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一月にみた不思議な夢(再掲)

 五日ほど前に見た夢である。今までにない形態の夢だった。

 夕方か夜の暗いなか、電車で財布を置き忘れた。しかたなく銀行で預金を三万円ほどおろし、クリーム色の綿製の袋に入れておいたのだが、これも座席に置き忘れてしまった。深緑色の、京阪電車普通車両の座席のような色の上に、クリーム色の袋が三角型の形でおかれている情景が目の底に残っている。
 駅に紛失を届けようと最寄りの駅で下車するのだが、路線名が分からない、また降りた駅名もプラットホームに掲出されていない。行き先の駅名は書いてあるが、初めて目にするもので漢字の読み方がわからず、前後の駅名は表示がない。だがこの駅が始発だとは考えがたい、何駅も通過してきたのだから。反対側のプラットホームには、駅名の表示はあるが、それは別路線の駅名でわたしが乗ってきた路線とは違う、ということがなぜか分かった。

 しかたなく地上に上がり改札を出て、改札上の掲示板を見るが、いろんな駅名などが毒々しい電子色に掲出されているが、行き先駅、始発駅などはまったく見たことも聞いたこともない駅名ばかりである。大阪より東京郊外の駅なのかもしれない。だが、東京なら大阪郊外の駅名よりも知名度は高いのではないだろうか。
 駅の窓口で、駅員にいろいろと聞きながら紛失届を書こうとするが、紛失に気づいた駅名にもまして何両目に置き忘れたのか、降車時に数えるのを忘れていたとに気づいた。いままで何度か置き忘れをしたが、乗っていた車両数を忘れたことはなかったので、大きな失敗だった。一層なくしたものが戻る公算が低くなったことを悟る。
 届け出用紙に記入しようとするのだが、煩雑な項目と枚数が多いので、駅員に過去の記入例を見せてくれるように頼んだ。すると駅員は、部厚い冊子を十冊ばかり持ち出してきてわたしの前に置いた。小さな記入用の机に山積みである。この山が崩れないよう、横長の分厚い冊子を開くが見づらい、ページをめくりにくいなどで時間ばかりが過ぎていった。無くした三万円をなかば諦める気持ちで、駅員に自宅に持ち帰って作成すると言って、十枚近くある必要書類の一枚だけを手にした。

 なぜか自暴自棄的な気持ちで再び電車に乗った。自暴自棄だからどこか余り知らない所へいきたくなっていた。大山崎かその近くに昔よくかよっていた料亭か料理旅館があったらしいので、そこへ向かうことにする。(あのあたりへは行ったことがないのに。料亭などがあることも知らない)さきほどの路線に乗っているのか分からなかったのとは裏腹に、今度はJR東海道線の各停で京都方面に向かっているのを知っていた。
 目的地の駅で降りる。駅前から――駅前というよりどこか豪邸の裏口から庭園へ出るような光景だった――松の緑に見え隠れする未舗装の緩やかな登り坂を数分歩くと、そこへついた。駅はこの店専用のように近くにあったことになる。

 夢の中では、その店へ行くのは大方十年ぶりで、その昔も頻繁に利用する常連客でもなかったので、女将おかみがわたしのことを覚えているのか、そもそもその店が未だあるのか不安であった。
 店はあった。明るく広い座敷間にとおされ、しばらくすると女将が出てきた。わたしのことを、三日前に来た客のように覚えていて、永年の常連客のように愛想良く接してくれた。そもそもこの店は、前に言ったように料亭なのか料理旅館なのか秘密クラブなのか、昔から分からないのだが、座敷があって、日本料理も洋風料理も提供し、美人の女将と仲居がいることだけを夢の中で知っていた。

 女将は昔みたように美しく若いままだった。高価な和服を粋筋らしくなく上品に着こなす、この業界の人間ではないように目に映る。年齢は三十を少しばかり過ぎた色白で、体の線は細かった。
 店はまだやっているのかと尋ねると、昔どおりだと答えがある。わたしが知っていた昔の知り合いはいまだに来るのかと問うと、あいまいな返事しかしない。
 わたしが電車で二度も財布を置き忘れたことや、紛失届が煩雑なことを告げ、今夕ゆっくりくつろがせてくれるか探りをいれると、愛想良く「ゆっくりしていってください」と、受け入れてくれた。

 料理が出来るまで、広い座敷に茶色の卓を前にして独りでしばらく待たされた。その間に先ほどの紛失届の必要事項に適当に記入した。
 簡単な料理と日本酒が用意された。仲居が配膳を終わると、女将は、紛失届けは仲居が提出してうまく処理する、と言った。それが郵送なのか最寄りの駅を通じて提出されるのか知らないが、しっかりした様子の若い仲居なので、問題がない、わたしが自分でするより上手に受付、処理されるような気がした。鉄道関係に強いコネでもあるような、いや鉄道関係ばかりでなくあらゆる業界にツテがあるような気がしていた。

