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たったひとりの恋物語 第5章 イグアナの世界

第5章 イグアナの世界

迫りくる恐怖は、現実か虚構か

「もう、バカ!!
 信じられない!! なんで、そういうコト、相談なしにするの!」
目の前では明がいつも以上にムクレた顔をしている。
そんあムクレ顔を見る度に私のココロは一時の安らぎを得る。
多分……、アノことを怒っているのだろう。
こんなにも怒ることではないというのが、私の本音なのだが……。

「なんで志望校を変更しているのよ! しかも私の希望する学校に!
 私の希望する学校は理系、そんなに強くないって知っているよね!?
 この前と、言っていることが全く逆なんだけど!」
想定通りの質問に心なしか笑みがこぼれる。
ああ、この子は本当にわかりやすい……。

「この前、明と一緒に行った見学会で好きになった教授がいたんだ。
 是非とも彼のゼミで学びたいと思ったんだよ」
ココロにも無いことをいう。
ただ、少しの時間でも明と同じ刻を過ごしたい。
それが最大の動機だ。

「わ、私としては、いいんだけど……、そんなことで弘毅の可能性を狭めて欲しくないと私は思っているのよ!」
上気し、軽く桃色になったその頬で明はいう。
ああ、この表情が見たいからこそ、私はこの選択をするんだよ……。
決して、明にはいうまいが。

「ともかく、勉強しなければいけないのは変わりないからね!
 見てらっしゃい! 私だけ受かって、弘毅が落ちることだってあり得るんだからね!」
照れ隠しのように明が言い放つ。
大丈夫。
わかっているよ。
嬉しいときの明は、鼻が若干、膨らむ。
そんなことを見逃すほど、私はボンクラではない。

「そうだね……。明に置いていかれないように、俺も精進します」
そんな生乾きのコトバをサラリと置く。
明は、ちょっとだけ小悪魔的な笑みを浮かべた。

―――――――――――――――――――――
「おい!! 全員そろっているな。
 先日話していた、小林の件だが、ひとり3,000円を徴収したい。
 各自、経理の山田に渡しておいてくれ。
 以上だ。
 今日もしっかりとやってくれ」

班長がそれだけを継げると事務所から出ていく。
まったく……、私がアタマの中で構想を練っている時に邪魔をしないでもらいたい。
私は、言われるままに経理の山田女史のもとに3,000円を置きに行く。
3,000円なら2日分の夕食代だ。
今夜の発泡酒は350mlにしなければならないかと思うと嫌気がさす。

―――就業開始―――
私はいつものように佐藤と一緒にいつもの塵芥車に乗り込む。
ココからは、作品の校正や物語の展開をアタマの中で練る時間だ。
適度に佐藤の会話に相槌を打ち、繰り返しの仕事をする。
それが今の私の一日の過ごし方だ。


オカシイ……。
佐藤の運転がいつにもまして荒い。
本来、右左折する際には、一度停止し、細心の注意を払った後にステアリングを切る。
だが、ある程度、見切りをつけると、佐藤はそのハンドルを切る。
なにか……、焦っている?
そう思い、佐藤を見ると、いつも咥えてる煙草を必要以上に噛みしめている。

「おい!! 
 今まで黙ってきたけどなぁ、てめぇはなにも感じないのかよ!」
思ってもみないコトバが佐藤の口からもれる。
私の何に対して、佐藤は怒っているのだろうか?
ポカンとする私を見て、佐藤がそれを察し、コトバを続ける。

「おめぇよう! 
 金払えって言われてすぐ、山田女史のところにいったろ!! 
 ちゃんとわかってんのかよ!?」
まったく話の筋が見えない。
班長にそうしろと言われたから、そうしたのに……。
私の行動は間違っていたのだろうか!?

「ほんっとうに何もわかっていねぇなぁ!!
 俺はお前を買いかぶっていたよ!!
 つまり、あれは、小林が死んだってことなんだろうがよ……!!」
そういうと佐藤は塵芥車を急に路肩に止め、ハンドルの中にアタマを埋め、嗚咽を漏らしはじめた。

「え……、小林って、体調悪くて、今、休んでいるって……、ちょっと前まで、一緒にパッカーに乗って……」
アタマの中が整理できない。
この前まで軽口をたたいて一緒に仕事をしていた人間なんだぞ……。

「ったく、全部言わせんなよ!!
 このクソったれな仕事のせいで小林は死んだんだよ!
 あのクソったれな肺炎に罹ってよ!!
 それをお前は、なんともなく、金だけを払って……」
全身の毛穴という毛穴から、大量のナニかが噴き出したのの感じる……。
私の近くで、死者が出た……。
そして、まったくの無自覚でそれを処理していたのだ。
襲い来るのは強烈な嘔吐感。
私は、塵芥車を飛び降り、その場に嚥下した。

―――――――――――――――――――――
「おかえりなさい~。
 あれ、今日はかなり疲れて良そうだけど、なにかあった?」
明の優しいコトバが耳に心地よい。
「今日は弘毅のおばさん、遅いんだって~!
 だから夕食、任されちゃった~。
 だけど、ちゃんと勉強はしているからね!
 いつもの弘毅のお小言はいらないんだから~。
 今日は炒飯!
 しっかりと食べてね!」

