見出し画像

MIMMIのサーガあるいは年代記 ー2ー

2/n

                                         第 一 章
      「MIMMIはいかにして誕生し、乳幼児期をおくったか」


己亥(つちのと い)閏三月

 昔々、あるところにとてもとても大金持ちでファンキーな翁と嫗が郊外の竹林の近くに住んでいました。とある朝、おじいさんは運転手つきロールスロイスに乗って山へ芝刈り(ゴルフ)に出かけました。お婆さんはベントレーでお買い物とお友達とのランチに出かけました。
 お婆さんはランチが終わってからお友達と一緒にスポーツジムへでかけることにしていましたが、大雨が降り出したので、帰ることにしました。ベントレーに乗ると大雨警報が出ていたので近道をして帰ることにしました。大和川沿いの下道をいくと、川は茶色の濁流が烈しく流れています。その濁流の中を倒木やゴミに混じって白い球体がどんぶらこどんぶらこと流れてきて、川縁にひきかかって浮いています。
「あれは何なの?」
「さあ分かりません、奥様」
「駐めて、ここへ持ってきて」
「でも奥様、この豪雨のですし、ちょっと無理かと」と、運転手さんは曖昧な返事をしました。
「口答えしないの、早く拾って早くうしろのトランクに積み込んでちょうだい」
 運転手さんは仕方なく、豪雨の中を川に降りて流されそうになり、その白い球体を拾い上げてきました。

 お婆さんは家に帰ると、先に帰っていたお爺さんに、大和川で見つけた不思議な球体を見せました。
「なんだろうね、なんかしらない合金で出来てるようだけど。それにガラスでできた窓みたいなものがあるな」
「開けてみて」
 お爺さんは、あちこちをさわり叩いたりしましたが、ビクともしません。
「どいて!」と言って、イライラしたお婆さんは大きなまさかりを振り下ろしました。
 傷一つつきません。3回、4回と打ちつけるとお婆さんは疲れて、執事にバーレルを持ってこさせて、窓らしきあたりに差し込みました。
 すると、急に球体の半分が持ち上がり、中が見えるようになりました。
 その中には、なんとなんと可愛いとても可愛い赤ちゃんがすやすやと眠っていました。
 お爺さんとお婆さんは大変驚いて腰が抜けました。ふたりは我にかえると、赤ちゃんを取り上げしげしげと眺めました。すやすや眠った赤ちゃんを近くで見ると、いっそう可愛く思えました。

 このお爺さんとお婆さんはとてもとてもお金持ちでしたが子宝に恵まれておらず、長年、不妊治療なるものを国内外でしたのですが効果がなく、子宝は諦めてしいました。ですからたいそう喜び、女の赤ちゃんを神様から授かったと考えて、二人で育てることにしました。
 桃から生まれた桃太郎にちなんで桃子と名付け、眼球とコンタクトの間にはさんでも痛くないほどかわいがりました。桃子はかぐや姫などと違って、普通に人類の速度で成長していき、いっそう愛らしい姿になってきます。
 ですがお爺さんには密かな心配事がありました。お爺さんは、若いころガレージの一隅でIT企業を興し超有名大企業に成長させましたが、企業経営にあきあきして35歳で会社を売り払い、とてもとても×10乗くらいお金を手に入れて引退したのです。ですが隠退生活の暇にあきて暗号通貨に手をだし、またまた大金を手に入れました。お爺さんにはこういうIT系、技術系の前歴があったので、桃子が入っていた球体の素材や機能に興味がありました。これが後年の西淀川摂津工科大学の設立につながります。

 それはさておき、暇に任せて桃子が入っていた球体をあちこちいじっていて、ふと不安がよぎりました。
 あの孫悟空伝説を思い出したからです。尻尾の生えた孫悟空は日頃より気が荒く、月をみると巨大猿に変身し可愛がって育ててくれたお爺さんを踏み潰したということです。
 お爺さんは心配になってお婆さんと一緒に桃子に尻尾があるか確かめて、ないと知るととても安心しました。それからは夜な夜なコスプレキャバクラ、バニーガールのお店や新地の高級クラブへ通うのも止めて、桃子の世話をしました。

