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「普通がなんだ。」

映画を見た。忘れられない人を思い出す。
引き出しの奥底にしまっていたタバコを取り出して、その匂いにまた泣いてしまった。


唯一の幼馴染から親が再婚したことを聞いた。
私とその幼馴染は小学生の頃に片親を亡くしていることもあり、歳は3つ差でありながら仲良くなるのに時間はかからなかった。気づけばもうお互い二十歳を超え、一応大人として見られるほど月日は経つ。

再婚相手の新しい母のこと、うっすら1年前から気づいていたこと、連れ子がいること、ご飯に誘われるもずっと断っているおかげでその幼馴染の実の兄に怒られること、そんなことを愚痴っぽく話していた。



ずっと考えていた“普通”の家族のことを。
映画の中でも親権を争う裁判の中でゲイカップルが子供を育てることに対して普通ではないと弁護人が叫んでいた。
ゲイカップルに育てられ、子供の未来を影響を真剣に考えたことがあるのか?と問い詰められていた。

じゃあ片親で育てられた私達はどんな悪影響を受けたのだろう。父の姿を9歳で亡くしてしまった私の場合、異性の距離感の取り方、女の子らしさへの嫌悪、好きな人にあるはずのない父親の姿を探してしまうこと、敷かれたレールを思いっきり外れながら育ったこと、そんな所かもしれない。

最近はしなくなったけど、マッチングアプリでユーザー名しか知らないような男と寝てしまう度に吐き気と後悔でいっぱいになりながら眩しい太陽の下で登校中の小学生の列に隠れながら帰ったこともある。相手は誰でも良かった。完全に満たされるわけではないし、あるはずだった父のぬくもりを知らない男の誰かで探していただけだ。目に見えないただの自傷行為は思った以上に深かったらしく、なかなか治らなかった。



思い返せば、私達は学校の中では勉強できるほうだが真面目な優等生タイプじゃなくひねくれていたよねなんて話していた。宿題はいつもギリギリまでやらずに一夜で追い込んで片付ける。学校帰りに寄り道買い食いは当たり前、テスト勉強は9教科もあるのに1週間前から。この授業はいらないと思った瞬間にずっと話を聞かない。先生に対して反抗的な態度をとるため好き嫌い分かれる生徒だったにも思える。それでも要領良く点数だけは取れてしまうため怒るにも怒れなかったのだろうな。

きっと普通しないでしょ、ってことを難なくしてしまうのでしょう。だってそれが私達の普通だから。家に帰ることが安心できる場所ではないこと、ご飯は用意されてないのは当たり前。家事は小学生でも自分のことは自分でするのが当たり前でどんなに学校や部活、塾で疲れてもごはんは自分で作り掃除もしお風呂も入らなければならない。私も二十歳になる前に家事はみんなほとんどしていないことを知って衝撃だった。うまくこなせるわけもなくゴミを出す日が把握しきれずゴミ屋敷になったり疲れてお風呂もまともに入れない日々が続くことも当たり前だった。


それでも二十歳まで生き抜いてこれた。
どこかで忘れられない人のためにその人と出会うために日々を生きてきた。かすかに記憶にある思い出や言葉のカケラが今の原動力だったりする。父の部屋の掃除をして出てきた日記に大学時代にバンドをやっていたことを初めて知って驚き、同時にすごく嬉しかった。血が流れているのを唯一実感できた時だった。自分にとっての父や母は1人だけでそれはゆるがない事実であり、どんな距離であっても忘れるなんてことはできない。



「絶対再婚相手とご飯なんて行かないんだから!ずっと末っ子として子供としているもん!」
そう言いながら近くのスーパーに花火が売ってなかったことを残念がるのを笑って見ていた。


帰り際に再婚相手の所へ引っ越すことを聞いた。幼馴染はついていかずに今の実家に一人暮らしをするらしい。

「じゃあ、たまにごはん作りに行くよ」
「え!いいの!おいで!汚いけど」
「寒くなったらスーパーに一緒に行って材料買って鍋パしよう!それでネトフリ見よう」

1番の嬉しそうな声ではしゃぐ姿を見てこれで良いんだと思った。鍋を家で食べるのは2人暮らしになってからしばらくしてないらしく早くも味は辛いのがいいだのあれこれ言っていた。新しくできた冬の約束を胸に私達は帰った。


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