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音楽✕陸上

皆様、こんにちは!
信州Lycaonsマネージャーの小林です🍓🐰

現在は代表の菅原さんと一緒に、Twitterを中心にSNS業務を担当しています。

自身をマネージャーと名乗りましたが、実は過去にスポーツ歴もマネージャー歴もありません🏃‍♂💨(あ、空手はやってました)

ただの陸上界の一ファンです。

そんな私がなぜ、信州Lycaonsに携わっているのでしょうか?

今日は私の経歴とともに、リカオンズとの巡り合わせについてお話いたします。

小籠包と言われた写真


私は8歳の時に、趣味でフルートをはじめました。
フルートという楽器は、吹奏楽部をきっかけに始める人がほとんどですが、私はとなりのトトロがオカリナを吹いているのを見て、笛に憧れたのがきっかけです♪⁠┌⁠|⁠∵⁠|⁠┘⁠♪

当時はフルートを習う人が周りに居なかったから、というのも理由として大きかったですね。
また、当時の先生とのご縁もあったと思います。

小学5年生以降は、後にも先にもフルートだけでしか、将来を想像出来なくなりました。

中学受験をして、国立音楽大学附属中学校、高等学校を経て、大学まで進みました。

中高生の時はコンクール入賞や学内演奏会に選抜して頂いたり、色々なことが順調で、自分の中のピークだったと思います。

大学4年の時は、就職よりも進学がその先のプランにありました。

同大学院の入試では、学科が苦手だった為、ドイツ語等の学科を引きこもって勉強しまくっていたら実技で落ちてしまいました(笑) 
拍子抜けです!!!!!!
もちろんフルートも最大限真面目にやっていました(⁠◍⁠•⁠ᴗ⁠•⁠◍⁠)悔いはありません。

大学を卒業したら「このままではニートだ!」と焦って、フルートを習い立ての頃に師事していた先生に相談したところ、桐朋学園大学の研究科という所へ進学する運びとなりました。

焦る必要なんて無かったのに、当時は今よりも経験が浅く、視野が狭かったなぁ🤔

桐朋は同じ音大という類ですが、音大の雰囲気もそれぞれありますから、入った時は、外の世界を見たような感覚でした。

初めて他の音大に入ったことで、また新たな人付き合いが出来たり、様々なことを吸収することができ、新鮮でした✨
プラスになったことが大変多くありました。

でも、「国立音大が好きだったな」という気持ちにも気付きました。

故郷への思い入れって、こういうことなのかな、と。今思うと。

リカオンズのメンバーは長野への特別な思いが強い方々ばかりで、私は故郷を離れていないからあまりそういった実感が湧かなかったのですが、近いものなのかもしれません。 

社会人になり、音楽家フリーランスとして、コンサート演奏、音楽教室や学校での指導を行っています。

さて、陸上ファンになったのは社会人になって少し経った頃でした。

ハイヒールで走りました


両親が元々陸上ファンで、全日本大学駅伝をTVで観ていました。
その時、私もたまたま観ていたんです。
たまたまその場にいた、みたいな。

私は当時青学の森田歩希さんと、東海の湊谷春紀さんの心理戦のような駆け引きに釘付けになりました。
二人の競り合いに目が離せませんでした。

駅伝ってただ走るものじゃなくて、こんなに奥深さがあるんだ!と気付きました。

そこから、「絆の物語」や「春夏秋冬」等で、選手一人一人に沢山の苦労や素敵なドラマがあるんだ、なんてことも知りました。

私は何かのきっかけで突然何かにハマって、ひたすら熱が入ってしまう性格です。
覚醒してからは毎日のように陸上関係のメディアにアンテナを張りました。

陸上選手は私にとって一生憧れの存在で、全然違う世界の人達だから、一生接点なんて持てないと思っていました。

そんなある日、このチームがマネージャー募集をしていました。
趣味の感覚で思い切って応募すると、"陸上とかけ離れた私だから"こそ、菅原さんは私のことを気に留めて下さいました。 

ちなみに、チームメンバー含め、私には陸上関係者の方がみんな芸能人に見えています😎

よくレース前に、選手の皆さんが「音楽を聴いて気持ちを集中させている」と仰っているのを耳にいたします。

音楽をやっている立場からすると、その逆で、「陸上選手も厳しい世界で頑張っているんだから私も頑張ろう」とか、「あの選手がこんな地道な練習を重ねて努力しているから、私もあの基礎練習やらなきゃ」と、日々思います。

音楽が陸上選手の力になっているように、私にとって陸上選手の存在がモチベーションになっているんです。

陸上競技に感謝!
信州Lycaonsに感謝!
菅原さんに感謝!!


最後まで読んで下さってありがとうございました🌸




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