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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―30―

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     第 三 章(きっとそうだ)

       血まみれの桃子(3)
       孤立無援! 四面楚歌
 
 桃子の一行は、ロドリゴが決戦予定戦場と決めた丘陵の裾野に到ります。夏草の生い茂った丘陵南端に、灰色と茶色が混じった工場跡の屋根が瞥見されました。丘陵への登り坂はコンクリートの路面がひび割れ、そこから生命力旺盛な雑草が生い茂っています。低く延びた丘の尾根部分に到ると平坦ですが、道路も空き地もジャングルのように草が生い茂り、灌木かんぼくに蔓草が這い上がっています。
 
 ここで、桃子たちの死命を左右する予定戦場を、ざっと見てみましょう。ロドリゴがここを選んだ理由が分かるというものです。
 この独立丘陵は長さ八百メートル余り、幅は凹凸があって約五十メートルから八十メートル余り。フランスパンを縦割りにしたような形で南北に延びています。丘陵の北は細い農道と幅二メートル足らずの小川を挟んで、もう一つ独立丘がありました。こちらは手入れがされていない竹藪と雑木林に覆われていて、登るのは難しそうです。
 
 丘陵は南端の細長い工場跡を最高地点として北へ緩やかに降っています。一番低くなっている部分が同時に一番幅広になっていて、ここからから平野へ降りる道が東側についています。そこまでの距離は工場跡から約六百メートル弱です。さらに北は再び緩やかな登り坂になり、北端付近は雑木林が茂っています。初夏のことですから、熱帯のジャングルよりもすさまじい蔓草などが樹木と背の高い草にまとわりつき、鉈で草木を薙ぎ払わないと踏破は困難です。
 多分、工場の敷地は丘を上り下りするあたりまでだったのでしょう。その証拠にコンクリートの道路と車回しのような場所が残っています。ほとんど草に覆われて見分けるのは難しいのですが。
 
 丘陵の周囲、特に工場のあたりはむき出しの土の急な崖となっています。登り道より北の崖は、コンクリートで防護された法面のりめんになっています。きっと昔はこちらの方が崩れやすい崖だったのかもしれません。

 要するに、守りやすく攻めにくい地形で、攻撃もおおむね一方面に限定され、周囲の丘陵下への制管できる立地だということです。
 
 丘陵を登り切るとロドリゴは、部下一名を降車させました。後方警戒のためです。ホセは素速く繁みの中に潜り込み、銃を構えて丘の下の車道と北東方向を監視しました。
 車は慎重に工場跡に進み、昔駐車場だったとおぼしき処で、建物跡を探索するため部下二名を派出します。斥候です。二人は左右に分かれ側面から工場跡に忍び寄りました。しばらくすると二人の姿は背高泡立草せいたかあわだちそうの繁みに混じって見えなくなりました。ロドリゴも降車して、丘陵の西下や北の地形を詳しく探っています。エリカは愛用のカールツァイス製小型双眼鏡を取り出して、周囲を観察します。雨と靄のために遠くまでは見渡せませんが、二万五千分の一の地図と違いがないことと、不審な車両が近くを走っていないこと、を見て取りました。
 
 工場跡へ斥候に出した内の一人、ゴンザレスが戻ってきました。
「異常なし。誰もいないが、内部は荒れている。壁が薄すぎて拳銃弾でも貫通しそうだ」とだけ報告しました。彼はここに立てこもることがが不満なのですが、他の場所を今から探す余裕もなく、現状を受け容れるしかないのです。彼の口ぶりからはそう感じられました。
「今登ってきた道筋が敵の主攻ルートになる。ブービートラップ(注1)がいるな。クレイモア地雷(注2)があればいいんだが……。手持ちの手榴弾とC4でなんとかしてくれ」と、ロドリゴはゴンザレスの報告にはふれず、言いました。
 ロドリゴを残して車は進みます。工場の引戸になった大きな扉がもう一人の斥候であるガルシアによって左右に開けられていたので、そのまま乗り入れました。
 
