見出し画像

児童養護施設にいることは、幸せか?

こんにちは。ヨウです。

今日は、児童養護施設にいる子どもたちの気持ちについて、記事にしたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします。


1.児童養護施設にいる子は、幸せ?

答えは、「人によって違う」です。そりゃそうか。

そもそも、幸せかどうかの価値尺度は、人によって異なります。とても貧しくても幸せな人もいれば、他人が羨むほど裕福な家庭でも不幸だと感じる人もいます。つまり、他人が勝手に人を幸せかどうかを判断してはいけない、ということです。

なんか、たいそうなタイトルで書き始めたわりにこんなこと書いてしまって申し訳ありません。ここで申し上げたいのは、施設の子の幸せは、本人に押し付けるものではないということです。今回の記事は、あくまで「施設の子の状況を、あなたはどう思う?」という視点でみていただきたい。仮に、あなたが「この子は施設に入れて幸せだ。」と思ったとしても、その子に対して「あなたは幸せ者だよ。」とは決して言わないでいただきたい、ということを言いたいのです。価値の押し付けをしないことを、頭の片隅に入れていただければ、と思います。

ただ、施設に救われた子も多く、幸せに感じる子もいます。その子が「施設に入れて幸せだった。」と言えば、「幸せだったんだね。」と共感してあげてくださいね。


2.施設に入所する理由を考えてみよう

現在、虐待を受けて施設に入る子が半数を超えています。施設にいる子は、児相から「施設での養育が適切」と客観的に判断された子ですから、住環境的には良くなったのでしょう。

また、親の入院や収監で施設に入った子もいます。まあ、虐待というより親権者の不在という状況ですから、虐待よりは軽度かもしれませんが、「親が養育しなくなった。」と捉えれば、ある種のネグレクトなのかもしれませんね。こう考えると、施設に入った時点で、施設の子は被虐待児であるといえるかもしれませんね。


3.いくら虐待を受けても…

ただ、不思議なことに、いくら虐待を受けても、往々にして子どもは親を求めてしまうものです。大きな痣が出来るほどひどい暴力をされても、ろくに食事も与えられず放置されても、親を求める子は大勢います。それは、小さな子であればあるほど、その傾向は強いようにも感じます。中学生や高校生になって施設に入った子でも、そういう傾向を見せる子も大勢います。

大人になって、虐待親にわざわざ会いに行く子もいます。客観的に見れば「そんなバカなことを」と思われるかもしれませんが、私にとってみれば自然なことではないかと思います。社会に出れば、仕事の話は当然しますが、プライベートな話もします。その中で、家族が話題に出ることもあるでしょう。話題に上がれば、考えてしまうのが人間です。子ども時代にひどい目にあったけれど、自分が大人になった今、どんな見え方がするのか。現在はどんな姿をしているのか。自分を生み出した人間はどんな人物なのか。長く離れていれば、それだけ興味が湧きます。

でも、施設にいたことで幸せだったかどうかは、正直、その人本人しかわかりません。これは、施設にいたからどうというわけではありません。施設にいたことが、果たして本当に幸せだったのか。それは、その子自身が自問自答するしかないのです。


終わりに ~私の体験談~

私の母は、入退院を繰り返していました。母が入院するたびに、私たち兄妹は、子どもだけの生活を強いられていました。私は長男坊として、弟妹のことも家での生活のことも責任を感じていました。高校生活も家での生活も、何もかも上手くいっていなかった私は、母が飲んでいた精神科の薬を大量に飲んで自殺を図ったこともありました。

それから施設に入り、自分のやりたい勉強や趣味をしていても、生活が成り立っていくことに、充実感を持っていました。きちんと見守られている、衣食住が確保されている、そういった安心感がありました。

私自身は、施設に入ることができて、幸せでした。そうでなければ、今の自分はいないのですから。



きょうは、この辺で。


↓併せて読みたい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?