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たったひとりの恋物語 第3章 キンギョの世界

第3章 キンギョの世界

止まった時計と淡水魚

明は日本に何度か、帰ってきていたようだった。
だが、私は彼女と会おうとしなかった。
連絡が少なくなっていた私は、むしろ彼女と会うべきではないと思っていたのだ。

それだけでない。
なにもできず、なににもなることができず、木偶といった方がいい私を彼女の前に晒したくなかった。
今の私に会ったら、明は絶対にガッカリする。
あそこまで私を認めてくれた明を失望させたくなかったのだ。
彼女からのメールも読まないようにしていた。

新卒派遣とはオモシロイもので、数カ月ごとに働く会社が変わる。
いってみればアルバイトの延長だ。
責任はそれなりに負わされ、給料もある程度は保証される。
だが、社会人としての信用なんてものは、あって無いようなもの。
ただ、毎日の食事を確保するため、短期でただ仕事をする。
淡々と、粛々と。
自分一人を生かすために、ただ、これを続けていた。

あるとき、急な腹痛に襲われ、派遣された会社を一日休み病院へ行った。
腹膜炎(盲腸)だと判明し、直ちに入院、そして手術。
結果、一週間ほど仕事を休む羽目になってしまった。

社会とは冷徹なモノで。
退院後に派遣された会社に出社すると、クビと言われたのだ。
急いで派遣会社に連絡するも、こちらからも解雇が言い渡された。

手元に残ったのは、家賃と手術代の支払だけだった。
私は急いで仕事を探すものの、年齢は既に29歳。
特別な資格もなく、ただ生きるために仕事をしてきた私など、どこも雇ってはくれなかった。

しかし、支払いというものは待ってはくれない。
私は、市中のローン会社に駆け込み、これを利用する。
その額は、あっという間に積み上がり、半年もせず100万円を超えた。
その間にも就職活動といったものをしていたのだが、これまた鳴かず飛ばず。
こんなオッサンを雇いたいと思う奇特な会社は現れなかった。

返済するあてのない借金は積み上がるだけでなく、私自身にも追い込みをかけてくる。
ローン会社からの連絡が鳴りやまなくなる頃、私は、住む場所も提供してくれる今の会社に出会うことができた。

私の給料からローン会社へ定期的に返済をしてくれる手続きもしてくれるなど、私にとっては渡りに船であった。
ただ、この仕事だ。
毎日、ただ同じことを繰り返す。
そういうものと交換に私の平安は保たれたのだった。

そして、明は社会に、世界に疑問を投げかけ、死を選んだ。
明の最後のコトバは私に突き刺さり、再びに自分と人生というモノに疑問を投げかけた。
「私は、生きているのだろうか……」
あのSNSの明の画像とコトバが目の奥に焼き付き、離れない。
そして、私に問いかけてくる。
「あなたは、今を『ちゃんと』生きていますか……?」
と。

―――――――――――――――――――――
「結局、あれは俺たちには、まったく関係ないんだよな」
今朝も佐藤が煙草を吹かしながら、モニターに向かい呟く。
お決まりのようにビシッとスーツを着込んだアナウンサーがしきりに注意を呼び掛けている。
最近、世間を騒がせているお隣の国から広がったといわれる肺炎について、専門家も交え、アツく議論をしながら視聴者に訴えかけている。

「どんなに危ないって言っても、俺たちには関係ねぇよ。
 生活をしていりゃあ、ゴミは出る。
 そして、その肺炎のヤツが痰を吐いたティッシュだって、俺たちが回収しなけりゃあならない。
 こいつらにとっては、危ないゴミは、ゴミのようなヤツ等に処理させておけばいいって考えてんだよな」

相変わらず、的を射たことをいう。
世間がどれだけ騒ごうとも、どんなに危機的な状況であろうとも私たちのやることは変わらない。
ゴミを回収し、焼却場へ運ぶ。
そのゴミがどんなに危険なモノであっても。
恐ろしいとされている肺炎に罹るリスクがあってもだ。
世界は、世の中とは、そういう風にできている。

私たちのような落伍者がどんなにもがいたって、這い上がれないように。
そして、その命を落とす可能性があっても。
決して逃れられないキンギョ鉢の中で、泳ぐ淡水魚のように。

首を絞められたカワウのように

「今日からA地区は、佐藤と鈴木の二人で回ってくれ」
班長からのその言葉で事務所にいるすべての人間が気付き、一瞬ピリつく。
いつかはそうなるだろうと思っていたことだが、直面してみるとやはり緊張する。

隣国発肺炎は、その後も猛威を振るいあっという間に世界を席巻した。
ある国では、都市封鎖(ロックダウン)を宣言し、国民を自宅に軟禁した。
その方法は直接的かつ強制的で、銃を構えた自衛隊が自宅から出ようとする者を威嚇するほどのモノだった。

幸いなことに日本はそこまでの強制ではないものの、外出規制、自宅待機という見えない首輪と鎖を国民に強いた。
当然のことながら人との接触は抑えられ、行動は静かに制限された。

日本人という国民性はとても真面目で、従順、善良である。
しかし、見方を変えてしまえば、潔癖、思考停止、偽善である。
外出規制、自宅待機を少しでも逸脱するような行動をすれば、隣人が注意・非難をする。
さながら戦時中の隣組を思わせるような狂った世の中に吐き気を催す。
こんな世界を明が見たらなんというのだろうか……。

