何者でもない私の、裸の文章に「スキ」が欲しくて

これは、私がnoteのプロフィールに画像を設定したり、記事に見出しや太字を使ったりしない理由。


私のnoteには、下書き記事がたくさん溜まっている。

一本一本の記事を、数日かけて書き上げていくからだ。

素人だけれど、文章を書くことに関しては、ある程度のプライドを持っている。
私が何者でなくとも、誰かに私の文章そのものの価値を認められたいのだと思う。


自慢させてほしい。

中学生のとき、私の作文を高く評価してくれた国語の先生。

後に県内一の進学校に行ったくせに、国語のテストだけは私に勝っただけで喜んでいた友達。

「これって助詞?助動詞?」みたいな話に、とことん付き合ってくれた母。

大好きな、文を単語や文節で区切る問題を、たくさんやらせてくれた塾。

高校のとき、英語のテストを採点して「現代文とか、得意でしょ」と言ってくれた先生。


どれも、些細なできごと。
自慢になるようなことでもない。

でも、どれもが、本当に嬉しかったこと。

私の「文章」への情熱を築いたもの。


大学受験で理系を目指したことを機に、文章を書くことはめっきりなくなってしまった。
それを、とても後悔している。

書きたい。
その思いだけが今、こうして私の指をキーボードへ向かわせる。

だから、文章を打ったり推敲したりする以外の行為は、できるだけしたくないのだ。


読みづらいかもしれない。たくさんの人には、読んでもらえないかもしれない。
それでも、私のこの裸の文章が「スキ」だと言ってくれるたった1人と出会うために、私は書き続ける。


これが私の、noteの使い方だ。

お読みいただきありがとうございます。みなさまからのスキ等が何よりの励みです。今後ともよろしくお願いいたします。