 すぐさま車体の各所に隠した武器弾薬が取り出されます。シートの背もたれをナイフで切り裂くと、M4カービンとエンフィールドM14が隠されています。天井部分を剥がすと、各種手榴弾を納めた紙箱があります。床を剥がすと、RPG-49(注3)のランチャー一基と榴弾三発、携帯短SAMスティンガーのランチャーと弾頭二発がありました。多量の銃弾もここに隠されていました。南米のナタであるマチェテも二本納められていました。これはジャングルのようなこの国の草木を薙ぎ払うのに敵していますが近接戦闘では非常に有効な武器になります。他にも雑多なものが思わぬところに隠されています。メキシコ麻薬カルテル出身のロドリゴたちにとってはお得意の技術です。ヘルメットも古代ギリシャ重装歩兵の鉄兜のように、頭部だけでなく両頬から顎辺りまでも覆うエア・ヘルメットが出て来ました。
 三人娘もMP-8に代えて野戦の長射程と威力を重視してM4カービンに持ち替え、ヘルメットも取り替えました。
 
 なかは荒れ放題で、廃業した工場ですから機械のたぐいはすべて取り外されていて、大きな物といえば外せないクレーンだけが残り、錆びた鎖を垂れています。東の隅に、トタン板や金属の廃材が積まれていました。
 屋根と壁の所々にある明かり取りの窓から、差し込む曇天の薄明かりだけが光源です。床には地元の子供たちが遊び場所として入り込み、残していった雑誌やポテトチップス、チョコバーなどの袋やペットボトルが散乱していますが、よほど経ったのか、廃油跡にこびり付いて変色していました。
 
 民家で言うなら三階部分にあたる高さに、キャットウォークが建物の中を巡っています。
「あれが事務所だったとこね」と、ナナミンが西端の急な階段の上を指さします。「上ってみましょう。あそこなら丘の南端が見下ろせるわ」
 工場の南一面が二階作りの事務所になっていて、模造皮革の表面が破れて中身が飛び出したソファや、肘掛けの壊れた椅子、壁から落ちたエアコン室内機などが散らばっていました。その中でただ一つ原形を留めていたのは、壁にかかった2031年のカレンダーでした。どんな素材からできているのか、真新しい白さを残し、一枚もめくられていない表紙の日の出の絵が鮮やかでした。
 エリカが銃床で事務所の窓ガラスをたたき割り、身を乗り出して下を覗き込みます。雨風が吹き込みますが誰も気にしません。
 
「ため池が二つある。池の下は急斜面。池を迂回しないと攻撃でいないから、こちらには有利ね」と、エリカが言いました。
「いや盲点にもなる。敵のレベルによるが、奇襲をかけてくるルートになる。それに、一番下の池縁からは、制圧射撃の射程内になって、この壁を貫通する」ロドリゴはこう言って、スレートと波板トタンを柱に貼りつけた外壁を叩いてみせました。
「キャットウォークからなら全周囲を狙撃できるわ。そこらの廃材で防弾するしかないか」と、ナナミンが口にしました。
 
「いずれにしろ、この人数で防御戦闘するには広すぎるなあ」と、ロドリゴは考え込みました。
 ロドリゴらメキシコ人四人と三人娘の合計七人しかいないのです。屋外に伏兵や反撃機動のための予備兵力を配置する余裕ありません。それどころか工場内の各方位に配置したら、死角が何カ所もできるのです。さらに悪いことに、オフィーリアは、桃子に常時付き添っていなければならないのです。彼女が応急キットで看護兵の役割もするとしても戦力低下は間違いないのです。
 
 ロドリゴらは、手早く工場内と周辺を歩きまわり、味方の配置場所を決めました。
 それにしても余りに形勢不利でした。彼ら(彼女を含む)全員は苦戦を何度か経験していて、もうこれまでか、と諦めかけたこともありましたが、今回は違います。敵の勢力がまったく不明なのです。十人なのか、三十人なのか、百人超えの中隊規模なのか、まさか連隊規模の人員を展開することはないものの、確証はありません。
 敵の練度も兵器も不明です。実際に交戦したしたのは、捨て駒のお粗末な五人だけですから。米海軍のネイビーシールズや露陸軍のスペツナズなどの著名な特殊部隊クラスなら、ロドリゴやエリカたちと同格かそれ以上の技量です。
 
