見出し画像

MIMMIのサーガあるいは年代記 ―29―


29/n

       第 三 章(だと思う?)


           血染めの桃子(2)
      「走れヒロコー! メロスになれ!」の巻です

「方向逆じゃない? どうしてこっちへ行くの?」
「お屋敷に帰るんです。あそこなら安全です」
「今日のために何日も部屋にこもって勉強したのに、無駄になる。引き返して。ヒロコー、運転を代わるのよ」
「だめです」
 などと、桃子と会話を交わしながら、オフィーリアはボディアーマーにセラミックプレートを挿入していました。先ほど襲撃者が使ったAK-47の7.62㎜弾は、ケブラー繊維だけの状態ではボディーアーマーを貫通してしまうからです。終えると、セラミックプレート入りのボディーアーマーを桃子に装着しました。
「むちゃ重ーい。暑ーい。いらない」
「しばらくの辛抱ですから。お嬢さま」

 一方、二人以外は襲撃のことを分析していました。
「襲撃者の手掛かりになるようなものはあったか」と、ロドリゴがゴンザレスに尋ねました。
「手掛かりなし。マスクの下は日本人っぽい……、いや東洋人だが、身元を示すものどころか紙くずひとつポケットにはいってなかった。衣服のラベルやタグも外してる。銃の製造番号も削り取ってある。どうせ東ヨーロッパか中東のコピーAK-47だろうが……」
「そんなに用意周到なわりには攻撃は杜撰ずさん。戦闘技術もお粗末だった。アサルトライフルを初めて撃つような素人よ。あれじゃ当たらない」と、エリカが言います。
「衛星電話、無線それに携帯電話もジャミング電波妨害がかかっていたわ。素人にしては準備が整いすぎてる。あまりにも不自然」と、ナナミンが疑問を口にしました。
「それで、屋敷とは連絡がついたのか」と、ロドリゴが聞きました。
「まだどれも繋がらない。お屋敷の周りににもジャミング電波妨害をかけてるのかも」と、エリカが答えます。
「ジャミングの範囲が大がかりすぎる。小さな組織ではできない」と、ゴンザレスが言います。
「奴らの意図も分からない。桃子お嬢さまを拉致するつもりだったのか、殺害するつもりだったのか。とにかく屋敷まで急いで帰ることだ。あそこなら防護は万全だ」ロドリゴはこう言い、運転している部下に命じました。「とにかく急げ。近道をするんだ。とにかく最短ルートで行け! とばせ!」

 蛸薬師小路たこやくしこうじ邸なら頑丈な高い三重の塀と鉄条網に囲まれ、地下シェルターや防空壕があります。頑丈な外壁は75㎜榴弾砲の直撃をしのげる設計になっています。さらに、対空火器として中古のツングースカ(注1)が一輌隠してあります。またこれも中古ですが対空携帯SAMスティンガー五基が用意されていました。このバンの防弾防爆装甲とは桁違いです。

 メキシコ人たちは車外を警戒しながらも、弾倉の發條バネの具合など、銃器や装備を再度点検を始めました。エリカとロドリゴは、二万五千分の一の紙製地図とタブレットに表示したデジタルマップを見比べ、蛸薬師小路邸までの道路や地形などを調べて潜在的な脅威評価をすると、帰宅ルートを指示していました。

 一行は山間部の曲がりくねった県道をはずれ、渓谷から大和平野の中心へ続く農道や市道へ向かいました。農道といっても県道と変わらない道幅と舗装で、縦横に張り巡らされています。農道の脇には、倉庫や住宅が疎らに点在し、ところどころに工場もあり、自動販売機の赤色や白の堵列も目につきます。
 さきほどまで大阪市内へ向かっていた山間部の九十九折れの山間道よりもずっと遠くまで見渡せます。

 一行の車は渓谷部を抜けて平野部に到ります。全方位ほとんどが、田植えが終わり緑と水をたたえた水田が拡がっています。お屋敷まではあと五十分程度でたどり着くでしょう。
「ここまでくればもう安全ね。お屋敷からの応援も期待できる。ヘリなら五分くらいの距離だし」と、エリカが気を緩めました。
「それにこの地形じゃ、待ち失せ攻撃場所も限られていて、見透しもきくから不意打ちは喰らわない」と、ロドリゴが賛成しました。

