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BTSではなく、防弾少年団が大好きだった私へ①

はじめに

2017年、私はバンタンに命を懸けていた。
そして、「ON」が出てから次第に離れていき、ペン卒した。
私が好きだったのはBTSではない。防弾少年団であり、バンタンだった。
大衆性を気にした英語曲ではなく、花様年華のコンセプトに基づいた美しい曲たちを母国語で歌ってくれて、それを私は翻訳を見る前・見た後それぞれを楽しみながら聞いていた。
カムバはアメリカでするのではなくて、本国の音楽番組をリアタイで追いかけるのが好きだった。
何を言ってるかわからない人もいるだろう。過去を引きずる亡霊と思う人もいるかもしれない。でもわかってくれる人もいるのではないか。これはすべて私の個人的な意見・記憶に基づいた、私の青春時代の備忘録である。

2017年 沼落ち

バンタンにはまったのは2017年の秋、それまではいわゆる雑食K-POPオタクだった私は、ひたすらRedVelvet(以降レドベル)の피카부 (Peek-A-Boo)を聴き倒していた。(それかTWICEのLIKEYのエンドレス再生)MVの最初のアイリーンの顔は何度見たかわからない。

ただの女神

このPVを見たことない人は全員見なくてはいけない。この優雅な狂気×ピザ屋の制服収集屋敷という激やばコンセプトはレドベルにしかできない。

話はそれたがそんな時に私はインスタのストーリーに友達が載せたキムテヒョン(以降テテ)と出会う。その時の衝撃は今でも忘れない。
こんなに美しい男の人がこの世にいるのかと。なんだこの人はとひっくり返った。すぐさまストーリーに書いてある「てて」という謎の言葉を頼りにググりまくった。なんとこのきれいな男の人はキムテヒョンといい、テテと呼ばれてることを学んだ。4次元という初めて見る言葉を調べ、天然なクールキャラなんだなとその時思ったのを覚えている。この流れは正直アーミーの7割は体験してるのではないか。j-hopeはホビでホソクでナムジュンはRMで当時はラップモンスターであった、、、初心者泣かせもいい所である。
その日からバンタン狂いの女子大生(1年生)が一人生まれたのであった。

例の写真

サセンまがいのマスター、撮影禁止の日本で大砲を担ぐマスター。度々マスター文化というのは議論になるが、私のようにマスターの写真から沼落ちした人間はマスター文化を受け入れるしかない。マスター様がいなければ私は存在しなかったのだから。
(ちなみにマスターさんの中ではjinkissletsgo二ムが大好きでした。)
この頃だったか記憶があいまいだが、グクの日本人大手マスター、ア〇サさんがセブチのジョシュアのマスターになったと大騒ぎしていたのも今となっては懐かしい話だ。だれか覚えてる?


そしてついに始まったarmyとしての生活

ここから命を懸けたオタ活生活が始まる、、、
続きはまた👍




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