そんな魔手がとうとう私たちのすぐ足元にも迫ってきた。
当然と言えば当然なのだが、今さらながらそれに恐怖する。
聞くところによれば、隣国発肺炎に罹患し亡くなった人もいるという。
命を懸けた仕事であるにも関わらず、この会社は同じ毎日をただ淡々と続けていく。

班長は、他になにも言わずに事務所を後にする。
「そういうこと」が起こっていたとしても、私たちはただ仕事をしなければならないのだ。

―――――――――――――――――――――
「……っとに、俺たちの人生って一体なんなんだろうな?」
二人っきりの沈黙を破ったのは佐藤だった。
口元の煙草を噛みしめ、苦々しく吐くように佐藤はコトバを継いだ。
「ゴミを集めて、運んで、ゴミみたいな家に帰って、ゴミみたいな飯を食って、ゴミのせいで死ぬかもしれない……。
 クソっ喰らえのゴミ人生じゃねぇかよ……」
アタマが悪そうに見えるのに、コイツはいつも本質的なモノの捉え方をする。

「いつかの飛び降りの姉ちゃんが言っていた、俺たちの自由とか夢ってどこに行っちまったんだろうな?
 夢なんて本当に俺たちは持っていたのかな?
 あ~ぁ、俺の夢って一体なんなんだったかな……? 
 鈴木、お前、夢とかってあるのかよ?」

クソっ。
このタイミングで嫌なことを聞きやがる。
私だって最近悩んでいることだ。
それにお前なんかに、私の夢を語りたくない。
私は深く煙草を吸い、紫煙をいつも以上にながく吐きながらいう。

「あぁ……、んなもん、ねぇな……」
私の中で何かがココロをチクりと刺す。
いい……。今は気付かなくていい……。
今は、そんなところに敏感に反応しなくていい……。
そいつを抑え込むようにもう一度、深く煙草を吸い込むだけだ。


外出規制、自宅待機がもたらしたものは、私たちへの負担だった。
これらを強いられた人間の行動は、余りにもわかりやすい。
それは、自らの身の周りの整理だ。

今まで行っていなかった、不用品の整理をはじめたのだ。
学生時代の教科書、大切に保管していた学校での創作物。
着なくなった衣類に、既に起動しない携帯電話。
遺品整理でも捨てられなかった数々の品。
更には、農薬の余りや薬品、飲みかけの薬などありとあらゆるものが、ゴミとして捨てられた。

本人たちにとっては、この機会を使ったいい断捨離だったのだろう。
しかし、私たちにとっては地獄以外のナニモノでもない。
通常よりも重いゴミたち。
更にはその中に隠れ潜む、隣国発肺炎の生物兵器。

肉体としても精神としても、今、自分がここにいることの価値を見失う。
「自分勝手なこいつらは、決して、私たちのことなんて1㎜も考えていない……」
と。


「うおぃ!!
 破れてんじゃねぇかよ! 死にてぇのか! もうちょっと丁寧に扱いやがれ!!」
佐藤のコトバで意識を取り戻した。
私は既に、ただの作業をこなすロボットになっていた。

手元にやぶれたゴミ袋から散乱する、内容物が目に入る。
なるほど。
御多分にもれず、断捨離か……。
私も自分の人生の断捨離なんてものができたら、どんなに楽になれるか……。ふとそんな考えがアタマに浮かぶ。

いかん、いかんとアタマを振る私の目線にあるものが飛び込む。

肌色の罫線が印象的な小憎たらしいアイツだ。
20文字×20文字の作文用の原稿用紙の束。
ご丁寧に未開封のままの状態だ。
そいつは、夏休みの最後の最後まで私を苦しめた大っ嫌いなモノだ。
だが……、そのときは違った。

この小憎らしいヤツを見つけると、すぐに私はコイツを丸め、作業着の尻ポケットにねじ込んだ。
ほぼ、反射的と言えるほどに。

「鈴木! ちゃんとしろよ! お前と一緒に、くたばりたくないからな!」
佐藤の怒号が飛ぶ。
「ああ、悪りぃ。死ぬときは俺だけだから大丈夫だ」
そう言って、私は尻ポケットの戦利品をそっと撫でる。

コイツはしっかりとここに居る……。
なんだか、それだけで少しだけ生きている気がした……。

求める心は私を壊す

持って帰ってきてしまった。
ほぼ、反射的に。
コイツがなにかを訴えかけてきているようで、私はそうせざるを得なかった。
社内規定的には完全にアウト。
どんなに魅惑的、蠱惑的なモノを目にしようとも私はゴミ屋。
ゴミとして出されたものをただ、塵芥車に放り込み、ただ作業を行うだけ。

だが、ゴミにまみれた私の部屋の中に今、これがある。
20文字×20文字の作文用の原稿用紙の束。
幼少の頃には憎しみまで感じていたコイツが、ある種異様な雰囲気を放ち、私の前にある。
いつものように安い発泡酒を一気に煽る。
だが、コイツは目の前に存在し、より自己主張を強めたようにすら感じる。

「クソぅ……。俺は一体なにを考えているんだ……」
ひとりきりの部屋にごちたコトバが反響する。
もう一杯、発泡酒を煽る。
酒による酔い気なのか、夢想なのか、アタマが少し緩くなる。

「俺は……、お前との時間を……、ただ、欲しかっただけなんだ……」
気づくと私は、明との時間をその憎らしい肌色のそいつにぶつけていた。

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#お仕事小説部門

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