なにか、わからないが、今日は本当に疲れた。
明の作ってくれた炒飯を口に運ぶ。
煮豚とネギのサイズが丁度いい。
更にコメがイイ感じに焦げていることで、その風味を際立たせてくれる。
疲労を食事が癒してくれると、なにかの本で読んだことがある。
それを舌で、脳で、そして心で感じられる私はなんて幸せなのであろう。

「最近、弘毅、追い込み過ぎ!
 私よりも勉強していると思うよ。
 たまにはおいしいモノを食べて、早く寝ることだって大事なんだからね!」
ああ、そのお小言はうっとうしい。

だけど。
心地いい。
私は、満たされた食欲と、ココロに強い安息を感じ、強い眠気を感じた。

最前線という意識はなくとも

カーテンの隙間から朝日が目に入る。
こういうコトが嫌なので、カーテンはクリップで止めていたはずなのだが。

あと少しの惰眠を貪りたいがために、身体を半分起こし、カーテンを再度きつく閉める。
こういうのがウザったい。

朝のギリギリの睡眠時間というものは非常に大切だ。
私が思うに朝食の目玉焼きよりも、30倍の価値があると思っている。
だからこそ、この時間を邪魔されることがいかに不愉快なことか。
それは朝日であろうとも許されない。
そして、そんな思考を巡らせることで眠気が遠くに離れていくことさえ、害悪と感じる。

あと30分は眠れるだろう。
そんな小さな幸せを再度手繰り寄せる。

「バカ……、気づけよ……」
胸元で聞き慣れた声がする。
半分以上、夢の世界に囚われている私は、急速に現実に引き戻される。
布団の中に……、明がいる……?
必要以上に戸惑う私は、股間を抑え、距離を取る。
しかりと寝間着を着ているにも関わらずだ。

「もう……、全然覚えていないの……?
 昨日……、すごかったんだから……」
明は意味深なコトバを放つと共に、顔を赤らめる。
その外観はパジャマ。
……私は……、なにもしていない!……と思う……。

「ぷっは!!
 弘毅の慌てっぷり! マジでうける!!」
明が破顔する。
と、同時に私は、悟る……。
コイツ……、遊んでやがるな……と。

私は、明の腕を掴み、身体ごと押し倒す。
明は想定してなかった私の動きに、あっけにとられているようだ。
「朝から、こんなことをする、悪い子にはお仕置きが必要だな……」
私は必要以上に悪そうにいう。

「え、っちょっと、そんなつもりはないんだけど……。
 なんか、だめ~、そういうのじゃない~!」
明は、私の腕の中でもがく。
しかし、ダメだ。
当然の報いを受けてもらう。

私は、明の右の首筋を舐め上げる。
丁寧に、且つ、ゆっくりと。
ほのかに汗の香りが私の中のソレを余計に強くする。

「ひいぃぃいっぃ~!!」
明の悲鳴に似たコトバにならないそれが、私の部屋にコダマする。

ゴンっ!!
明の拳であろうものが私の視界を埋める。
そして聞こえる声。

「ば~か、ば~か。
 弘毅なんて、知らないからね~!
 昨日、夕飯食べながら寝ちゃったから運んであげたのに~。
 ば~か。ば~か!」

残響。

……え?
私たち、高校生だよな?
そして、付き合っているんだよな……?

難解だ……。

―――――――――――――――――――――
そういう、夢を見た。
すぐに原稿に残しておかなければ。
私と明のもう一つの人生。
これが少しずつ積み上がってきている。
自己満足? 自己欺瞞?
なんとでもいえばいい。

私は、クソったれな本業のかたわら、想いをもって自らの命を絶った彼女と、私が送るべきであった世界を描いているだけなのだ。

ココだけは、私の世界。
誰になんと言われようとも、私の表現ができるのだ。
そして、私の筆の中で、腕の中で、彼女はまだ生きている。
現実に、世界にどんなに否定をされようとも、彼女は自由に生きているのだ。

私が紡ぎ続ければ、彼女は生きる。
こんなにも不自由な世界であっても。

―――――――――――――――――――――
「え~! 今日の配車を説明する~」
班長のあのダミ声が、事務所にコダマする。
いつもと変わらない毎日。
それが今日もはじまる。
近隣発肺炎が日本でも世界でも猛威を振るい、多くの会社がテレワークなる新しい出勤形態を用いているにも関わらず、私たちの世界ではそんなことは夢のまた夢。

ゴミのようなヤツ等にはゴミのような仕事を。
ゴミのようなヤツ等はいくら死んでも替えがきく。
表だって、政府や自治体はいわないが、そんなきらいを沸々と感じる。

国民の根源の生活、「エッセンシャルワーカー」として、認定がされたようだが、聞こえがイイだけであって、私にはむしろ、「お前たちは、犠牲となって死ね」としか聞こえない。

