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MIMMIのサーガあるいは年代記 ―68―

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          第 五 章
        ― 紫水晶のあさ ―

 桃子がベンジャミンを引き立てて、お婆さんのもとへ戻った際の互いの驚き、生存の喜び、負傷者への心痛や敷地内の損傷の激しさへの落胆、散らばった傭兵の死体の凄惨さなどについては、あたりまえすぎて言を待たないでしょうから、詳しくは述べません。

 メキシコ人やエリカたちは重軽傷を負ったものの、傭兵たちの攻囲をなんとか凌ぐことができたのですが、このあと館のまわりで遠巻きに息を潜めていた国家警察を先頭に国防軍、消防などの公的機関やマスコミが一挙に勢いづいて、蛸薬師小路たこやくしこうじ邸になだれ込んでくるのは間違いのないことです。
 そうすると、お婆さん以下全員がなんらかの罪名により身柄を拘束されることは、これも自明すぎるでしょう。国内をこんな混乱と恐怖に捲きこんだ銃撃戦の一方の当事者ですから、しかたがありません。

 「刑法」上の殺人罪からはじまり、「爆発物取締罰則」(明治十七年太政官布告第三十二号)、「火薬類取締法」、「銃砲刀剣類所持等取締法」、「核原料物質、核燃料及び原子炉の規制に関する法律」に違反するあたりは当然のこととして、メキシコ人がらみの「出入国管理法」違反、邸宅の改造や地下防空壕の建設がらみで「建築基準法」違反と「消防法」違反、それに電波法違反……とっさに思いつく法律違反だけでもこれだけあり、詳細に蛸薬師小路家とその従業員(エリカ、ナナミンやメキシコ人)の行動を調べれば、両手両足の指の数ではとても足らない数え切れない罪名が列挙されるにちがいありません。ベンジャミンたち傭兵に族滅させられるまでもなく、蛸薬師小路家は壊滅するでしょう。
 なお、核兵器の所持及び使用(未遂を含む)については現行法で規定がないので、幸いにも処罰されません。

 この危機をなんとかしのぎきならければなりません。ですがお婆さんは気丈夫を装っていましたが、実のところ憔悴しきっていて、エリカたちは大小の負傷と極度の疲労でほとんど動けませんでした。まともなのは桃子だけでした。

 遠方の何カ所かで小さな銃撃音が響きます。きっと武器を隠し持ってちりぢりに脱出した二、三の傭兵たちが警察か国防軍と衝突したのでしょう。頭上高く八の字をえがいて旋回している戦闘機の明かりはまだ残っています。国家機関が国防軍の軽装甲車を先頭に、恐る恐るなだれ込んでくるのは四周の状況が明らかになる夜明けどきになるでしょう。敷地内の詳細が不明なのと逃げた傭兵への対応に、当分は彼らも振り回されるに違いありません。
 夜明けまではまだまだ時間が残っています。
 しかし、重傷を負ったガルシアの救命は一番に手配しなければなりません。救急車が駆けつけてくれるような好都合なことは、この状態では絶対に見込めません。

 おちつけ、おちつけ桃子、と彼女は自分に言い聞かせて、破壊された外壁の一部だった鉄筋がはみ出して焦げたコンクリート塊に腰を下ろし、ペットボトルの生温かい水を流し込み、残りの水を顔にかけました。あれだけ頼りになった源さんは、館へ戻る途中でなぜか姿を消していました。
 忘れていたことを思い出し、手近にいた負傷度合いの低いメキシコ人に告げました。
「地下防空壕(核シェルター)に避難している人たちをここに連れてきて。だけど子供たちと女性には地上の様子を絶対見せちゃ駄目。男だけを連れてきて」

 お婆さんに尋ねました。
「お爺さんはどうしてるの。ぶじ?」
「ここにはいないわ。秘密にしていたけど、上京しているの。連絡がないのが無事な証拠かしら。あまり心配はしてない。電話もなにも国や悪党のこいつらに盗聴されたり妨害されたから、用心していたはずよ」ほんの数十分前までは毅然として私兵を指揮していた彼女は、もう気概が失せていました。
 こう言って彼女は、両手を括られて放置されていたベンジャミンに土塊を投げつけました。ベンジャミンに気づいたゴンザレスが、コンバットブーツに隠していたナイフを引き抜き、「こいつの生皮を剥いでやる」と立ち上がりました。

「やめて。ベンジャミンは桃子の捕虜なんだから。それに色々と事情があるの」と、厳しくとがめました。事情とは、彼の母親と娘がまだ人質にとられていることです。

 ……
 地下防空壕(核シェルター)から出てきた男性たちは、地下防空豪でヒロコーの余興などで退屈を紛らわしていた環境から、凄惨に変わり果てた敷地内の様子に愕き、足元に注意しながら進んできて、お婆さんと桃子の姿を見つけると、小さな歓声をあげました。
「おちついて。わたしたちはなんとかまだ生きている。……聴きたいことは山ほどあるでしょう。しかし今はまだ待ってほしい。まだすべてが終わったわけではないの。生き残るには、これからみんなの力が必要なの。協力して」桃子がよくとおる声で諫めました。

 彼女はこういって従業員を落ち着かせたあと、自分の計画を告げました。
 それによれば、明け方に警察などが一斉に押し寄せるはず、それまでに自分たちは行方をくらますが、逃げたわたしたちのことは、一切口にせず沈黙をまもること。
 あなたたちは地下防空壕に隠れていて地上で起きたことは一切しらないと白をきる。子供と女性にはこの惨劇現場を絶対に見せない。そうして、自分やお婆さん、メキシコ人たちの死体、とりわけ首を切断されている偽画像を早急につくること、などでした。

