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しごとシゴト仕事

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仕事とか職とか将来とかやりたいこととか。それらに関連する話をまとめました。
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育休を終えて復職してみたら|エッセイ

私は、とある医療系の会社で働いていた。この度、約10ヶ月の産休育休期間を経て復職。短いようで長かった10ヶ月。初めての『母』をやるのに必死で、仕事のことなんて脳内から失せていた。 仕事覚えてるかな。居場所あるかな。家庭と両立なんてできるのかな。 会社員に戻ることへの嬉しさも覚えつつ、しかしそんな思いが、ほんとのところだった。 果たして。 復職してみると、呆気なくその場に馴染んだ私がいた。もちろん忘れている作業も多かったけれど、驚くほど戸惑うことなく現状を把握し、以前のよ

性質と才能。どう殺しどう生かすか。

 三つ子の魂百まで、と言うけれど、実際小さいころから続けていた習い事って、人を作るひとつになると思う。    私は十年以上、和太鼓をしていた。小学1年生から高校生まで続けた習い事だ。  おそらく、私には才能があった。演奏と、それからリーダーシップと。  私が通っていた和太鼓グループは、地域の子どもに門戸を開いたところだった。入ったばかりの頃は、中学生のお姉さんお兄さんがいたのだが、私が小学3年生の頃、お姉さんお兄さんは滅多に見ないようなレアキャラになった。そして、私は自分の才

キャリアも資格もない26歳女が、今の自分の価値に目を向けてみた。

 私は、キャリアも資格もない。今どき珍しく運転免許も持っていないから、履歴書にある資格を書く欄は空白だ。それを考えると、時たまひやりと足元を掬われるような、得も言われぬ不安を覚える。  社会人5年目を過ごす今の会社では、研修の企画運営や社内研修の講師をしている。と、言っても弊社は医療系の会社であり、私は専門職ではないので、入社する有資格者に対して会社の規則規定について説明したり、有資格者による研修のお膳立てをしたり、資料を作成・管理したりといった『事務局』のような立ち位置で

尊敬する上司像の話をしよう

 学生を終え、正社員として勤めて5年が経つ。私は未だに、新卒時代の上司と教育担当以上に、ビジネスパーソンとしてロールモデルと出来る人を見つけていない。  新卒で入った会社は外資系だったので、役職にも外資らしい名前が付いていたのだが、ここでは分かりやすく日系企業っぽくなおして話を進める。  私の直属の上長である課長は、女性だった。年齢はたしか30だったか。同期の中でもいち早く課長に昇進し、新卒を部下として受入れるのは私が初めてだったと聞いた。教育担当はその2歳下の男性。課長と

結局、物語ることしかできない。

 以前、ある本を読んで表題の言葉が刺さった。  ショーニン・マグワイア著『不思議の国の少女たち』。がっつりファンタジー。  私はファンタジーが好きだ。これはもう習性のようなものだろう。  ハリー・ポッターなんて、何回も読んだ。何回も泣いた。ちなみに原作がものすごく大好きだから、映画は反対派。映画は反対って堂々と言うために全作観ました。結論、反対。秘密の部屋まではいいと思うんだけど、その後は本当に嫌だった。だって、ぜんぜん、ちがう。  まあその話は置いといて。強い愛着を持ってそ

仕事に夢を見すぎていた私は、もう一度夢を見たい。

 仕事とはなんだろうか。  今となっては不思議なことだが、私は小学生からずっと『仕事をする人』に憧れていた。  仕事内容は具体的でなかったと思う。ただ、大人で勉強じゃない何かをしている人、に憧れていたのだと思う。  私の父は、何しているのか分からない人だった。小学生の頃はずっと、父はカメラマンだと思っていた。違った。グラフィックデザイナーだった。  父は個人で事務所を運営していて、従業員はひとりもいなかった。だから、私は社長令嬢であり、平社員の娘であり、雑用係の娘であった。

相対評価と絶対評価。そして私が臨床心理士を諦めた理由。

 私には、高校生の頃からスローガンのように掲げている言葉がある。  その言葉は当時の私を救う言葉であり免罪符であり、盾であり武器だった。当時から随分年月を経た今でも、私はその言葉を大事に抱えていて、ときには人に差し出すこともある。 「苦しみは絶対評価」  高校生あるあるかもしれない、思春期あるあるかもしれないが、私は私なりに、ものすごくしんどい時期があった。今は大分ましになったけれども、私の核のどこかにそれはまだ残っているしきっといつまでも消えないと思う。  当時よく言わ