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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―26―

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         五月闇さつきやみ
             -桃子への求婚者残り3人?-

 年期の入った古ぼけたみののありかを彼らは特定していました。
 あとはF.A.Tに開発を命じた光学迷彩装置を、この古ぼけた簔に装着したら「隠れ簔」は完成します。今は古びた簔を入手して、あとは光学迷彩装置の完成を待つより他に術がありません。
 ビルは、こう考えると岐阜県北部の山中へ超大型モーターホーム(キャンピングカー)をゆっくりと走らせました。首都高海岸線から中央自動車道、長野自動車道を経て岐阜県へ入ります。国道158号線を西へ進み、飛騨高山と白川郷という観光名所も過ぎ、一転して国道156号線を南下すると、その先の脇道が目的地になります。
 
 ビルは、都心から郊外、山間部に挟まれた地方都市へと風景が変化していくのにまったく関心がありませんでした。そもそも急遽借り上げた大型モーターホーム、それは大型バス以上の大きさで、始末に負えない化け物でした。ディーゼル発電機、衛星通信システムや各種IT機器などが完備されていて、米国の本社で仕事をするのと大差ない環境を提供しています。ビルのことですから、この大きさのモーターホームでは一般的な快適性を追求するのではなく、ビジネス優先に改造していました。
 
 彼は車窓のシールドをすべて降ろし、めまぐるしく変化していく眼前の株価と先物取引の数値グラフを眺めるか、先ほど社内でまとめられた投資レポートを読むことしか関心がありませんでした。同乗しているスタッフたちが、ビルが漏らす溜息、怒声、罵り、うなり声だけを頼りに、本社で平素行っているように彼の心中を読んで先物取引の銘柄と価格を推測して直ちに売買を繰り返しています。
 
 こうするうちに、F.A.TのCTOが衛星電話で呼び出してきました。
「やあ、ビル。映像投影型光学迷彩を研究している会社をM&Aしたばかりだ。喜んでくれ。先方に連絡したらビルがお望みのレベルのものをすでに試作していた。最新のプロトタイプをそっちに送るよ。至急と言うことだったんで、空軍のF15ゴールデンイーグルⅡを無理やりチャーターした。
 あと八時間ほどしたら着くと思う。かかった費用の総額は今積算中だ。
 ……おっと、F15の空中給油機も数機配置しないといけないから……それはあとで。そうそう……」
 ここまで喋ると山かなにかに電波が遮られて、通信がたびたび中断していまいます。
 
 
 CTOが喋り続けるのを遮り、ビルはその光学迷彩装置の大きさや機能、操作方法について尋ねましたが、衛星電話から返ってくる音声のタイムラグの長さとエコーには、いつになっても苛々させられて慣れることができません。

 CTOが言うには、その装置は横五十八インチ縦九十八インチ程度で柔軟性があるが、ただ電源用のガソリンエンジン発電機をつなぐ電源コードが二十ヤード程度、操作用コントローラーの重さが十五ポンドほどになるそうです。本体は厚さ五インチ程度。そしてその光学迷彩の裏面には対象物の背後の光景を撮影するめの小型カメラ百八個が配置され、撮影された画像を統合し、光学迷彩表面の第四世代有機ELに画素単位で背後の光景を投影する方式だという。
 
 この光学迷彩装置の起動に十五分、背後の光景の撮影と画像統合と外的環境の明るさと調整や装置の形状に合致した画像変換などの情報処理に二十分間かかるということになります。この装置は可変可能であるが大きな皺ができると投影する画像が湾曲してしまい、またある速度以上で移動すると、背後の光景撮影から表面への投影までの情報処理時間が追随できないということでした。
 
「まあ、そんなものです。付け加えるならば……」
「いやそれで十分だ!」ビルが衛星電話越しの会話に苛立って通話を終えようとしたが、一つ忘れていたことに気づきます。
「素人にも簡単に使えるんだろうな。テレビのチャンネルをボタンで換えるくらいには簡単になっているんだろう?」
「ああっ。いけねえ、忘れてた。素人には無理です。……開発技術者も複座F15で追送しますから、ご心配なく」と、F.A.TのCTOが大声が受話器をとおして響いてきました。
 
