作詞家に必要だったのは、書く力ではなく、読む力

  いろいろありまして(語りつくせないほどにね!)約3カ月前から、現地補習校の先生を、週1回やっています。いわゆる日本語学校というものでして、教員免許はなくても、4年制大学卒業の資格があればよいそうで…このコロナ禍では、本当に様々な出来事が起こり、めぐりめぐってそんなことになりました。なんの経験もなくいきなりですから、生徒数が少なく、リモート授業といえど、苦労しています。

  そして、小学生に国語と算数を教えるため、何十年かぶりに小学生の教科書を手に取りました。国語は、どうやら私が勉強した教科書と同じらしく、私が小学生の時に読んだ題材「白いぼうし」とか「一つの花」とか、いまだに掲載されていました。懐かしい!でも算数は、まったく記憶にありません。昔から、国語は大好きだったけど、算数は苦手で、今に至ります。

  国語好きは、読書好きに起因するでしょう。幼稚園の時から、童話を自分で繰り返し読んでいましたし、小学校低学年から、図書室で何冊も本を借りて読んでいました。図書室で本を借りると、貸出記録を綴る図書カードなるものがあり、あれが毎年学年でベスト3に入るくらいぶ厚くなっていました。たくさん読書をしたので、本を読む速さ、内容を理解する力は、子供のころから比較的あったと思います。

  そして、本が大好きな子供は、やがて作詞家をめざすようになりました。作詞を始めて数年、今になって思います。特に才能やらセンスやらを持ちあわせなかった、いわゆる凡人の私が、それでも今のところ何作かの作品を世に出せているのは、子供の時にたくさん読書をしたおかげだろうなと。もちろん、作詞家を目指した当初から、多少の武器は自分にもあると考えていましたよ。体力とか、あまり羞恥心を感じないでぶつかれる精神力とか。でも、作詞家になる前は、この力がこんなに必要だとは思っていなかったわけです。

  読解力

  本を読んで、文章を書く力も多少は身についたと思います。でも書く力って、それだけじゃないんですよね。長編小説などと違って、作詞くらいの長さの「書く力」って、それまで本を読んでこなかった人でも、どうにでもなる…と個人的に思っています。誰かに「作詞に読書は必要ですか?」と聞かれたらそうでもないと答えるでしょう。でも、趣味ではなく、商業的に活動する作詞家に、読書は必要です。

  作詞家は、プロデューサーにならない限り、誰かの注文に応じて歌詞を書きます。その注文が発注書なるものなのですが、楽曲リリースに向けて行われる作詞コンペにも、楽曲制作のための仮歌詞制作にも、必ず発注書があります。その歌い手、ターゲットのアーティストらしい歌詞に仕上げることはもちろんのこと、タイアップがついていれば、それも取り込んで歌詞を作成しなければなりません。あくまで商業的な作家を目指すなら、という条件ですけれどね。

  今、振り返ってみると、やはりこの発注書が完全に読解できた時は、迷わず作詞ができていました。そしてそういう時は、わりと採用されています。もちろん、読解力があっても、自分が狙った通りの歌詞をかけないと採用には至らないので、読解力だけが必要というわけではないです。でも、発注書=コンペシートを書いた人の意図が、手に取るようにわかるときというのは、良い結果に繋がる可能性が高いと思います。

  忙しい時は、とにかく我武者羅に書きます。でもすこし立ち止まった時は、自分の弱点・強みってなんだろうと分析することがあります。できないことも足りないことも山ほどあって、こんなんで勝てるわけなーい!と投げ出したくなる事もあります。でも、何かしら自分の強みもある…はず 笑 国語の教科書を開いてみて、蘇ってきた小学生の自分。あの時、ただ好きだからしていた読書は、血となり骨となり、私の糧になっていると思います。

  多分、人生で無駄なことなんてないはずなんだ。


#作詞 #歌詞 #読解力 #音楽 #国語


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