 桃子を育てるにあたって、とてもとてもお金持ちのお爺さんとお婆さんは様々に手を尽くしました。桃子専用の幼稚園を近所に開設して入園を待っています。また小中高へ通学して事故にあったり悪い友達ができてグレたりすることを心配して、家で大勢の家庭教師をつける考えです。大学は、お爺さんがあの世界的に有名なMIT(マサチューセッツ工科大学)に対抗して大金をはたいて設立した西淀川摂津工科大学(NIT)に無試験で入学することがすでに決まっています。
 とりあえず桃子が幼稚園へ入園するまでは、優秀な乳母と幼児教育の専門家集団、それに小児科医師集団をつけましたが、最後の小児科医は不要でした。桃子は乳幼児が多く感染する病気にもかからず健やかにすごしています。桃子の前途は安心そうです。お爺さんとお婆さんは、桃子がNIT大学院を卒業してから三国一の美男で脚の長い婿を探すことまで話し合っていました。
 はやいことに、桃子は三歳前に平仮名ばかりの絵本が読めるようになり、その半年後には因数分解をすらすら解けるようになると、お爺さんとお婆さんばかりでなく乳母集団たちもことのほか誇らしく、知人らに桃子の愛らしさと頭の良さを口々に誇りました。お爺さんはそれどころか、三国一の花婿を飛び越えて、桃子がノーベル賞を受賞した時のスピーチを考える始末です。
 しかし、好事魔多し、禍福はあざなえる縄のごとし。大抵の市井の凡人は、好事も福もたいしてなく禍がほとんどなのでしょうが、桃子をとりまく人間はこの至福が続くのかとか、それ以前に幸福かと疑うこともないほど幸せでした。


辛丑(かのと うし)七月

 七月の蒸し暑い朝、桃子の着替えを手伝っていた一人の乳母は、大きな悲鳴をあげて卒倒してしまいました。乳母の悲鳴は大邸宅の中で警報のように響き、大勢が桃子の部屋へ駆けつけました。子供用ベッドに腰掛け、その足元に乳母が泡をふき足をけいれんさせて伏せているのを目にすると、お婆さんは訊ねました。
「どうしたの? 桃子!」
「ももこ、尻尾が生えたの」と、笑いながら可愛く舌足らずに告げました。

 お爺さんは、桃子が凶暴な大猿に変身して自分を踏み潰すのか、と考えると眩暈めまいがし、膝をついてしまいました。一方、お婆さんはなにのことか分からないがただならぬことが起こっているに違いないと察し、周りの人に乳母を運び出させた上、人払いをして扉を固く閉じました。そのあと、深い深い深呼吸(!)を何度かしてから桃子に同じ質問をしました。
「尻尾が生えたの」桃子は同じ答をします。
 お爺さんは頭をかかえ嘆いていますが、気丈夫なお婆さんは、「見てもいいかしら、みせてごらん。桃子」と尋ねました。
 お婆さんは、桃子のパジャマのズボンの後ろを半分ばかりを下げました。
「何もないじゃないの。桃子」と、安心して言いました。
「ちがう、そこじゃないの」と、舌足らずに言ってズボンの前を下げます。
 お婆さんの、大きな悲鳴が-ハイソプラノが48秒ばかり続く悲鳴が-3マイル四方に響き渡ると、乳母よりも盛大な泡を吹いて昏倒しました。
 お爺さんが目を上げると、目の前には桃子に_U_が生えていました。尻尾ではありません。“ち〇ぽ”です。それも子供のそれでなく、薄ぎたない中年男性のそれのように脂ぎった剛毛がまわりにはえ、その中心はいきり立っているではありませんか。そんなおぞましい物が目の前にあったので、お爺さんは気持ち悪さに吐きそうになるのをなんとかこらえて、卒倒してしまいます。お婆さんも彼の傍らに眼球を裏返して棒のように倒れてしまいます。

 しばらくして、彼岸が遠望できるインダス川より広い三途の川を前にした賽の河原で、渡し賃の六文銭がないので泳いで渡ろうかなどと二人が相談しているときに、桃子に揺り動かされて蘇生しました。
 お婆さんは尋ねます。「桃子、それが……尻尾が生えるとき痛くなかった? おしっこはでるの?」“ち〇ぽ”と口にするのがおぞましくてそう言い換えてしまいました。
「ぜーんぜん痛くなかったよ。おしっこもときどきでるし、元気よく起ち上がるときもある」
 これを聞いたお婆さんは、倒れそうになるのをグッとこらえました。お爺さんは、大猿に変身した桃子に踏み潰されるほうがよっぽど幸せだと後悔しました。

 この朝から、お爺さんとお婆さんの大邸宅は、黒死病で死に絶えた屍体が放置されたように悲惨な空気がただよいました。乳母の話や、部厚い扉をとおして盗み聞きした使用人の話が、広まったからです。乳母や使用人は桃子お嬢さまのお痛わしい”病気”にうち悲しんでいます。
 無人の館のように、カーテンと鎧戸を閉め、使用人たちはひそひそと会話するばかりです。お爺さんにもお婆さんにも、良い知恵は浮かびません。ただ桃子だけは明るく、新しく生えた”尻尾”がものめずらしくて、キャァキャァとひとり騒いでいるばかりです。桃子の明るい無邪気さが、周りのひとにはこの理不尽な悲劇を一層際立たせ、涙をさそうのでした。
 (つづく)

この記事が参加している募集