 ビルは衛星電話を放り出すと、体を伸ばしてあくびをしました。これでほぼ目的を達した、米空軍のF15二機(空中給油機が何機要るのかは勘定にいれませんでした)で運ばれてくる光学迷彩装置と、歩く使用説明書を関空に強行に着陸させて奈良まで運ぶだけのことだ、あと半日もすれば蛸薬師小路家の高慢な使用人たちと我が儘な桃子を驚かすことができるのだ、と近い未来に満足しました。
 古ぼけた簔はほんの半径十数キロ以内にあるはずです。ですが、車は既に停まっていました。
 
「ここが目的地か? ずいぶん時間をロスしたもんだ」と、彼は車窓のシールドを挙げて、外の様子を確かめました。
道路の右側は鬱蒼とした険しい山が迫り、道路の右側は水面も満足に見下ろせない深い渓流がありました。
 実は先ほどから車は停まっていたのですが、F.A.TのCTOと携帯電話で話し込んでいて気づかなかったのです。
 どうして、いつから、どういう理由で停まっているのか、目的地にはあと何分で着くのかと、スタッフの一人に問いかけました。
 県道を逸れて枝道に入ったがモーターホームが大きすぎてカーブが曲がれきれず立ち往生してしまったという弁解が、おどおどとした口調でありました。
 
「オフロードバイクに乗り換えて、目的地へ行く。二人ついて来い。GPS受信機と衛星電話をわすれるな」と、弁解したスタッフに命じました。この巨大なモーターホームの後下部には小型乗用車一台を収容するスペースがあるのですが、ビルは自動車の代わりに万が一に備えて機動力の高いオフロードバイクを収容していました。
 モーターホームの外に出たビルと随行者二人(そのうち一人は通訳)は、外気の蒸し暑さを汚い四文字単語で罵りました。その上車外に出た途端、先ほどまでは霧雨だったのが本降りになってしまう間の悪さです。そう、この国の呪うべき雨期、すなわち梅雨が本格的になったのです。

 さきほど弁解したスタッフを先頭にして、予め調べてセットしていた座標に向けて、モーターホームと道路脇のガードレールの間の狭い隙間をなんとか通り抜け、前へでます。この先の路上には車両も人も見当たりませんが、雨水が渓流に向かって流れてゆき、視界も悪いのです。
 三人は心細そうに雨具のフードを上げて、空と周囲を見渡しました。この雨が豪雨に変わるのでは、雨で右手の崖が崩落するのでは、このモーターホームに無事に帰り着くことができるのか、としばし不安になったからです。ですがビルは自分自身と随行者を叱咤しました。
「行くぞ! ボヤボヤするな……しかし注意深くな。事故を起こした奴は置いて行く」
 
 GPS受信機に入力していた座標にほんの三十分で事故もなく着きました。山峡がだいぶ広くなり、なだらかな斜面に十数軒の民家が点在していました。
「たぶんあれのようです。GPS衛星からうまく受信できないのですが」と、通訳が指さしました。
 その民家はこの小さな集落の頂にあり、野積みらしい石垣の上に鎮座し、そこへ登る道はこれまでの枝道より幅広く、コンクリート舗装されています。ビルが日本語が読めたなら、敷地の入口に〇〇温泉民宿と書いてあるのが分かったでしょう。
 ただ、この民宿は軽量ブロック造り三階建で、古い簔も古びた外壁もありません。
 
「見当たらないじゃないか。それにブリーフィングの時に見た外観とまったく違う。本当にここなのか?」ビルは批難の口調で随行者に問いました。
「グーグルストリートビューの画像が古いのです。八年前から更新されていませんから。多分、ここは建て替えたのでしょう。とにかく行ってみましょう」と、朝から弁解ばかりすることになったスタッフが答えました。
「簔はどこだ? 今すぐ必要なのだ。すぐ売ってくれ」と、ビルは玄関の引き戸ガラスを開けきるまでに大声で叫んでいました。
 
 驚いて飛び出して来て、突如闖入してきた外人三人組に戸惑った主人に、通訳が長々とここまで来た目的を説明しました。
 彼が説明しきらないうちにビルは、「言い値で買うぞ。急ぐんだ。それとこのあたりにヘリが着陸できる広場はないのか?」とわめき立て、もう一人の随行者に向かって指を鳴らしました。
 そのスタッフは、雨具の中に手を入れて、雨水と汗が染みこんだジャケットの内ポケットから銀行の帯封のついた札束を取り出してビルに手渡しました。主人の掌にビルは帯封付きの札束を叩きつけます。
 民宿の主人は、目を白黒させるばかりで状況がまったく理解できません。通訳が長い長い説明を終え、今ビルが言った部分を日本語に翻訳すると、
「あのディスプレー用の簔は、もうありません」と、答えました。
 ビルがもう一度指を鳴らすと、スタッフが帯封つきの札束をもう一つ取り出しまします。
 ビルは札束を主人の掌の上にもう一つ積み増した。彼は、主人が値段交渉をしているのだと誤解しているのです。
 