 先ほどまで、ボディアーマーを着せられた不満ばかりを口にしていた桃子が、憤然と二人をなじりました。

「二人ともなんてバカなの。元軍人でしょう。実戦経験も豊富なんだし。……平和なこの国にいてボケちゃったの?」
「どういうことですか。お嬢さま」と、ロドリゴが批難めいた口調で応じました。
「みんな士官学校出身で、ありきたりな軍人よりも人を多く殺し傷つけてきたはずだけど、将軍の経験はないでしょう。それどころか連隊長や大隊長の指揮経験もないでしょう。せいぜい特殊部隊二十人ばかり連れて先頭にたって戦闘したきた程度でしょう。そんな経験だけで物事を見ないで」
 桃子のこの見下した発言は、車内を静かにさせました。弾倉に銃弾を詰め直していた者の手を止めさせました。

「どういうことですか」ナナミンがしばらくたってから尋ねます。
「政略、戦略、作戦レベルの視点がないっということ。みんなは銃をもって泥沼を這いずりまわるレベルでしか考えてない。それが問題よ。士官学校で戦略なんかも教えられたんじゃないの? ……思い出したら」
 車内の雰囲気は冷たい反感から不審感に変わっていきます。ただ、ヒロコーだけはまったく話題に興味がありませんでした。ある意味、ここにいるたった一人のまともな人間でしょう。

「分からないの。全部解説しなきゃいけないの? 役立たずばかりだわ」
「お嬢さま。その言い方はあんまりですよ。みんなに分かるように言ってください」と、傍らのオフィーリアが袖を引いて小声でたしなめました。

「あの待ち伏せが素人くさかった、電波妨害は今も続いている、ってことは共通理解しているでしょう」
 他の者はてんでばらばらに頷きます。
「敵の目的は?」
「お嬢さまの拉致か殺害でしょう?」エリカが応じました。
「だけど、わたしはピンピンしてここで喋ってる。あなたたちだったら、そんな杜撰な待ち伏せを計画するの? そこよ!」
「だから奴らは素人なんです。だから失敗したのです」とゴンザレスが言い返すと、他の者も賛同しました。

「ゴンザレスは陸軍士官学校を何番で卒業したのよ。退学処分になったんじゃないの?」
 この桃子の揶揄に車内は笑いや、そうだ間違いない、という声に包まれます。
「入学から卒業まで、トップ五番以内にいましたよ」
 桃子は、このゴンザレスの返事を無視して続けます。

「あの待ち伏せがフェイントだとしたら? あなたたちのいう威力偵察っていうやつ。死んだ五人は初めから使い捨て前提の捨て駒。本当の目的はもっと大きなところにあったとしら?」
「というと……?」ロドリゴが真顔になって聞き返しました。

「あななたちは今、屋敷に帰れば安全、万全の防護だと言ったでしょう。あそこなら大抵の者は手が出せない、と言ったわ。このヒントでもう分かる筈よ。次の手を打ちなさい。急いで! あなたたちとお茶している暇はないのよ!」と桃子が鋭く言い放ち、ペットボトルの『午後の紅茶』(レモンティー)を一口含むと、あとは黙ってしまいました。

「堅固なお屋敷に残ってるメキシコ人も含めて武力勢力を邸外へおびき出して、野戦で殲滅する目的……その方が簡単」と、エリカが途中まで言いました。
「野戦で一挙に決着するために主力は他に控えている……」と、ナナミンが続けます。
「待ち伏せを逃れたわたしたちは、囮の生き餌……」エリカが補足しました。
「俺たちは二重のトラップにひっかかり、新しい待ち伏せ場所におびき出されている。この帰宅ルートを択ぶことも予測されてた。この人数で、水田ばかりが拡がるこの一帯では、俺たちはトリッキーな戦術も使えない。重火器が待ち構えてるかも……」と、ゴンザレス。

