性質と才能。どう殺しどう生かすか。

 三つ子の魂百まで、と言うけれど、実際小さいころから続けていた習い事って、人を作るひとつになると思う。
 
 私は十年以上、和太鼓をしていた。小学1年生から高校生まで続けた習い事だ。
 おそらく、私には才能があった。演奏と、それからリーダーシップと。
 私が通っていた和太鼓グループは、地域の子どもに門戸を開いたところだった。入ったばかりの頃は、中学生のお姉さんお兄さんがいたのだが、私が小学3年生の頃、お姉さんお兄さんは滅多に見ないようなレアキャラになった。そして、私は自分の才能と性格から、いつの間にかリーダーになっていた。
 今考えても、先生が優しかったのか放任だったのか分からない。とにかくその先生を差し置いて、私はすべてを仕切った。太鼓を並べる順、人の並ぶ順。発表を控えた時期には、演目はどれにするか、誰がどの演目に出るか、など、本当にすべて。
 中には自分の子どもを目立たせたい親もいたが、私は真っ向から対立したそうだ。「○○くんには○○の技術が足りない。この場合は△△を入れるのが適切だ。○○くんにはここでこうしてもらう」と。なんとまあ堂々としたいけ好かない小学生だろう。
 それでも私は(自分で言うのもなんだが)必要不可欠な存在だったし、なんなら、たぶん愛されていた。

 この和太鼓の経験が、私の原体験になっていることは、察しがつくことだろうと思う。
 小学3年生のころから、人に教えて指図して仕切ることをやっていると(さらにはそれが肯定されていると)、それはもう習慣になって性質になる。
 就職活動のGD(グループディスカッション)では100%の確率でリーダーだったし、なにかしら発表する機会では、常に先頭で発表し質疑応答も担当した。評価は高かった。

 この性質は本当に、諸刃の剣だと思う。

「積極性があっていいね~」と好感を持ってもらえる場合はまだいい。けれど目立つということは『出る杭』になるということだ。
 出る杭は打たれる、というのは日本社会のセオリーである。
「あいつなんとなく気にくわないな」「ぺーぺーのくせに偉そうだな」などと思われたら終わりだ。
 それを私は、社会に出て痛感した。


 もともと、自分でできないことは人に言わないようにしている。だけれども、明確な『上下』の関係がある場面で(上司と部下など)、職権が絡むと難しい。役割が違っても同様だ。
 和太鼓にも適材適所はあった。けれど私は全部できたので、どの人材になにを求めても、不条理ではなかった。
 会社となると、そうはいかない。


 一時、私は自分の性質を疎んで、消したいと思った。
 実際、本当におとなしくしていた時期がある。けれどどうやら、身に付いた性質というのは、本人の意思に関係なく周囲に印象とか影響を与えるらしい。
 なぜか、隠せなかった。雰囲気が私に決定を委ねてくる—―、そんな場面が多すぎた。たぶん私も我慢がきかなかったんだろうけど。

 最近はもう、ある意味諦めている。これはもう私の切り離せない一部で、得難い才能だと思うようにしている。
 だから、相手の目線と自分の目線の両方を伝えることや、相手を立てた言い方をすることで、(きっとバレバレなんだろうけれど)なんとか取り繕ってよしとしている。

 けれどそれはその場しのぎの誤魔化しで、いつかはきちんと向き合わねばならない。そうでないときっとこの才能は停滞して錆びついて、いつか腐ってしまう。

 この性質ひいては才能を、どう活かすか――。
 「出すぎる杭は打たれない」とも言うけれど、果たしてそこまでいけるのか、そこまでいくのが正解なのか、それも分からない。

 そもそも、ここまで悩むのが既に自意識過剰かもしれないし、なんてことも考える。
 けど、自分のことをいちばん考えられるのは自分なんだから、精一杯考えてあげようと思う。



 

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