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まどろみサンドイッチ|ショートショート

 エレインは、短期留学で我が家にやって来た女の子だ。彼女がやってくる前に、えれいん、という名前の響きだけで想像していたのとは違って、金髪でもなければそばかすだらけでもなかった。それでもわたしよりよほど高い身長で上の方から発声される英語は、わたしに非日常を連れてくるに充分だった。

「エレイン? 何してるの?」

 ある日曜日の朝、キッチンの物音に気付いて声をかけたのはわたしだった。システムキッチンをがちゃがちゃといじっていたエレインは機敏な動きでぱっと顔を上げて、悪びれずに言った。

「アー、ヨリ。スワッテスワッテ」

 座って? わたしの脳内で疑問符が踊る。ホームステイ中、彼女が料理をするところなんて見たことがない。家族以外の人間がキッチンを触るのだって、わたしは見慣れないし、抵抗を覚えるのだ。

「でも、エレイン――」

 話しはじめたわたしを身振りで遮って、エレインは冷蔵庫を開けた。

「Hey,Come on. Relax」

 ゆっくりと間延びしたように発せられる彼女の母語。歌うようなリズム。それすなわち非日常。そこに逆らえるだけのこだわりを、わたしは持っていなかった。
 ふんふんふん、とわたしには分からない鼻歌を歌いながら作業をするエレイン。日曜日の午前は静かで、平日とは大違いに穏やかな陽射しがダイニングを暖めた。まどろみ。舌が柔らかく丸まってそのまま転がるような、そんな言葉がしっくりくる時間。彼女の母語ではなんと言うのだろうか。

「Hey,Ready! Here you are! メシアガレ~」

 いつの間にか両目を閉じていたらしい。母音を伸ばすまったりした声とともに瞼を上げると、目の前に置かれたのはサンドイッチだった。不格好に耳を切り落とされた食パンと食パンの間から、淡い茶色のクリームと赤みのあるつやつやきらきらしたものが覗いている。

「これは……? ワット……?」

 チッチッチ、とエレインは人差し指を振った。ついでに片目をぱちり。

「Just take a bite! 」

 目をきらきらとさせる彼女にそう言われると、一口食べるしかなくなる。恐る恐る口を開けてかぶりついて、贅沢に広がる甘みとかりっとした食感に目を開いた。

「美味しい……! えっと、っ、ヤンミー」

 エレインは満足気に、薄青色の目を細めた。

「オイシイデショ~。Peanut Butter and Jelly Sandwich. It‘s my favorite!」

 自慢気に、流暢に料理名を披露する彼女に頷いて、なんとも言えず優しいそれを頬張る。はじめて感じるハーモニーだった。サンドされているのは、粒のしっかりしたピーナッツバターとラズベリージャム。なんとも柔らかでまったりした、そう、まどろみに相応しい組み合わせ。

 うちには常備していない素材を使った彼女のお気に入りを振る舞うことで、彼女はわたしたちに感謝を示したのだろう。薄青い目に浮かんだ満足と安堵、郷愁と寂しさが丸い空気を伝ってしみ込んだサンドイッチは、非日常と日常の間を埋めるものであるかのようだった。エレインは数日後、わたしにとっての非日常であり彼女にとっての日常である空間に舞い戻った。それらを繋ぐ思い出だけ、わたしたち家族に残して。
 そして、その思い出とその味は、いつしかわたしのスタンダードになった。日曜日の朝、家族が揃う食卓にそれは鎮座する。これなあに? と問うた息子にわたしが返した言葉はこうだ。

「Peanut Butter and Jelly Sandwich.! It‘s my favorite」

 生粋の日本人の家庭に育った息子の、きょとんとした表情に笑う。
 わたしは上手く発音できていただろうか。彼女は元気だろうか。どうしているのだろうか。
 海の向こうから渡ってきたものは生活の中に多々あるけれども、思い入れを引き連れた舶来物はこれだけのような気もする。
 今日もわたしは、自分だけのまどろみを思い出しながらサンドイッチを頬張る。



【完】




*あとがき*

 実はですねえ。お察しの方もいるかもしれないんですけど、これ、あんこぼーろさんの企画に触発されて書いたものなんです。(受付は終了しておりますが、企画はこちら!) あんこぼーろさん、いつもインスピレーションありがとうございます!
 フィクションを入れるとややこしいな、と思ったので、受付終了まで下書きで待機しておりました次第。やっと公開だ~~~。

読んでいただきありがとうございます❁¨̮ 若輩者ですが、精一杯書いてます。 サポートいただけたら、より良いものを発信出来るよう活用させていただく所存です。