 酒をお猪口二杯ばかり口にして、彼女と昔話をした。
 昔、ここによく来た理由は、この店の少し山側に老婆と若い娘が住んでいて、その娘めあてにわたしたち若い男性が頻繁にこの店を訪れたからだった、ことを思い出した。その娘と老婆が母娘なのか祖母と孫娘なのかは知らなかった。その娘が色白で華奢な体つきなどが女将に似ていることから、女将の娘ではないかとも推測し、男同士であれこれと詮索したこともあった。 若い頃の前向きで華やいでいた自分を懐かしむ。勝算が幾ら低くとも、淡い希望がまだ残っていた、と思い返す。女将は、当時のわたしたちの行いを、評価を交えずに淡々と語っていた。
 その娘は近郊の大学の准教授と結婚したから、そのあとあの老婆は今はどうなのか、と訊いてみた。まだ独りで生活しているという。
「この後に、尋ねてみますか? よろこびますよ」と勧められたが、あの若い娘を取り巻いていた大勢の男の群れの、そのまた外れにいたようなわたしのことを覚えているはずがないと考えたので、ずいぶんと気後れしたが、あの娘を思い出すために勧めに応じた。

 駅前からこの店に到るよりも急な、土が露わな折れ坂を上がると、小さな古びた家が昔のままにあった。坂道には小幅な間隔で石の桟が打ち込まれ、階段と土留めの役割をしていた。
 その老婆も昔のままで歳を経てない容姿で、わたしを嬉しげに見、よく覚えていると言ってくれた。本当かどうか疑わしかったが、嘘や愛想を言っているようには映らなかった。

 ここで彼女の結婚披露宴のことを思い出した。
 その娘にとってはその他大勢の一人にしか過ぎないわたしを披露宴になぜか招待してくれた。彼女の意図を見抜く端緒はなにもなく、わたしも喜んでいいやら、悲しんでいいやら、怒ってみるべきなのかまったく分からなかったが、彼女の美しい姿の見納めになるので、臆面も無く披露宴へ出席した。

 その場所は、ありきたりなホテルの宴会場ではなく、屋外のコンクリートを打ちっぱなしにした小ぶりな造形物――あるいは芸術品――をいくつか配置した野外コンサートホールの一角のようなところだった。ただホールと違うところはステージや観客席がない平面な場所だった。
 新郎はその会場にまばらに散らばる招待客のあいだを、ゆっくりと歩き回っている。麻色のスーツ――純白のあの醜悪な新郎の制服〈!〉では決してない――をまとってにこやかにしている。わたしは彼を初めて目にするのだが、学歴や知性、社会的地位もさることながら、容姿やスタイルでも遠く及ばないことを自覚させられた。だから彼に反感や敵意などは一切わかなかった。むしろ彼女にはもっとも相応しいように見えた。

 新婦は彼以上に素晴らしかった。純白のロングドレスをまとい、口をつけていないシャンパンのフルートグラスを手にしてゆっくりと客の間を歩き、簡単な挨拶を交わしている。わたしの順番が来た時、わたしが何を言ったか覚えていないが、ありきたりの社交辞令を口にしていたと思う。それから、黙ってシャンパングラスをこころもち掲げて、彼女に敬意と別れの挨拶とした。
 それはそれはとても質素ながらもっとも華麗な披露宴だった。この披露宴を典雅に飾り付けるのは、優雅な新郎新婦であったから。

 わたしが当時を思い出していると、
「あの頃は若い人たちが大勢いらっしゃいましたね」と、老婆が独り言を言う。何かの小説のなかの台詞だったような記憶があった。
 その若い男たちすべてが、あの娘目当てだったことは、老婆もわたしも既知のことだったから、わたしは相づちをうつことも、彼女が返答を求めることもなかった。
 あの華やいだ娘が今どうしているかは、尋ねなかった。無粋なような気がしたからである。
「ひとりではさみしくないですか」とだけ、訊いてみた。
「ちっとも」とだけ返事をした。彼女は、わたしの気持ちを充分にわかってくれていると思った。
 女将が目配せをしたのが、退席の合図だった。

 老婆と女将の顔貌は似ていないことはないが、親子なのか親族なのか、まったくの他人なのか推測するてがかりはなかった。ただその昔、あの娘を一目みるために、この料亭らしき店を訪れ、そこから老婆が住む高台にまで昇ったのだから、深い関係にあったのは確かだろう。
 あるいは、と想像した。昔と変わらない女将は、あの娘ではないか。横にいる美しい女将は、あの娘の十数年後なのだと。
 もちろん、この想像は口にできない。昔の美しかった女将への記憶と、さらに美しかった娘への懐古をことさら毀損する必要もないように思われた。それらはそのまま、そっと保存しておくべきだと。それはあの頃のわたしを永久冷凍して保存するようなものだと。いまさら過ぎ去った美しいものを傷つける必要があろうか。
 女将とわたしは、なにも言わずもとの座敷へもどった。

