて、そうじゃなくても視界をさえぎるように茂る枝も取り除いて、その先に足を運びたくなるように、しているんです。

また、植木を剪定するときの基本は、上から、って決まっていて、それは切った葉が下に落ちるから下からだと掃除が二度手間になる、っていうのが主な理由なんですが、僕は、とにかく、下から下からお庭を見てて、もちろん現場のリーダーに異を唱えるようなこーどー、は慎んでますが、そうやって、はたらく時間の中に、秘密裏な、自分作戦、がどこかにあって、それを、遂行することで、仕事に対するモチベーションがあがるなら、それは、むしろ良いことなんじゃないかな〜って思っています。

で、ちょっと前、とても尊敬している植木屋さんが、大きな邸宅のお庭をお手入れする際、人手が足りないからってヘルプに伺って、竹林の地面、をまかされた時、まだまだ未熟だけど、自分なりに、持てる知識と技術のすべてを注ぎこんで、さいごに道をつくって仕上げたら、「お、京都のお庭みたいだね〜♡」ってほめていただいて、ほんとに、ほんとうに、うれしかった、です〜⌒

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