「残念ながらもうありません。ネットから新しい簔が簡単に買えますよ」
「本当にないのか? 無いならある場所を知ってるか? 古い古い簔だ」
「近くの知人が持ってる」
 こう主人が答えると、通訳が寄ってきてこの辺りの地図を広げました。山間部でGPSが機能しないことを予想して、予め用意していたのです。
 主人は、急に地図を突きつけられて問われた人が戸惑って必ずするように、地図を何回もまわし現在位置を認め、目的地を指さしました。
「間違いないか? もっと細かく指示できないのか?」と、通訳が念を押しました。
「間違いない。行けば一目瞭然。一軒家だから」
 通訳がビルに頷くと、この雇用主は民宿経営者の掌の上から札束を取り上げ、代わりに自分のポケットから取り出した十ドル紙幣一枚を押しつけます。
「チップだ」と、だけ言って背を向けました。大資産家の彼は、本当は大吝嗇りんしょく家なのです。
 
 民宿の主人が指し示した場所は、近いと云っても二十㎞余り離れた更に険しい山奥です。通訳はオフロードバイクを停めた場所から地図と周囲の地形を見比べ、その場所は近くの山を三つ越えたあたりにあり、大きく迂回しなくてななりません。雨は小降りになったものの、周囲の山々は険しく、その上、中腹まで雲か霧かはたまた水蒸気で覆われていて、前途の多難を明示しているようでした。
 
 二時間余り後、這々の態ほうほうのていでやっとたどり着きました。 崖から落ちそうになったり、オフロードバイクがスタックしたり、未舗装の道路を遮る濁流に流されるなどの危険を冒した結果です。ですがビルはこれらを困難とは思わず、神が与えた賜うた試練と考えていました。この試練を克服した自分には恩寵があり、得る筈の成果は一層美味なものになるだろうと信じています。
 
 ……なるほど古びた簔はありました。孤立した一軒家の納屋とおぼしき木造建物の外壁に、それは掛かっていました。朽ち果てそうなほど古い物です。隠れ簔にとても相応しく思えます。
 ビルはそこへ向かって走ります。バイクではとても登り切れない登り坂の泥道が続いているのですから。
「これで買い取れ。値段交渉はなしだ。急げ」と、ビルが通訳に三つの札束を手渡し母屋に向かわせました。

 ビルは泥のなかで何度も転び、足首を捻挫してうめき声を上げましたが、昇ることを諦めません。助け起こそうとするスタッフの手も払いのけます。 神が与えた最後の試練だと信じているのです。
 この最後の試練のあとのことで頭がいっぱいになっています。それは、狩猟家が居間に掲げた獲物の、猛獣や巨大動物の首の剥製のように、トロフィーワイフを世間に誇ることができる近未来を思い描いているのです。
 
 二人はやっとのことで納屋までたどり着きました。そこは麓から見上げた時とは違い、とてもとても高い石垣の上に位置し、簔が掛かっている場所は納屋の入口のずいぶん上にあって、とうてい手が届きません。
 梅雨空の厚い雲のために、日没後の薄明かりほどしか明かりは残っていません。

「Ton of Sh〇t! 梯子はしごだ! 梯子を持ってこい! 急げ! すぐに真っ暗になっちまう」ビルはスタッフと戻って来た通訳に叫びます。
 梯子は簡単に見つかりました。納屋の軒下に木製のものが納めてあったからです。三人がかりで泥の中を簔の下まで引きずってきて立て掛けます。
「俺が登る。邪魔をするな!」ビルは、危ないから代わりに梯子を上がると言った二人の手を振りほどき、朽ちかけたような古い梯子に片足をのせます。
「しっかり支えろ! 手を離すな!」
 
 彼は慎重に、一歩づつ足掛かりを確かめながらあがります。神の祝福を受けた輝かしい栄光へ、一歩づつ近づくのです。あたかも天上に昇るように。息を切らして手と足を交互に体重を移しました。
「揺らすなよ、しっかり支えていろよ。もう少しだ」こう言うと同時に、彼は簔に手が届いた直後のことも手落ち無く見据えていました。
 簔を手にして降りる際が上るよりもよっぽど危険である、安心して気が緩む時が一番危ない、地面に足が着く数歩前が最悪である、そこに気を付けなければいけない、あとが大事である、と先のことに思い巡らしていました。 さすがに成功した投資家は、とても用心深いのですね。そう、徒然草に出てくる木登り名人の逸話にそっくりでしょう。
 