「俺たちを水田地帯のどこかで拘束包囲し、本部からの救援部隊が着いたら一挙に包囲殲滅のパターンか、移動途中に各個撃破。あとの無防備のお屋敷はどうにでもできる。ご主人を拉致しようと殺そうと思いのまま」彼が続けました。

「夏休みの宿題はよくできまつた」
「さすがにお爺さまとお婆さまが選んだ人たちだけはあるわ。……それでどうするの? もう時間がないのよ!」
「いや時間はまだある。ジャミングしている間は第二の待ち伏せ地点に来ていない。まだ罠は閉じられていない。屋敷と連絡する必要がある」とロドリゴは静かに呟き、運転手に速度を落とすように命じましたが、深刻に考え込んでいるようでした。

「生き餌なら生き餌になってやろうじゃないか。現時点なら敵は分散しているはずだ。逆に各個撃破してやる」と独りごちて、彼は地図を凝視しました。
「お嬢さまのことを考えて。髪の毛一本そこなっちゃいけないのよ。ここまま大阪へ向かいましょう。敵も予想していないはず」と、エリカが反対します。
「だめだ。俺とエリカは立場が違う。エリカはお嬢さんの安全が第一の任務。俺たちはご主人を含めた安全確保が契約になっている。俺はご主人たちとお嬢さま、それにあの屋敷自体も護らなくてはならないんだ」
「……」
 二人の刺々しい意見の対立は、他の同乗者を狼狽えさせましたが、この議論にあえて加わろうとはしません。

「エリカが間違ってる。わたしが今日生き延びても拉致されなかっても、せいぜい二、三日の余命じゃないかな。お爺さんとお婆さんが先に亡くなったら、桃子の人質としての価値はゼロよ。そんな無価値のわたしを見せしめに殺すことなど躊躇しないはず。つまり今ここで生き残っても、未来はないの」と、桃子が投げやりに言いました。
「それに、敵がわたしたちの動向を知らないはずがない。ドローンと電波傍受で移動経路も屋敷の様子も知っているはず。そうでないと、家からの応援を攻撃するタイミングがとれなくなってしまう。あななたちが敵ならそうするでしょう」
 エリカも不承不承頷きました。

「それで、ロドリゴ。どうするつもり?」と、桃子は彼に顔を向けました。
「この地点まで移動して、防御陣地を形成します。敵を引きつけ本部の部隊とで挟撃すます。この位置なら我々を追尾している部隊、待ち伏せている部隊、本部を監視している部隊を引きつけることができるでしょう。それに相応しい武器弾薬もこの車にはあります」
 彼はこれだけ説明して、紙製地図の一点にボールペンで印をつけました。また彼はこうも説明しました。

「ここは本部と現在地点を結ぶ一帯から外れていて、小高い丘陵の先端です。あたりを制管できるのはもちろんのこと、立てこもるに相応しい工場跡があります。約三倍からの敵……約四十人を一時間は支えきれるでしょう。この顔ぶれなら……」こう言うと、彼はタブレットの液晶に現れた航空写真の一点を示しました。
「防御戦術としてはいいようね。でもタイミングを間違えたら全滅」と、今まで口を挟まなかったオフィーリアが賛成します。「お屋敷とどう連絡するの? 通信手段もないのに」

「いい考えがある。車を駐めて。ヒロコーは降りて、その小便を雨で流すのよ。きれいになったら、こっちに近づいてもいいわよ」桃子が突拍子のないことを言いました。
 
 ヒロコーが車内へもどると、桃子は彼の肩に手を置き、宣言しました。
「ヒロコー。英雄になるときは今よ。今しかないのよ。『走れメロス』になるの。メロスになってみんなを救うのよ」と。
「どういうこと?」ヒロコーの代わりにナナミンが聞きます。だれも意味が分かりません。
「ヒロコーは伝言を持って屋敷へ走るの。今までの状況、ロドリゴの作戦、移動場所、反撃同調の合図などをすべて伝えるの」

