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言葉という武器への挑戦 #教養のエチュード賞

 「武器」という言葉は、日常生活でもよく使うように思う。剣とか弓とか槍のことではなくて、他より優れている部分のことをそう称して。例えば、恋愛において魅力を発する部分とか、転職にあたって有利に働く技能・経験とか。

 言葉は武器だ、というのはよく聞くことだし実際にそうだとも思う。その言葉を自由自在に(ついでに言うと美しく)操って、主義主張のために戦うというのは、なんとも粋ではないか。拳を振り回したり物を投げたりするより、よっぽど洗練されている。

 その昔には「歌合」という競技のようなものもあったくらいだ。「こひすてふ」の歌を詠んだ人が「しのぶれど」に負けたため発狂して死んだなんて話もあるので(誇張はあるかもしれないが)、それだけ皆魂を削って言葉と向き合っていたんだろう。
 その頃の日本人女性は人前で顔を露わにしなかった。それでも人々は恋をしたわけで、どうやって恋をしたかと言うと歌である。同時に、人々は喧嘩もしたわけである。それも歌を使って。歌、ひいては言葉は様々な場面で武器となっていたわけだ。

 自分と向き合ってきちんと選んで、そこまでして相手に向ける武器には――武器だけに限らないけれど――愛がある、気がする。闇雲ではないというそれだけで。

 短歌、という制限された中で表現する行為は、そのルールに則るために言葉を精査する必要がある。それは、感情を一度ならして耕しなおす行為に似てはいまいか。言葉を選ることによって、瞬間瞬間の感情をより正確に意識する。そして、研ぎ澄まされた形に昇華する。
 そこまでできれば、私はきっと何にも負けない。何と戦うつもりかは知らないけれど。
 と、いうことで挑戦してみた。

迷えども 迷えどもまだ茜空 凪ぐ時それは イニシエーション

関心も ないわと恨んで携帯の 画面に浮かぶ 君の名を待つ

百日紅 音だけきくと 大間抜 まさにわたしの 大先輩

君のため そういうあなたの 黒い目は きっとあなたの 中を見ている

夢の中 冷たい色した あの瞳 今目の前に ある色もまた 

嘘つきと なじる行為は 正義かと あの日のあなた 言っていたよね

遊んでる 否定した口 そのままに ゴムの袋を 破るのね

え?なんて? お気楽天国 あなたのお耳 烏に返事を するなんて

泣かないで そんな言葉が 優しいの? 若気の至りと 言ってはおしまい

 まだまだだな、というレベルではもはやなく、いやもうこれ文字数というルール守ってるだけだな、という感じだ。技術・スキル・センス、といった必要不可欠なものがない。なんなら小学生の頃に授業で作ったものと大差ない。
 だがまあ、やりたいという気持ちがあるということは『出来る可能性』があるということなんだと信じて(どんな信念だ)、それらを磨いていこうと思う。
 
 もっと相手に向ける言葉を選べるようになりたい。喧嘩するにしろ、恋するにしろ。丁寧に武器を磨くがごとく相手に向ける言葉を整えたい。

 エチュードは「練習曲」「下絵」という意味であるとのことなので。私はこれを足掛かりにして、今後修練を積んでいきたい。

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