 ここから、この夢は変な方向へ暗転する。
「お困りでしょ? これをお使いください」と、彼女は茶色の事務封筒を手渡した。
 わたしが財布を二度置き忘れ手持ち金がないから、一万円札でもはいっているのか、と考えた。
「そんなの借りる関係じゃない。常連客でもなかったし、客だったのは十年以上前のことだから、そんなことをする必要はない」と、強く断った。
「お貸しするのではなく、お使いください。わたしにはあってもなくてもいいものですから、お使いください。余って困っています」と、不思議なことを口にした。
 結局、その封筒を受け取った。あくまで一時的に借りる、と自分の中で整理して。
 その晩は、さらに奥の客間に泊まることになったが、空腹になったのでラーメンを食べに駅前の中華料理屋へ下った。ありふれた店で、支払いの時に封筒から一万円札を引き抜いたが、封筒の中にはまだ札が数枚見える。さらに覗くと、薄い封筒だと思っていたら、片手では握れないほどの厚みのある札束がはいっている。厚さから想像すると一千万ははいっていそうである。
 これに愕いて、急いで座敷へもどったが、女将はいない。仲居数人に訊ねまわって、彼女が客の接待をしている座敷に立ち入った。
 客はわたし一人と信じ込んでいたが、この座敷では数人が膳を前にして飲食していた。彼女は、少し客から離れたとおろに静かに坐っている。

 客を眺めると、昔とは違い中年客ばかりで、それもかつてのバブル成金の不動産屋か高利貸のような趣味の悪い服装で、あぐらをかいて坐っている。それについさっきわたしが食べたラーメン屋の店主も仕事着のまま、客かなにかわからぬ格好で着座しているではないか。

 女将の傍へよって、語調もするどく言った。
「こんな大金、受け取る訳にはいかない。借りるにしてもこんな大金は返すあてがないからこのまま返す。一万円は知らずに使ってしまったので、それは明日すぐに返すから」
 部厚い封筒を彼女に押しつけるが、彼女は体を背ける。
「一千万の大金なんて、持っていられない」
「一千万じゃなくて、二千万円です。お貸しするんじゃなくて、お渡しするのです。ご自由にお使いください」
「貰うなんて、借りる以上にいわれがない」
「お金は余っていますから、無くなってもわたしはまったく困りません」と、彼女がまた断言した。
 ここでわたしは、ちょっと心が動いた。ちょっとどころか大いに動いた。しかし、人間関係がまったくない彼女から金を受け取ることはできない。そもそも彼女の氏名も聞いたことがないのである。

 こうした押し問答を彼女と繰り返していると、客の一人が声をあげた。いかにも高利貸のような大柄な縦縞模様の背広を着ている。
「それは、わしの金じゃ。二千万円ある。お前に貸してやる。それを倍にして返したらええんじゃ」
 彼が言ってることの意味がよく分からなかったが、なおさらこの部厚い封筒を受け取ることは絶対にできない。
「なら、このままそっくりお返しします。倍にして返すようなことは出来ません。わたしには、事業を興して金を儲ける才能なんてありません。無理です」
「その二千万を元金にして起業したらええんじゃ」
「いまどき二千万で起業なんて少なすぎてできません。それに、わたしは会社が急に潰れたり、起業してもすぐに夜逃げをした例をいっぱい見ているので、あてもなしに起業なんてしません」
「二千万から増やすのが、才覚や」彼はよく意味のとおらないことを喋ったが、酒に酔っていたわけでもなさそうだった。

 彼の連れの客はだまってわたしたちのやりとりを聞き流している。女将も同様である。今までの説明からすると、彼の金を女将がそのままわたしに渡したことになる。彼は貸したと言い彼女は贈与だと言ったが、金の出所、所有者はこの男なのではないか。二人の関係を疑問に思った。スポンサーの関係か、それとも料亭か料理旅館か知らないがこの店の所有者は彼で、彼女はたんなる雇われ女将。仲居と大して変わらないのか。そう考えると、なぜかわたしは小さな喪失感が冷たく胸底に沈んでいった。悲しみに似ていないことはない。

「わたしもいまどき二千万くらいじゃなにも事業はできないできない、と思いますがね。わたしがいい例です。もっとつぎ込んでますよ」
 客かどうか分からないラーメン屋の店主が、わたしの主張に同意して声をあげてくれた。
 このあたりで夢は、まとまりもなく中断し、終わった。

 自由に使える二千万は魅力的だった。夢の中でも、無駄遣いは決してしないから、貰えたら嬉しいと喜んでいる自分がいた。
 また、彼女を喪ってしまったような後味の悪さもあった。あの娘とまではいかないまでも、この女将に、今の美しい女将にも好意を抱いているのではなかろうか、とも夢が半覚半睡状態で思ってみたりした。

 この夢を思い出しながら文書にしている今になって思いついたのだが、あの昔の憧れの娘は、夢の中で横にいた女将その人ではなかったか、と。そして高利貸のような風体の客は、彼女が結婚した欠点など一つも見当たりそうになかった准教授の現在ではなかったか、と。
 ただ、美しい女将あるいは昔のあの素晴らしい娘が、わたしに好意らしきもの、あるいはしたしみを示してくれたのは、単にわたしの願望だけだと、解釈している。