「みんなは、この不可解で不幸な”事故”には一切関係ない。何一つ知らない。一切関係していない」
 ここで桃子は、従業員の脳髄に説明が善く染みこませるために、十分な間をおきます。

「ゴンザレスたちメキシコ人もエリカもお婆さんも、地上に出てきたときには、いなくなってた。つまり全滅してた。お爺さんも死んでしまった。そうして大事なことは、わたしが今言ったことを聞いたこともない。警察から厳しく尋問されても、これ以外を口にしちゃ絶対にダメ。分かった? 全員、声に出して、今言ったことを繰り返して」と、桃子は厳しく言い渡します。

「事件については完全に黙秘してほしいの。絶対よ! すぐに大弁護士団を送り込んで、一人に三人くらい優秀な刑事弁護士をつけるから、心配をしないで。すくなくとも三日間ほどはね。それから、事業はできるだけ早く再開して。相場は大荒れになるはずだから、大儲けのチャンスよ」と、お婆さんが冷静をとりもどした声音で告げました。最後に、恐怖の慰謝料としてボーナス四月分を支払うという買収も忘れませんでした。

「警備の方は……」と、桃子が警備総主任のヒロコーに声をかけましたが、彼は何かに躓いて倒れ込み、立ち上がろうと手をつくと、大きな、それはそれは屋外テントの生地を引き裂くような奇妙な叫び声をあげました。闇の中で傭兵の死体に躓き、ちぎれた足をつかんでしまったからです。

「ヒロコー、それくらいで騒ぐな。お前は警備の最高責任者だぞ。替え歌余興だけが仕事じゃねえ。つぎはお前のチンポコを鋏で切り取るぞ」
 桃子は、こう口にして四つん這いになっている彼の臀部を蹴り上げました。
 彼の滑稽な様子に、ショベルカーの元気なお兄さんが爆笑し、他の男性からも押しころした失笑がわきました。少し恐怖と緊張がほぐれたようでした。

「何を言いたかったか忘れた。とにかくヒロコー、警察なんかが押し寄せてきたら、なんとして時間をかせげ。ストリップをしても時間をかせげ」こう言うと桃子自身が、吹き出していました。

 これだけを言い終えると、桃子は詳細な指示と役割を個別に指示しました。自分たちの死体のフェイク画像ができる少しの時間を利用して、残りをかき集めた爆薬を司令棟に仕掛け、時限装置をセットしました。爆発時刻は、04時10分。黎明で事物が見えはじめる頃です。つまり、警察や国防軍の尖兵が押し寄せる予測時刻でした。

 つづいて、北二キロ先の食品工場へつながる隠し地下トンネルの様子を調べます。このトンネルは傭兵たちに発見され、ここを通って敷地内へ奇襲されたのですが、国内機関にはまだ発見されていません(多分)。ですから、これを利用して邸宅から脱出する目論見です。
 敵が乗り付けた小型トラック二輌が使用可能でした。負傷者たちを搬送するのに好都合です。しかしまだ敵が、トンネル内や隠し出口の工場に潜んでいるのを危惧して一番元気なメキシコ人に探らせ、残敵がいないことを知り、フェイク画像を保存したスマホとSSDメモリーができあがると、入口に爆薬をしかけました。

 しだいに明らみはじめ、東の空が紫色から茜色にうつりゆき、大和盆地を囲む八重垣の輪郭をきわだたせてきます。この凄惨な死闘が始まる前に見た、真夏の青空を鮮やかに二つに切り裂いてすぎる、白い白いひこうき雲を目にしたときから一日も経っていないのを、桃子とお婆さんは思い返しました。そしてこの一日足らずのあいだに、二人の世界は激変してしまったことも。
 刻限が近づくと、こうした感傷を振り払い、桃子はエリカやメキシコ人に大声で告げました。

「さあ、みんな脱出するよ。乗車して。武器はピストル一挺だけにして。新大陸を探しに行こう! そうしてここへ戻ろう! みんなで」

 彼女は向きを変えて、男性従業員を励まします。
「なに一つ心配することはないのよ。わたしたちは新大陸の富を携え、より強力になってここへ戻ってくる。しばらく耐えぬいて欲しい。新たな富は、みんなのものでもあるのよ……。これは別れではないの!」

 雄々しく宣言したものの、従業員たちの表情は次第に曇ってゆきました。なぜなら紫の曙光が照らしはじめた光景が、これまで薄闇に隠されていたものをすべて暴きたてたのですから、一般人は怯え慄くのが当たり前でしょう。不条理に破壊された人体の残骸とその肉片、瓦礫の堆積に変じた建築物、焼けただれねじ曲がった自動車のなどがくすぶり、焼け溶けたタイヤと死臭が広がっているのですから。「迷惑もハローワークもあるかい」が口癖の元気なお兄さんは、繰り返し嘔吐しているありさまです。

「目の前のことは気にしないで! 生まれてきた者、造られた物は、必ず死に壊れるのよ。みんなが無傷で生き残ってることを感謝しなさい。運命の女神とこの桃子に! さあ! 運命に向かって恐怖に慄きながらも進むのよ。キャン玉が二つも垂れ下がってるなら!」
 彼女はこのように、ワーテルローの戦場に臨むナポレオン一世めいたげきをとばしましたということです。

  (新章ですから、もちろん続けます)

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