 ただ有利な点もあります。それは時間です。
 一時間ほど前に山間道で賑やかな銃撃戦を起こしているのですから、治安当局は厳戒態勢を敷いたことでしょう。要所要所には検問所も設けられたことでしょう。SATなども待機体制にはいっているのではないでしょうか。また、国防軍も注目しているかもしれません。
 こんな環境で、武装した大人数の集団が素速く移動することは、不要な関心を招きます。戦闘も長時間に亘ると、軍、警察が介入してくるでしょう。敵には、一撃離脱の一過性の攻撃しかないでしょう。仮に桃子たちを殲滅しても時間がかかると、脱出できないのですから。
 短時間ならロドリゴたちもしのぎきれるでしょう。ですが万が一、敵が自爆攻撃を多用する一団だったら、この有利さもなくなります。なにしろお爺さんの敵は、多すぎるものですから。
 
 ロドリゴたちが防御方法を検討している間、オフィーリアはMP-8を構えて扉の陰から外を警戒していました。その前方には斥候に出ていたメキシコ人ガルシアが草むらから頭を出して周りを警戒しています。彼は既にヘルメットと両肩に草を挿して偽装し、草むらにとけ込んでいました。
 彼女はいつ襲ってくるか分からない敵を警戒しながら、この二時間たらずに巻き込まれた騒ぎを思い返しました。
 
 彼女をはじめ三人娘の使命は桃子をひたすら護ることに尽きます。オフィーリア自体は生きた盾となっても桃子を守り抜く覚悟ですが、他の二人がここで防御戦闘に乗り気になっていることが不安でした。桃子を護り抜いたとしても、まったくの無傷ではすまないでしょう。
 壁を簡単に貫通する銃弾や跳弾の弾雨は、桃子だけを都合よく避けてくれません。それにこの場所は第一、汚すぎました。桃子に相応しくないのです。それが証拠に桃子は車から降りようともしていません。

『たった今、車から重量物を投げ出し、桃子お嬢さまだけ乗せて全速力で逃げ出したら』と、幾度も考えました。
『あの屋敷から遠く離れた土地へ逃げ出したら? 東京の片隅で身を隠し、お嬢さまと二人だけでひっそりと隠れ暮らすのは? ……二人だけの生活……。途中で誰か襲ってきても、今朝のような連中なら六人くらいはなんとかしてみせる』
『これしか方法が残されていないのでは? お嬢さまを護り、幸せにするには……』
 彼女は桃子の乗った車の窓を振り返ります。桃子の周りには誰もいない今がチャンスです。
 これしかない、と彼女は決断しました。
 
 ……
 その直後、草むらに潜んだガルシアが大きく舌打ちをして、丘陵の登り道の方を指さします。登り道あたりに潜んだホセが、片手を挙げて振り回し、揃えて伸ばした五本の指で何度も北の方を指し示しています。
 ゴンザレスも彼女が方へ、さらに激しくなった雨のなかを駆け戻ってきました。
 
 時間切れです。敵が現れたのです。
 オフィーリアのささやかな企ても、蜉蝣かげろうよりもはかなく曙光も目にすることなく、頓挫してしまいました。そして、彼女は銃弾に倒れるまで、死んでも桃子を護って戦い抜こう、と考えを戦闘モードに切り替えました。
 
 登り道あたりに潜んだホセの方から、長い射撃音がとどろきました。フルオートのM-4カービンの銃声です。彼が牽制射撃をして、敵の前進を遅らしているのです。

 (つづく)


(注1) ブービートラップ
         

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%

(注2) クレイモア地雷

(注3) RPG-49
 2035年の時代設定のため、このようなRPGは現時では存在しません。 同様に、ケッヘラー&コッホのMP-8も架空のものです。
   (ミリオタが五月蠅いですからねwww)