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人は、人を傷つけて生きている

こんにちは、ヨウです。

今回は、私の考えのお話です。

皆さんは、人を傷つけたことはありますか?

おそらく、どこか心当たりがあるのではないのでしょうか。そして、その現実から目を背けたくなっているのではないでしょうか。

私も、自分が傷つけられたときのように、誰かを傷つけたことがあります。

そんな、心の話をしていきます。


ただ、あくまで私の個人的な考え方なので、全てが正解というわけではありません。「こういう考え方もあるのね~」と軽い気持ちで読んでみてください。よろしくお願いします。



人間は、一人では生きられない

大前提として、私たち人間は1人では生きていけません。必ず誰かのお世話になっています。衣食住に始まり、仕事から娯楽まで、何を取っても共存しないと成り立たないものばかりです。

私たちは、共存して生きています。だから、一人では生きられない。 

共存していく中で、衝突することもあります。我慢しなければならないこともあります。だから、傷つくこともたくさんあります。そして、傷つけてしまうこともたくさんあります。

そう、私たちは、お互いに傷つけ合って生きているのです。



傷つけずに生きることは、不可能

 人が傷つけ合って生きていること自体は、しょうがないことなんです。

共存するためには、誰かと意見がぶつかることもあります。しかし、ぶつかりながらも、どこかで折り合いをつけながら、現状を乗り越えていかなければなりません。そういうプロセスを通して、人は成長していきます。


私たちは、「人を傷つけないようにしなさい。」と教えられます。しかし、そんなことは不可能なのです。

仮に、誰も傷つけないで、誰からも傷つけられないで、生きてきたとしましょう。そういう人は、ちょっとの傷でショック死してしまいます。

生きていくためには、傷に耐性を作る必要があるのです。そういう意味で、多少の傷は、必要なのです。

 


体の傷と心の傷

だからと言って、むやみやたらに傷つけて良いわけではありません。

体についた傷は、放置し適切な処置をしないままにしておくと、バイ菌が入り悪化して、命に関わる可能性があります。だから、消毒したり、傷口を保護したりして、最終的に自然治癒力で傷が治るように処置をするのです。

 では、心の傷はどうでしょうか。実はこれも同じで、そのままにしておくと悪化します。だから、消毒したり保護したりしなければなりません。

しかし、体の傷と違うところは、心は傷口が見えないところです。どんな人にも、心の傷は見えません。だから、見ず知らずの人に、見えない傷口をグリグリえぐられて、気づいたときには塞がらないほど傷が広がっていることがあります。

 


心の傷の”消毒”と”保護”の方法

心の傷を消毒するには、「受容と共感」が必要です。誰かと擦れてついた傷は、他の誰かに容認してもらうことで、傷に付着したバイ菌が取り除かれます。

心の傷を保護するには、「自分の全てを受け入れてくれる居場所」が必要です。一般的に言えば、親や兄弟といったところでしょうか。どんな傷を受けても、当たり前に居場所があることが、傷口の保護につながります。

適切な処置をしないと、当然、傷口が広がり、傷が広がり、取り返しのつかないことになってしまいます。 

何度傷ついても、何度か経験すれば、傷つかなくてもいい方法を見つけることができます。また、適切な処置を続ければ、多少のダメージでは血が出ない皮膚になることもあります。そうして傷つき続けても、回復しながら傷つかないようになっていきます。



「きちんと消毒して保護していたら」の話

勘違いしてはいけないのは、あくまで「適切に処置したら、今後うまく対処できる」ということです。傷口を放置したままでも回復する人も中にはいます。しかし、回復できなかった人は、その傷が一生残るものになるかもしれないし、命に関わることもあります。

 

また、すでに傷が一生のものになっている人も大勢います。心の傷はトラウマになり、精神疾患や情緒障害を引き起こしている人もたくさんいます。

そして、この記事で傷ついてしまう人もいるかもしれません。そうなってしまったら、ごめんなさい。

 


理解して、分かち合って、支え合って

 私が言いたいことは、人は生きているだけで、誰かを傷つけてしまっているということです。傷は、どうやっても避けられません。それならば、どうしたらよいのか?

お互いに支え合えばいいのです。

気持ちを受け止めて、「わかるよ。」って言ってあげて、そばにいてあげて、そのままの相手の存在を認めてあげればよいのです。


当たり前のことのようですが、これがなかなか難しいんですよね。



終わりに ~自分が満たされてからでいい~

今回は、心の傷の癒し方についてお話ししました。

しかし、誰かを癒すことは、自分が満たされてからでいいと思っています。


試しに、周りの優しい人にうんと甘えてみてください。「甘えるな!」と突っぱねる人のところではなく、逃げて、ワガママ言って、安心できる人のそばで心を満たしてみてください。

私は、施設に入る前、自分を殺そうとしたことがあります。当時の私は、精神病の母を支え、弟妹を支え、辛い気持ちでいっぱいでした。しかし、そういう考えは”甘え”だと思っていました。自分が弱いから、自分が情けないから。そうやって自分を追い込んで、家族を支え続けていました。

自分の心が傷だらけだということに気づかずに。

施設に入り、たくさんの人と出会い、たくさん褒めてもらい、安心を手に入れました。心が少しずつ満たされいく中で、自分が傷ついていたことに気づきました。

守られ、満たされ、安心できたからこそ、今頑張ることができています。


自分の心が準備できるまで、ゆっくりしてもいいんですよ。

というか、ゆっくりして、自分の心を見つめてほしいんです。

それが、未来の自分を助けることになるはずですから。


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