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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―58―

 
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 第 四 章

    -傭 兵 隊 長 の 憂 鬱ー

 引き続き、蛸薬師小路邸を襲撃した武装集団指揮官通称ベンジャミンの供述概要を、『稲生家日次記』から抜粋引用していきます。なお、< >内書きは引用者注ですので、申し添えます。

             ⁂
【ベンジャミンの供述概要】
 愛娘と老母を人質に取られたのと同然のわたしに、『Y』社からの強い要求を拒絶、あるいは返答を引き延ばすことは無理だった。二人の肉親のために受け入れざるを得ない。わたしは、金のためでも、戦士としてのいさおが目的でも、名の知られた傭兵指揮官としての名望のためでもなく、二人の女性のために行ったのだと、理解してほしい。
 <彼の動機付けは、犯罪者にありがちな自己中心的な正当化ですね>
 
 ともあれ、皆殺しを引き受けた以上、わたしは全力を注いだ。成功しなければ二人とわたしの命が危ういのだから、『Y』社への要求も厳しくなった。
 
 まず、『Y』社に対して、指定の四人の傭兵をすぐに探し出し、わたしの元へ送り込むよう要求した。
 この四人は、それぞれ作戦、補給・兵站、通信・電子戦、謀略に長けた旧知の傭兵仲間だ。それぞれが得意分野で参謀としてわたしに協力することが成功に不可欠だった。
 もろもろの支援要員を含めると、大隊規模を超える人数が参加する作戦をわたし一人で担えない。司令部が必須となる。
 だから彼らが、中近東やアフリカで戦闘に従事中であろうが、フロリダで静養していようが、カラチの安酒場で飲み潰れていようが、三十六時間以内にここまでさし向けるように要求した。
 
 次に、わたしの参謀要員が到着する前に『Y』社に対して、大まかな武装、装備を用意させた。
 どうしてこの銃器規制の厳しいこの国に大量の武器を搬入するかは、元請けである『Y』の事情なのでわたしはあずかり知らぬ、と窓口担当者をつきはなした。
 個人装備は、戦闘用衣服・コンバットブーツ一式千着(足)、アサルトライフル八百挺、自動拳銃五十挺、破砕手榴弾……(中略)、延々とリストは続く。もちろん足のつかない移動用自動車、大型トラック、遠隔操作(有線)自爆用車輌十五輌とヘリコプター五機も必要だった。

 肝心の戦闘員だが、指揮要員、通信・電子戦要員約三十人を含む約八百人というのは一見多すぎるように思えるが、必須だった。
 『Y』社は民間軍事会社だから契約登録しながら仕事にあぶれている傭兵や同業者の傭兵をかき集め、わずか数日でこの人数を密かにここまで移送するのは困難だろうが、これも『Y』社の責任の範疇で、わたしは関係ない。
 無理と判断すればこの作戦を中止すればよい、契約書の文言一つも疎かにするな、わたしで不足なら別の誰かに替えろ、と窓口担当者をつっぱねた。
 
 最大の問題は、この寄せ集めの傭兵集団をどう編成して訓練させるかという難問だった。
 これについては時間がなく、また訓練する場所もなく、訓練どころか、各級指揮官と部下たちの顔合わせもまともにせずに作戦を開始してしまった。 ただし後日、司令部要員、電子戦要員と各級指揮官らについては、『Y』社が手配した奈良県南部の山岳地帯のある企業施設で「スモールビジネス事業者合同研修会」という偽装をして、意思統一と簡単な基礎トレーニングをすることができた。
 ほんの気休めにはなった。だが、われわれ個人請負業の傭兵とってこの研修会の偽装名称はある意味相応しいものだったので、全員が苦笑するしかなかった。この一度の苦笑が、この一連の作戦でだただ一つの笑いになったのは、いま思い出しても皮肉なものだ。
 
 ついで、攻撃対象の詳細な情報を求めた。
 蛸薬師小路たこやくしこうじ家の私兵数と装備兵器、敷地の構造、防御施設などの情報一切合財だ。本来ならば、わたしと参謀たちとで情報収集、分析し、予定戦場を観察するのだが、寄せ集めの傭兵たちの統制と調達兵器の管理で手一杯だったから、『Y』社に要求した。
 提供されたものは、各種縮地図と撮影時期不明なグーグルの航空写真、メキシコ人私兵たちの名前と経歴、小火器の種類、通信施設それと航空写真から推定される防護施設などで、民間軍事会社としてお粗末なものだった。
  
 要求した三十六時間の期限を八時間過ぎてから『Y』社は、参謀役四人をわたしのもとに届けた。
 大阪市西成のとても安いホテルで彼らと合流した。ここ一帯はこの十年でバックパック旅行の外国人が急増して、わたしたちが集まったとしても不自然なことは何もない適所だった。
 
