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仕事に夢を見すぎていた私は、もう一度夢を見たい。

 仕事とはなんだろうか。
 今となっては不思議なことだが、私は小学生からずっと『仕事をする人』に憧れていた。
 仕事内容は具体的でなかったと思う。ただ、大人で勉強じゃない何かをしている人、に憧れていたのだと思う。

 私の父は、何しているのか分からない人だった。小学生の頃はずっと、父はカメラマンだと思っていた。違った。グラフィックデザイナーだった。
 父は個人で事務所を運営していて、従業員はひとりもいなかった。だから、私は社長令嬢であり、平社員の娘であり、雑用係の娘であった。
 父方の祖父は商売人だった。家業だったようだ。父は継がなかったわけだけれど。潰れてしまった家を立て直した、すごい人だった。
 母方の祖父は国鉄の公務員だった。「一番いい時代の公務員だった」と母はよく話していた。
 ちなみに母は、私が大学生になる頃まで専業主婦だった。その傍ら、点訳(教科書とかを点字に翻訳)したり、手話サークルに参加したりしていた。独身時代は臨床心理を学んでいて(奇しくも私と同じ!)、河合隼雄先生や山中康裕先生らの講習会にもスタッフとして参加していたそうだ。

 祖父たちが仕事に就いていた姿は知らない。だからたぶん、私にとって『仕事』のイメージは所謂『自由業』だったのだろう。

 大学3回生。就職活動をする中で私は『自由業』を全く視野に入れなかった。
 そもそも大学院に行きたかった私は、一旦社会に出た方が良いというゼミの先生のアドバイスを受け就活したのだった。そして今、もう院試を諦めている。
 社会人5年目。経験社数3社。大手の外資企業を経験し、国内ベンチャー企業を経験し、今は国内中堅企業に落ち着いている。仕事はできる方だと思う。社歴が浅い割に頼りにしてくれる人もいるし、人間関係もさほど悪くはない。ほどほどに頭を使う仕事で、ほどほどにやりやすい仕事。
 と、ここまで来ても私は、あの頃なりたかった『仕事をする人』になれていない。憧れていたのはこんな姿ではなかった。

 あの憧れを具現化することは不可能だ。なぜなら、小学生の頃に見ていたそれは、空想でできた詰めの甘い夢に過ぎないから。成長とともに修正すべき像を、私は修正することなく抱えてきた。
 もっと現実的に物事を捉えていれば、今とは違った人生で、もっと憧れに近い姿になれていただろうか。と考えることもある。覆水盆に返らず。今考えても詮無いことである。今までの道筋を経てきて今の私があるのだから。
 
「やるに遅すぎることはない」という言葉をどこかで聞いた。 
 そんなことはないよな、と正直思わなくもない。どんなことにも、『やるべきタイミング』と『できるタイミング』は存在する。アンテナをどれだけ張れているか、という話にも結びつく。
 
 けれど今私が、私の『仕事』を見つめ直そうと思ったのだから、『タイミング』ということなのだろう。

 今私はnoteを毎日更新している。
 こうやって発信活動をしていることが、私にとってはアクションであり進歩だ。
 とにかく今は、こうやって始めた道を進むことにする。その途中でまた、夢を見れると思う。

 あの頃は夢を見すぎていたけれど、それは私に夢を見るエネルギーはあったっていうことだと思うから。今からでも、また夢を見ることはできるだろう。
 それはたぶん、あの頃より現実的で地に足着いたものになるだろうけれど。

 
  

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