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広州と言えば、飲茶!

《福福の知りたい広州!vol.21》

ライチ局長のグルメ記事に刺激され…
今回は、福岡広州ライチ倶楽部で毎年秋に開催されている「飲茶会」にちなみ、千葉由紀子理事長に広州での飲茶にまつわる美味しいお話などをご紹介いただきます。

『広州と飲茶』

広東地方の代表的な食文化―飲茶。1979年に福岡市が広州市と友好都市となって交流を始めたころ、交流の担当者だった私は、そんなことは何も知りませんでした。

当時の行き来では、迎える側が客側の来訪目的に沿って、宿も食事も、車もすべて手配する方式をとっていたのですが、出張すると、広州市外事弁公室の担当者から「今朝は飲茶を用意しました」などと言われ、出てきた料理が小さな蒸籠に入ったホカホカの饅頭だったり、大皿にのった可愛らしいウサギ型のお菓子だったりと様々で、しかもどれも非常に美味しくて感激したものです。

回を重ねるうちに、それらがいわゆる「点心」というものだと知りました。「このレストランでは3000種類以上の点心ができます。」という言葉どおり、本当にいろいろな形や味が楽しめました。中でも私は慈姑の粉末を練って蒸した“馬蹄糕”が大好きです。“萝卜糕”(だいこん餅)も外せないか―。アヒルの舌の料理や、鶏の足の料理もあり、これらは材料が1羽から1、2個しか採取できない貴重な食材であることもあって、かなり高価な点心のようでしたが、私はなかなか口にする勇気がありませんでした。

そこでは必ず「お茶はどれにしますか?」と聞かれます。プーアル茶、ウーロン茶、緑茶に紅茶…。種類が多すぎて、違いを知らない私は選びようもなく、お任せにするほかありませんでした。ここではお茶が主役で、点心は「お茶の友」なのですが…。

「飲茶」とはもともとお茶を飲みながら、お茶請けに軽食をとるという、小腹を満たすための、いわばおやつのような食文化で、中国各地にあるものです。広東地方でこれが有名になったのには、いくつかの理由がありそうです。

まず暑い気候があげられます。広東地方には“三茶両飯”といって、一日の食生活が朝茶、午茶、夜茶と昼飯、晩飯という5回の食事で成り立っていたようです。レストランもこのような習慣にあわせて食事を提供していました。亜熱帯気候の、暑い季節の長い土地柄なので、朝晩の涼しい時に戸外に出て朝茶や夜茶を楽しんだのでしょう。飲茶の席は商取引の場にもなっていたそうです。

もう一つの原因に、広州がお茶の産地に近く、代表的な対外貿易港であったことがあげられます。

お茶の交易の歴史は古く、シルクロードを通ってトルコや中東と貿易されていましたし、日本には留学僧の手により奈良時代には伝えられていました。1400年代、明の時代に西洋に先駆けて繰り広げられた鄭和の大航海では、茶葉が主な交易品の一つとして遠くインドやアラビア、アフリカ東岸までもたらされていました。清代初期になると西洋の国々が交易を求めて中国にやってくるようになり、唯一の対外貿易港だった広州の経済活動は大いに活気づきました。そしてここでも茶葉は貿易品の主役でした。中国全土の銘茶は続々とこの地方に集められていたのです。

「飲茶」はイギリス英語では「Yum・cha」と広東語そのままで発音されるそうですが、福建語では「Lim・dea」と言い、英語の「Tea」はここから来ているそうです。世界は「茶」は取引された場所によって、「チャ」と発音する地域と「ティ」と発音する地域に分かれますが、いわば広東流と福建流といったところでしょうか。

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「食在広州~食は広州にあり」という言葉があります。これを日本に広めたのは邱永漢氏だと言っていいと思います。

邱永漢氏は1924年台湾出身で母親は福岡県久留米の人。18歳で来日し、東京大学経済学部に学びました。お金の話をすることは何となくタブーといった当時の風潮の中で、この人は「金銭読本」「投資家読本」など堂々とお金について論じ、世間の注目を集めました。文才豊かな人で、1955年には小説『香港』で第34回直木賞を受賞しています。