 あと三段で簔の裾に手が届きます。ですが彼は気を緩めません。「隠れ簔」を完成させて、桃子と面会する権利を得て、……彼女とテキサスの晴天の下で結婚パーティを盛大に開いて、この小旅行は終わるのです。古びた簔を手に入れるのはまだ端緒に過ぎないのです。
 梯子の上から二番目の踏段に体重を預けます。左手は納屋の壁に、右手は簔をしっかりと手摑んでいました。
『用心するのはこれからだ、油断するなよビル!』と、彼は自身に叫びました。
 しかし、口から出た言葉は、「アッ!」でした。
 梯子の踏段が朽ち折れたのでした。

 地面に落ちた彼は、簔を手放していました。したたか腰を打ちましたが、地面は脛まで埋まる軟泥なので、幸いにも腰の骨を折ることはありません。
「くそっ、もう一度登るぞ。手を貸せ」と、不屈の闘志を見せますが声は弱々しいものでした。それに腰骨は折っていないものの、その他の骨十数カ所が複雑骨折やヒビがはいった状態で、切創も少なくありません。両手を突いても上半身を満足に起こせませんでした。

 二人の随行者は目配せし、黙諾しました。それはとりあえず雨に濡れない軒下までビルを引き釣りこみ、なんとかして最短距離にある病院まで運び込むことです。
 この梅雨空ではヘリを飛ばすこともできず、ここには着陸する場所もなく、救急車を呼ぶにも、ここへ到った道路事情を思い返すと、救急車もすんなりとは到着しそうになりません。
「戻せ! あの簔に手がかかっていたんだ。もう一度やる!」と喚きますが、二人は力なく首を振るばかりです。

 聡明なビルのことですから、泥まみれで誰彼の見分けが付かない姿格好になっているのを知ると、絶望的な状況を次第に理解します。彼は、もう五月闇の暗さしか目にはいりませんでした。そう、気を失ったのです。
 彼が気を失う寸前の悲痛な「桃子~ぉぉ!」という絶叫は、この山間部二㎞四方に雨脚を貫いて響き渡ったと、あとあとまで言い伝えられています。そしてこの絶叫には執念ではなく怨念が込められていたとも。
 
 ……
 結局ビルが一番近い公立病院へ搬送されて、退院するまで約二週間がかかりました。命に別状もなく骨折の後遺症もありませんでしたが、蛸薬師小路たこやくしこうじ家から出された課題の締切にはとおに過ぎて、失格になってしまいました。
 このあと、彼は世間が嘲笑するのを恥じて、高野山に登り出家してしまったということです。なお、この出家話は、今後機会があれば触れるかもしれません。
 
 ビルの怨念は人の口に上りました。ビルが簔に手をかけて落ちたことから、この一帯は「美濃」と呼ばれるようになったと言われています。
 また、ビルは「桃子~ぉぉ!」と絶叫したのですが、これが「痛いぃぃ!」と間違って伝えられ、さらにそれが転じて「板井田いたいだ」(秋田県横手市)とか「板宿いたやど」(兵庫県神戸市須磨区)という地名ができあがったと、云われています。一説には「大分」もビルの絶叫に由来するとうことです。

 (つづく)
 

 注)五月闇
    デジタル大辞泉「五月闇」の解説
     さつき‐やみ【五月闇】
     陰暦5月の、梅雨が降るころの夜の暗さ。また、その暗やみ。
 
    「F.A.T」と「CTO」については、「MIMMIのサーガあるいは年代記      ―25―」をご覧下さい。
 
 
 補 記
 五人の求婚者については間幕劇風にするるもりでしたが、やたらに長くなってしまいました。当初は昨年の十月ころにMIMMIは宇宙空間に進出する予定でしたが、いやはやこの遅れぶりといったら。……原因はトルストイが悪い! けっしてわたくしのせいではないのです。たまたま、トルストイの「アンナカレーニナ」を再読しかけてその影響をうけたのでああって、わたくしの責任ではないのです、と馬鹿な責任転換、強弁をしておきます。
 
 次回は桃子に尻尾が突然生える原因が明らかにされます(たぶん)。間幕劇の中の閑話休題ってところでしょうか。






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