世界とは、政治とは、経済とは、そういう風にできているのだ。

「佐藤が体調悪いので、C班は鈴木、村田、梶で回れ!」
そのコトバで、事務所に佐藤の姿が見えないことに、今さらながら私は気付いた。

命の価値

塵芥車の中に沈黙が流れる。
村田、梶とはこれまで何度か現場を回ったことがある。
だが、この状況だ。

ハンドルを握る梶は、チンタラと前を走る車に舌打ちをする。
だが、粗い運転をすることは社内的にはご法度。
ハンドルを人差し指でトントンと忙しなく叩く音が聞こえる。
その音が異常に多く響く。
そりゃあ、この車内の静けさだ。
イライラがその音から伝播するようで私は顔をしかめる。

その表情の変化を汲み取ったのか、さらに車内の雰囲気が悪くなる。
なんともおかしな悪循環がこの閉塞された空間で行われる。
私だけでなく、コイツ等だって最悪な雰囲気を感じているだろうが。

「鈴木さん、佐藤さんのことって、聞いているんすか?」
村田がこの南極並みに凍り付いた空間に一言を投じる。
空気を読めない人間とは、こういうヤツをいうのだろう。
私は、煙草を「フウっ」と細く吐き出し、コトバを継ぐ。

「なんも聞いていなぇな。
 あいつ、意外と自分のことは、なんにもいわねぇからな」
本音でそう語る。
だからこそ、心配なのだ。
一緒にいる時間が長かったにも関わらず、アイツのココロをちゃんと聞いていなかった自分に腹が立つ。

「チッ!」
自然と舌打ちをしてしまう。
すぐ後に、後悔が押し寄せる。
これでは、余計に村田や梶に気を遣わせてしまう。
年上として、この態度はいかがなものか。

「大丈夫だよ。
 あいつは、逃げ出すようなタマじゃねぇ。
 出勤してきた時に『どこ行ってた、バカ』とかいえる空気を作ってやるのが、俺らのできることだろ。
 大丈夫だ」
私は、村田や梶に言っているのか、それとも自分に言っているかわからないコトバを並べる。
いま、一番佐藤を気にしているのは、私だというコトを隠しながら……。

―――――――――――――――――――――
「弘毅~! 今日もお疲れさま~!
 遅かったんだね~! 簡単だけど、夕食できているよ~!」
玄関の扉を開けると、明の笑顔が飛び掛かってくる。
たったこれだけのことなのに、一日の疲れが「スッ」と落ちるのは、なぜなのだろうか?

私と明は、無事に同じ大学に合格をすることができた。
明の専攻である文学部英文学科は、2号館。
私の農学部は、5号館。
キャンパスは広いとはいえ、そこまでの距離ではない。
私たちは、いつもの最寄り駅で待ち合わせをし、そして大学前の駅で降り、そして、明の学部のある2号館の前で別れる。

17時には、また、2号館の前で落ち合い、家路につく。
ファミレスで簡単な食事をすることもあったし、明のお気に入りのラーメン屋で早食い競争をすることもある。
そんなどこにでもあるようなキャンパスライフを私たちは過ごしていた。

ようやく訪れた私たちだけの時間に私のココロは、浮足立つ。
これまで緩やかな伸展しかなかった明との距離を近づけたい。
いつの頃からか、そんな邪な感情の私が顔をのぞかせていた。
その矢先である。
普段からまったく私のことには興味のない、両親に声をかけられたのだ。

「お父さんがねぇ……、海外出張になっちゃったのよ……。
 お父さんって、ほら……、何もできない人でしょ?
 だから、お母さんもついて行こうと思うんだけど……、弘毅はどうする?
 大学に入ったばっかりだから、判断は任せようってことになって……」
お世辞にも痩せているとはいえない母が、申し訳なさそうに告げる。
これまでずっと専業主婦であった母は言わば、良妻賢母であろうとしていたのだろうが、私にはそう映らない。
父の我儘を肯定し、傲慢にしたのは彼女のその献身のせいであったと言ってもいいとすら感じる。

今回も父を優先し、その判断を他者に預ける。
そんな母を反面教師に思うからか、私は意思をはっきりと持つ明に惹かれるのだろう……。
「弘毅に任せるけど……、ひとりであなたもイロイロとできないでしょ……?」
こういうところだ。
献身的に自分が行っていることで、他者を縛る。
ある意味、父と母は共依存の関係ではないかとすら感じる。

「大丈夫。俺は、日本に残って独り暮らしをするから。
 父さんについて行って、きちんとフォローしてあげてよ」
私は、悪魔のハラワタを備えた、天使の笑顔で母にそう返す。
「そう……、弘毅がそういうなら……。
 そうね。
 そろそろ、弘毅も独り立ちしなきゃいけないからね。
 一人暮らしができるようにお父さんに聞いておいてあげるから!」
母はそういうと、鼻歌を歌い、夕食をつくるため、冷蔵庫を中のモノを物色しはじめる。

意外にチョロい。
母をこのように思うようになったのは、いつからだろうか?
そして、私は、いつの間から、こんなに擦れてしまったのだろうか。

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