この人の書いた「食は広州にあり」という散文が1954(昭和29)年から雑誌に連載されて評判を呼び、1957年に刊行されました。私の書棚にある中公文庫の本は、1975(昭和50)年初版、1981年第11版となっていて、かなりよく読まれたことが分かります。目次には漢字4文字の標題がずらっと並び、日本語でも適切なタイトルがつけられています。「南有嘉魚~海の幸は南から」「君子有酒~酒徒を論ず」といった具合。夫人は広東出身の料理研究家だそうで、夫婦して食通だったのでしょう。全て中国の食に関する内容なのですが、軽妙洒脱な文章に引き込まれてどんどん読み進んでしまいます。

そこで紹介されている飲茶の光景―売り子と客のやりとり―が興味深く、私はずっと憧れていました。数年前、退職後自由の身になって広州へ行ったとき、友人に頼んで飲茶の専門店に連れて行ってもらいましたが、残念ながらずいぶん近代化されていて、邱永漢氏の文章に描かれた光景は見られませんでした。急須に湯がなくなったら、蓋をずらしておけば熱い湯を足しに来てくれる―はずが、もはやテーブルごとに熱湯の出る蛇口がついていて、いつでも自由に湯を注げるのです。でも点心をワゴンに乗せて店内を廻り、客がのぞき込んで好きな点心を取るという方式は残っていましたので、わずかながら満足しました。

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福岡と広州の民間交流を進めようとの目的で2008年に発足した福岡広州ライチ倶楽部。「飲茶会」は当初から続けている活動の一つです。相応しい人に料理の作り方を教わりながら参加者全員で実習し、出来た料理を賞味しながら広州に関わる卓話を聞く…というイメージでスタートし、1年に1回の頻度で進めてきて、今年は11月2日に第15回目を実施しました。当初は、福岡在住の広州人や、中国出身の料理好きの人に頼んで作り方を教えてもらっていましたが、第6回目からは福岡の中華料理の老舗「福新楼」の王総料理長が、3種類の季節にあった家庭的な中華料理を教えてくださるようになりました。

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王先生は、毎回薬膳の知識を少しずつ講義に入れてくださいます。曰く:
 
「春に苦菜を食べるのは、苦みに解毒作用があるから」 

「陰陽五行では、春が青、夏は赤、秋は白、冬は黒。秋には白い食物―カブ、山芋、白木耳などを摂取するとよい」

「マッシュルーム以外のキノコ類は、少し毒があるので一番先に加熱すること」 

「オイスターソースに含まれる亜鉛は体に良い。不足すると味覚障害を起こす」 

云々。

飲茶会ですから、出来上がった点心や料理は毎回かならず中国茶と一緒にいただきます。中国茶は私が広州で買ったものや友人たちからいただいたもので、珍しいと喜ばれています。

今回の飲茶会には、調理に16人、仕事後の参加者が3人、合わせて19人が参加しました。王先生が持ってきてくださった金木犀の一枝が、終始会場にあまい香りを漂わせていました。

メニューは:清炸鶏塊(鶏肉の唐揚げ)・秋白色湯(白色スープ)・牛米芥蘭菜ブロッコリーの牛ミンチあんかけ)の3種。おなじみの鶏肉の唐揚げは鶏肉にかたくり粉と小麦粉をふり、油を含ませておくことがカラっと揚げるコツとのこと。確かにカラっとした口触りで、噛むとジューシーでした。

山芋、白木耳、牛乳など秋に因んだ白い食材を使ったスープは薬膳っぽくて嬉しく、ブロッコリーの牛ミンチあんかけには、いただいたレシピにはなかった、先生手作りの“陳皮”があしらわれました。陳皮を使うのは初めてという人も多く、とてもいい勉強になりました。日頃食べているみかんの皮を日に干しておけばいいのだそうで、水で戻しみじん切りにしてかけるだけ。これがまた何とも美味だったので、うちに帰って早速食べたみかんの皮を干しました。

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飲茶会で覚えた料理を家でやってみることも多く、家族にも喜ばれています。(下は私が家で作った饅頭)

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<福福より>

私も毎年楽しみにしている飲茶会。美味しいお料理を囲みながら、中国情報に耳を傾けるひと時は格別です。

飲茶会開催予定は、福岡広州ライチ倶楽部のHPやFacebookに掲載します。
福岡在住の方、来年是非ご参加ください。大歓迎です♪

※なお、お茶の歴史については、福岡と中国のお茶の物語について紹介している記事がありますので、こちらも併せてご覧ください。

【 福岡広州ライチ倶楽部HP 】
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http://lychee-club.jp
【 福岡広州ライチ倶楽部Facebook 】
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