MIMMIのサーガあるいは年代記 ―66―
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第 四 章
―戦場のプリマドンナの 降伏―
核爆発まで残り五分あまり
源さんに言われるまでもなく桃子は、無言でSUVのブレーキランプと室内灯を円匙の柄で叩き壊しました。これから乗車して接近する際、敵に気取られたくない、というささやかな警戒でした。
かたや源さんは乗り込む前に、ゆっくりと四十四式騎銃の槓桿を操作して弾倉に残った二発の未使用実包を排莢して捨てると、新たな挿弾子(クリップ)を差し込みました。予想されるこれからの銃撃戦で二発を撃ち終えてから新たに挿弾子を挿入する寸刻を惜しんだのです。死線を幾たびも越えてきた兵士が体得した細かな知恵です。また革製の固い弾盒から二つ取り出して右手の届きやすいポケットに入れました。これも挿弾を幾分でも早めようとするテクニックです。
そうです、彼はこの手持ち十五発の弾丸だけで決着をつける覚悟なのです。それ以上の弾数を使うようでは、オートマチック・ライフルを持った多人数の敵を相手にできないことが自明だったのです。さらに、スパイクバイヨネットを伸ばすと、倒した傭兵が着けていた手榴弾二発をポケットに押し込みました。
「用意はできた。さあ行くぞ、お嬢。心してかかれ」と、厳しい声音でささやき、さらに桃子が武器を手に取ることがないよう厳命しました。
敵から奪ったSUVを源さんが運転して、敵の指揮所を求めて緩丘を徐行して巡ります。蛸薬師小路邸が炎上する明かりが照らしているとはいえ、まわりが敵だらけの夜の戦場でわざわざ目立つ必要はありません。
すこし進むと三人一組の動哨が数組警戒していましたが、桃子たちの車はほとんど警戒されることなく通過できました。見すごされたのは、SUVの四側面に敵味方識別のために紫色の太いテープが縦に二本貼り付けられていたからです。そうです。アメリカ陸軍の車輌はVの白文字、ウクライナ紛争時にロシア陸軍が貼ったZ文字のテープと同様な簡易識別のおかげでした。
数百メートル走りましたが、大型トラックや野戦用通信アンテナ群、弾薬コンテナの集積などは目につきますが、指揮をとっているように見える敵の小集団を見つけることができません。
「どこなの! まだ見つからない!」
「最前線に移動したか? ……屋敷を瞰制できる高みにあるはずだが……」
こんな細切れの会話をしながら、SUVは蛸薬師小路邸のある丘陵と距離をずいぶんとり進みました。
……
「あそこよ 五人くらいの影が見えた」桃子が指さします。瞬刻、小爆発の火焔が稜線ぎわの人影をつくりだしたのを、めざとく認めましたのです。
「どこだ」と、源さんが助手席の彼女へ振り向きます。
桃子は一瞬息を呑みました。振り向いた源さんが、老いたいつもの顔と違うのです。双眸は白く爛々と発光し、皺が失せて頬骨や眼窩が突き出ています。皮膚の下には、脂肪や筋肉がまったくない髑髏のような面貌なのです。それも二十歳台の青年のもので、まったくの別人です。
驚いたものの、彼女は残り時間のことで頭がいっぱいで、いま見た源さんの容貌の違いについては、深く考えませんでした。火焔や爆発の閃光がたまたまつくりだした一瞬の錯覚くらいにしか考えませんでした。
「左よ、左」もう一度丘陵の一角を指し示します。
「そうだろうな。……なら……こういう作戦でいく」
彼の作戦とは、車の気配を精一杯ころして徐行し、敵の前線指揮所とおぼしき場所の十メートルほど手前でスピードをあげ、その集団へ突っ込み、桃子はスピードをあげる寸前に静かに転がり出て、源さんはハンドルとアクセルを固定すると衝突寸前に飛び出す。そのあと二人で指揮官を人質にとって、部下の武装解除と撤退命令を強要する、という内容でした。
「それを作戦と言わない。行き当たりばったり。相手は四、五人どころかもっといるかも知れないのに」
「ほかに何ができる」
源さんは正面を凝視し、先ほど奪ったアサルトライフルと円匙の柄を組み合わせてハンドルとアクセルを固定する、簡単な自動運転装置をつくろうと取り組んでいました。
「お嬢はなにもするな。ワシ一人で闘う。……今じゃ、飛び出せ!」と、押し殺した声ながら鋭く命じました。
同時に、桃子は条件反射のようにドアを開け、体を丸めて転がり出ます。そうして夏草が所々に繁みをつくる地面に這いつくばり、SUVの行く先を透かし見ます。
車の速度が急にあがります。ですが源さんは飛び出しません。
突然のエンジン音に振り返った敵は、片膝撃ちや伏せ撃ちの姿勢で、火箭|《かせん》を車に集中させました。ですが、源さんはまだ飛び出しません。源さんは敵二人を跳ね飛ばし、すぐさま車をドリフトするように車体後部を激しく振り、さらに一人の胴体にぶちあてました。ついで、車体を立て直して残る二人へ突進します。
残る敵二人は車を避けようとせず、片膝立ちで激しい銃撃を続けました。車のガラスはすべて射貫かれ、車体に銃弾があたる火花が増えていきます。ですが二人は容赦なく、弾倉を素速く交換して撃ち続けています。
これだけ集中射撃を受けて、源さんはすでに死んだ、と桃子はほぼ確信しました。ならば、二人ぐらい素手でも倒してやる、こう心を決めると彼女は身を低くして素速く二人の側面へ近づきます。
その先ではSUVがタイヤを撃ちぬかれたのか、速度を落として丘の稜線を越え、車体が丘に隠れる寸前に運転席側のドアが開き、疾走する黒豹の影のようなものが目にはいりました。
車に跳ね飛ばされた三人のうち二人が、銃を杖代わりにしてよろよろと立ち上がります。負傷はしているようですが、戦闘能力は十分に残っています。源さんの突入は一人しか無力化できなかったのです。
ですが桃子は、『やるしかない』と逸る心を押し殺して無傷の敵二人に忍び寄りました。幸いにも連中はSUVの行き先に注意を払っていて、稜線上に立ち止まっています。車から黒豹のようなものが飛び出したことにも気づいていないようでした。
桃子の左側で、アサルトライフルの銃床を伸ばす微かな金属音が響き、彼女は横っ飛びに伏せますが、オフィーリアの死体の無惨な傷口が目に浮かびました。桃子がいかに敏捷でも弾丸より早く動けません。彼女はこの左側の敵を迂闊にも見落としていたのです。ミスった、これで終わった、と彼女は頭の隅で考えます。
「撃たないで! 武器はもってない! 降伏する」
英語でこう叫んで、掌を開いて腕を高くあげました。
(桃子ピーンチ! 続きます)
弾盒 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%BE%E8%96%AC%E7%9B%92
冒頭の画像 全図 Microsoft AIで作成