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午前1時の喫茶店 ~ショートショート~

 しとしとしと。
 音はしないが気配がする。
 時刻は0時50分。終電を逃した私は、喫茶店に身を寄せた。昭和を通り越して大正とでも言えるような、レトロな香りがするお店。きらきらしたカフェやカラオケなんぞには行きたい気分になれなかったから選んだ、ひっそりとしたお店だ。
 「お好きなお席にどうぞ」と言われた私は窓際の席を選び、まず濡れた鞄をハンカチで拭いた。
 黒とグレーの間の色をした革の鞄。丁度掌が収まる持ち手は金。ぱきっとした絶妙な柔らかさを気に入って、今日のために購入した特別な鞄。

 はああ、とため息を吐いて、同じように濡れたワンピースの裾を拭う。男受けはワンピース、なんてメディアに溢れる言葉を真に受けて購入した、人生初のワンピース。見慣れない自分に鏡の前でどきどきして、落ち着かなくていつもの服を着そうになったけれど、それでも着てきたワンピース。
 あれ?思ったよりいいかも、なんて思って街中を歩いたけれど、それも全部空振りに終わってしまった。

 深夜1時に雨に濡れて、ひとりで喫茶店に入るような女ってどうよ。
 心の中で独り言ちて、一瞬間虚しさに浸った。
 水を持ってきたウェイトレスに珈琲を注文して席に座る。レースやフリルの付いたひらひらとした制服、大昔に憧れたような気がする。

 いつもいつも、憧ればかりだ。
 憧れで選んだ仕事はあまりにハードな勤務状況に音を上げて退職。憧れて住んだ町は家賃が高くて払い続けられず引っ越し。憧れて付き合った人とはうまく話せないまますぐ破局。憧れのブランド品は勿体なくて使えずそのままどこかに失くしてしまった。

 憧れにはもう、疲れてしまった。憧れで生きられるような人間でないことは、私がいちばんよく分かっていたはずなのに、なぜいつもこの生き方を選んでしまうのだろう。

 運ばれてきた珈琲に口を付け、その温かさに冷えた身体がふっと緩む。その途端、机に置いたiPhoneがブブッと振動した。
 ちらりと視線を遣っただけで顔認証され、メッセージの本文が顕わになる。

 浮かんだ文字に、ぱっと頬が紅潮した。口がぽかんと開き、徐々に口角が上がっていく。

 ふっと、窓の外の電光掲示板に目を遣った。『AM1:00』の表記。

 そうか、今は午前1時なのか、と目が開いた。
 深夜1時と言うとなんとなく惨めだけれど、午前1時と言うと、それはなんだか、まだまだ時間がある余裕、を感じさせてくれる。


 午前1時、その言葉を口の中で転がして、私はひとりそっと笑みを零した。
 まだ少し、憧れに生きるのも悪くないのかもしれない。
 

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 彼女に何があったのか、ご想像にお任せします。
 こちらからお題を拝借しました。
 【単語で紡ぐ 10のお題2】午前1時の喫茶店
 蔦縁 ヨウさん、ありがとうございます!


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