新編『風の又三郎』読了。

すごい気持ちになる。
失うということ、そしてそれは二度と元に戻らないという絶対的な規則。

『双子の星』の時は、最後には全て綺麗に元通り、めでたしめでたし…という感じだったが、今作は特に抗えない現実というか、まるで死へ向かうためのシミュレーションをしているかのような作品が多かった。
読みながら、「今まさに死ぬことだけは決まっていて、我々はそこに向かって進んでいるんだな」という、腹を括らざるを得ない気持ちになる。

喪失という出来事の不可逆さというか、それに対しての“絶望”とも違う、「それ(失った、に値する出来事や気持ち等々)を置いていかねばならないのだ」という感覚、の芽生え。死に向かうとは、ひょっとするとそういう気持ちなのかもしれない。

私にとっては、『風の又三郎』の部分が一番難しかった。それまでの作品を読んだ上でどう解釈すべきかもそうだし、単にいい感じの物語というわけでもないだろうし。

冒頭は、「どっどど  どどうど〜」という有名なフレーズから始まり、それがラスト辺りの一郎のシーンとリンクして、初めて物語の中に組み込むことができた。(一部であるという認識)

三郎は一見すると子供の好奇心として許される範疇のことしかしていないが、社会的に見た時かなりまずいことばかりをしていく。恐らくは読み解きポイントの一つなんだろうけど、そこが他とどう繋がるのかがまだよく分かっていない。
三郎の登場、一郎たちとの出会い、夢、風のような別れ。
考えれば考えるほど難しい。というか無闇に考えるから逆にダメなのかもしれない。

解説を読んでみると、作品というよりかは解説者がどのように作品を選んで収録したのかや、他の短編作品と似た要素があり何とかという関連性が伺える…といった文言が記述のほとんどで、やはり世に出回る宮沢作品がほぼ生前未発表作なのもあって、実際のところは本人のみぞ知る(宮沢賢治という人物の歴史を繙く必要がある)のだなぁと思った。

解説以外にももう少し自発的に調べてみようと思う。

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