 急遽集められた四人は、飛行機の中で作戦目的、作戦予定地と敵の概要を予め伝えられていたので、すぐさま作戦会議を開いた。
 彼らも一様に、作戦実施までの準備期間が短すぎる問題を指摘したが、指揮官であるわたしは、泣き言をいうな、そこを巧妙な作戦でカバーしろ、必要な武器。装備は”多分”『Y』社が完備してくれる、プロの意地をみせろ、などと彼らを叱咤した。
 だが、とりあえず作戦立案の前に予定戦場の情報収集と決め、五人で奈良の蛸薬師小路邸へ車二台に分乗して向かった。
 各種縮尺の紙地図、夜間暗視装置双眼鏡、偵察用小型ドローン一機に方位磁石(コンパス)を携帯して。
 夜間から夜明けまで、蛸薬師小路邸周辺の概況、周辺交通網の状況を観察した。
 
 参謀役四人は、それから半日をかけて第一次作戦案をつくりあげた。
 その内容は、わたしの腹案とほぼ合致していたが、大きな問題が残っていた。作戦成功後の撤退と国外への脱出だ。
 八百人以上の傭兵をいっときに全員国外脱出させる名案がまだなかった。
 傭兵たちの入国は、観光ツアーや視察目的のツアーで、それこそ百人単位の旅客機で数回にわけて入国させることができるが、脱出は同じ方法を執れない。この国がいくら太平楽でも、大規模な戦闘をおっぱじめたら、国境封鎖はないにしても、厳しいパスポート管理くらいはするはずだ。
 
 約八百人でこの国を相手に戦争をおっぱじめるのか?
 小国をクーデターで覆すなら十分な兵力、装備かもしれない。実際もっと少ない兵力でクーデターに成功しかけた実例もある。しかし、この広い国土と常備軍兵力を考え併せるとクーデタは実行不可能だ。
 蛸薬師小路一族殲滅せんめつ作戦が成功しても、約八百人の傭兵たちは散り散りになり、ゴキブリか鼠のように一匹ずつ獲物として惨めたらしく狩り立てられるだけだ。
 これでは高額の傭兵契約金の使い道なんて、彼らには夢でしかない。まるで自爆テロ要員だ。金より自分の命だ。確実な国外脱出方法がなくては、傭兵たちの士気があがるわけがない。それどころか、作戦参加を拒否する者や、政府に密告する者が頻出するだろう。むしろそのほうが正常な判断だ。われわれスモールビジネス経営者としては……。
 
 翌一日をかけてわたしたちは、レッドブルの空缶とコーヒーフィルターの山を築き上げて、なんとかそれらしい脱出計画を立案した。この脱出計画はあとで詳しく話すが、非常に限られた条件の下では巧妙なものだった、と自慢していいと思う。約八百人のうち一定程度以下の捨て駒、犠牲は、作戦上合理的な損耗だろう。
 
 こうして即席の作戦計画ができあがった。ただし細部には、『Y』社からの装備供給待ちとか国内社会情勢変化待ちの要素が残っていて、これらは状況に応じて順次対応するという、行き当たりばったりになってしまった。何度も繰り返すが、この作戦の準備期間があまりにも急で短かったのが欠点だった。
 作戦は次のとおりになったが、これでも概略だ。
 作戦実施にあたっては、四人の参謀と十人の副官に役割分担した。この作戦案概略を見てもらえば、わたしが傭兵の事前訓練、攻撃同調と習熟にこだわったか、理解してもらえるだろう。また、『Y社』に想像以上の兵員を要求したことも。
 
 攻撃開始時刻は、2035年8月4日薄暮≒18:30:00(0Day0h0m)
 この時刻には、桃子も彼女の養祖父母も、身辺護衛の若い女性二人も、メキシコ人の私兵も全員邸内にいると、『Y』諜報活動から判明していた。

 <明らかに誤情報に基づいていますね。聡明で美男美女な読者のみなさまは、この時刻には、お爺さんと天野、サンチョ、ロドリゴが東京都内に潜んでいることをご存じですよね>

(0Day-02h15m)
 カシオの腕時計Gショックで作戦開始時刻を再度確かめたのち、標的の首魁、桃子とその養祖父母の大きな顔写真を最後に確認した。なんの感情もわかない。弱々しい単なる標的にすぎない。洗面台で三人のポートレートに火をつけ、真っ黒な燃え滓になるのを確かめてから、部屋を出た。靴や着替えなどの身の回り品はそのままにした。これから始まる大事件ののち、これららの品からわたしの身元が判明するだろう。
 だが、わたしは既に存在しない。三百万ドルと成功報酬のボーナスで数字の膨らんだケイマン諸島の仮名口座を抱えて、南太平洋のビーチでよく冷えてグラスに水滴が滴るジン・ライムを飲んでいるだろう。愛娘と老母とともに……。逃げおおせるだろう。
 安ホテルの部屋を出ると、たむろしていた四人の参謀たちが振り向く。
 わたしは黙ってうなずいた。
 『さあ! 狩の時だ!』

 (とうぜんつづきますよ)
 
* 冒頭画像は、ジェノバ共和国の傭兵隊長アンドレア・ドーリア像
        作:セバスティアーノ・デル・ピオンボ

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