「作戦内容なんて聞いていませんよ」と、ヒロコーは不満を言います。もっともなことでしょう。
「心配ないって、全部暗号化するから。たった二言、三言の暗号複号コードと、暗号の種類さえ覚えてればいいの」
「ゴンザレス、ヒロコーの服を全部剥ぐのよ。誰か、油性マジックを持ってない。ナナミン、今言った情報をすべて暗号化して。だけどこれまで使ってた暗号はだめよ。シフトJISコードそのままで書くの。だけど、数字は全部旧漢字の複雑なものに替えて。アルファベットは数文字分ずらして。暗号文の最初と最後は和歌の一首を、これまでの暗号で付け加えて。二種類の暗号を混ぜれば、スパコンでも解読に時間がかかるでしょう。いままで使っていた暗号よりは解読困難になるわ。この暗号文をゴンザレスがヒロコーの全身に書き記すのよ」

「なるほど、ワンタイムパッド暗号みたいなものね。簡単には解読できないはず」と、エリカが賛成しました。
 ナナミンは、「まるで。『耳なし芳一』ね」と言って、ノートパッドを起動させて作成を始めました。
「失敗する。ヒロコーは敵に捕まったらすぐに洗いざらい喋る」と、ロドリゴが反対しました。「それに時間が足らない。失敗したときの代案もない」
 桃子は、ヒロコーの目を見据え、肩においた手に力をいれました。
「ヒーローになるときは今でしょ」
「でも俺。自信がない。恐い。死ぬのは嫌だ!」
「余計な心配はしないで。とにかく全力で走り、帰ることだけを考えなさい。もし……」彼女はここで言葉を端折りました。

 桃子はオフィーリアがサイドアームとして腰のホルスターに挿している、セミオートマチックピストルH&K SFP9(注2)を引き抜きます。スライドを半分引いて薬室に弾薬があることを確かめます。次いで、弾倉を取り出して一発だけ弾薬を残して弾倉を空にします。再度弾倉を装填したH&K SFP9をヒロコーに手渡しました。

「これを持っていきなさい。二発はいってるわ。一発は念の為の予備よ。使引き金を引くだけの簡単なお仕事よ」桃子は打って変わったやさしい口調で言いました。
「そんなの嫌だ。死にたくない!」
「このままではみんな死んでしまうのよ。『走れメロス』に失敗したら、死んだ『英雄ヒロコー』になるしかないの」桃子の眼光は凄み、昔、夏祭りの夜に見た目と同じでした。

 彼は、行かないと桃子に殺されてしまうと実感し、ピストルを受け取ってしまいます。
「良い子ね。心配しないで、痛くないから。誰もが一度は経験することよ」
「準備ができるまでに、この車を上空から見えない処へやって。そこでヒロコーを降ろして」と桃子が言って、数本の大樹の枝が地面を覆う道路端まで大型バンを移動させました。

 ……
「できあがったわ。ゴンザレス、書いて」と言ってナナミンは画面が見えるように示し、彼は油性マジックでヒロコーの全身に書き写しました。
 十分後、一同の激励をうけて服を着てピストルをベルトにさしこんだヒロコーは走り出しました。死んだ『英雄ヒロコー』ではなく、『生きたメロス』として称えられるために……。
 車はヒロコーと反対の方向へ猛然と走り出します。

 ……
「あっ! いけね。ヒロコーに道順を教えるの忘れてた」と、桃子が大声をあげました。
「でも、まっ、いっか。なんとかなるよ。これって『戦場の霧』(注3)っていうのよね、ロドリゴ」と、彼女は笑い飛ばしました。
 他のだれもが道順を教えていないことに気づきませんでしたから、桃子の失敗には無反応ですが、『戦場の霧』については、それは違うだろう、と思って視線をかわしました。

 はたして、こんないい加減な作戦で大丈夫なのでしょうか。
 ヒロコーは車で一時間近くの距離を無事に走り通し『走れメロス』になれるのでしょうか。そもそもヒロコーは自分がどこにいるか分かっているのでしょうか。疑問は尽きませんね。

 やがて霧雨が本格的な降雨に変わり、雨滴は肌に痛いほど大きくなりました。路面は雨水が流れ始めました。

  (つづきますよ)


(注1)
ツングースカ

(注2)
H&K SFP9

(注3) 
 戦場の霧


この記事が参加している募集