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才能はなくても作詞家とか、なりたい自分になれる(はず)

 10歳から詩を書いたり、小説を書いたりしていた。小学校高学年の時には、「作家になりたい」と言っていた。小学校6年の時に、彼女が転入してきて以来の私の親友は、私が作家になりたいと言っていたのを覚えていた。うん、結構マジメに「作家になりたい」(もしくは小説家になりたい?)と言っていたよ。でもある日を境に、私はそれを口にしなくなった。ある時突然思ってしまったんだ。「私、才能ないんだ」って。

 やはり幼いころの、まわりの環境というものは大事だと思う。家族なり、友達なり、先生なりが「あなたは文章を書くのが上手だよ」ということを言ってくれたら、違っていたかもしれない。でも私はそんなことを言われたことはなく、逆に事実を突きつけられた。夏休みの国語の宿題で、私は短編小説を書き、先生がコンクールに出してくれたけど何もなかった。ところが上記の親友が、読書感想文で表彰されていた。それ以外にも、同じようなことがあった。そこで思ったのだ。「私は才能がないんだ」って。

才能ってなに?

 そもそも才能とは何か。私は才能を10代(もしくは20代最初)と、それ以降で分けて考えている。おかしな捉え方かもしれないけど、10代の才能とは大人が見つけたいもの、だと思っているので。何の分野でも、オーディションと名の付く大会は年齢制限を設けるものが多い。もちろん、年齢不当のものもある。けれども、今日の音楽チャートを見ても(2021年2月現在)Ado、オリビア・ロドリゴ、The Kid Laroiみんな10代だ。彼らはもちろん、彼らの努力の賜物でその場所に今いる。それは間違いない。でもそれぞれの業界にはたいてい新しい才能をみつける部署や見つけたい大人が一定数いて、常にトレジャー・ハントをしている。見つけられたものが才能なんだと、これは嫉妬でも妬みでもなく、純粋にそう思うというだけ。だから、13才の私が「自分は才能がない」と思ったのは、自分はきっと10代のうちに見つけてもらえることはないと悟ったということだ。

 自分に才能がないと悟った13才の私が、絶望したかというと、そうではない。そのとき、明確に「才能を補う生き方をしなければ」と思った。具体案があったわけではない。ただの直感。(あの頃の私は、すごく冴えていたんだわ。)これも勝手な考えだけれど、10代はナイフや剣のようなものだと思っている。切れ味も鋭いし、すぐに誰かを傷つけるし、裸なので刃がこぼれやすい。だけど大人になるにつれ、ナイフや剣を「鞘」におさめる方法を知る。そうすると、めったに傷つかないし、誰かを傷つけることも少なくなるし、でも感度が鈍るということ。10代の鋭さで、「勝負は今ではない」と思ったんだろう。そこから私は一切、作家になりたいと言わなくなった。

30才の勝算

 30才のとき、13才で一度放棄した勝負と向き合う機会を得た。今、「書くこと」をしたいと思った。ただ小説家になりたいとは思わなくなっていた。性格的に、長編は向いていない。短い方がいいだろう。ということで、作詞をしたい!と思った。

 さて、作詞家。高校のときは軽音部でギターを弾き、オリジナル曲を1-2曲作った程度で、作詞の経験があるとはいえない。音楽業界にツテもコネもない。ネットで調べたら、作詞講座・作詞スクールはあるけど、当時は全部通わなければならないものだった。私はアメリカにいて、仕事もあって、日本に行くことはできない。どうやったらこれで作詞家になれるっていうんだ。

 でもここで、もう「才能」は関係ない。10代のときは誰かに見つけてもらうものだった才能も、20代、30代になると意味が変わってくる。才能とは、自分の得意なこと、ひととは少しだけ違う特徴。そしてここからは、才能より「戦略」が必要になってくる。作詞をしたいという夢を叶える、いわばこれは勝負だ。30才にもなると、少しでも勝算がなければそんな勝負は放棄する。はなから負ける勝負に挑むようなことはしない。19歳で留学して、言葉の壁、文化の壁にぶつかった。20代で仕事について、様々な経験をし、社会を学んだ。30才になって、30年もみてきたのだから、昔より自分のことをよく知ってる。さあ、30才の勝算は何だ!?

 でも、実際あの時の私の勝算と言えば… 

1,当たって砕けろ精神があるので、知らないことも怖くない。知らない人ともある程度すぐ仲良くなれる。

2,書くことが好きで苦にならない。

3,一度決めたらコツコツ努力することができる。(これは本当は何よりすごい才能だって今でも思っている。)

4,人より体力がある。(30代までは1日3-4時間睡眠でもけっこう行けた。熱がでて寝込んだなんてことは、ここ10年一度もない。)

5,これがだめならこうしよう!と試行錯誤して、勉強方法を工夫するのが楽しい。

これくらい。まったく大したことのない勝算だけれど、私は自分にGOサインを出した。最初の勝算はこんなもんだったけれど、少しづつ作詞のことを知っていくと、他にも自分の勝算や戦略が増えていった。そしてまだまだ足りないけれど、一応作詞家として、現在も作詞をしている。だから、才能ではないんだと思う。特に20歳以降は、自分の特技、得意なことを生かして、組み合わせて、戦略を立てて、どう進んでいくかの方が大事。

 才能がないからといって、あきらめることはない。少なくとも私は、そう思ってきた。そして今も、どうやって戦略を立てれば、その先へ進めるかを考えている。目標はあった方がいい。あるとないとでは、その場所に到達するまでの速度が違う。

 今、迷いの中で、過去の自分をふと振り返ってみたのでした。がんばらないとな。


#作詞家エッセイ #作詞家 #作詞 #才能 #そんなの関係ねえ

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