見出し画像

年取って「昔話」に花を咲かせたい

こんにちは、ヨウです。


今回は、私が義実家に引っ越し、そこで出会った方々との話から考えたことを記録したいと思います。


自治会のご老人との飲み会

私が住んでいる地域は、周囲に田んぼと山ばかりです。そこに、6~7軒家が建っている、所謂”集落”なのです。

若い夫婦が引っ越してきたことと、コロナの様子が(私の自治体では)落ち着いてきたこともあり、自治会長さん(70歳)が歓迎会を催してくださいました。

飲み会と言っても、近所の方の庭で、ご近所の老人方とバーベキューをするというものです。老人会の一環だ、とおっしゃっていました。私、まだ27歳なんですが。笑 

ちなみに、私と最も年齢が近い方は、58歳でした。(お義父さんの同級生)


そこで、いろんな話をしました。ご近所さんの老人方は、農業をされている方が多く、お出かけ先も田んぼか畑か農協という状況ですので、最新の話題は1時間と経たずに底をつきました。

そのあと、ご近所さんの話題は「昔話」でした。

小学校の時、あの山で蜂の巣をつついて大変な目にあった。昔は、そこの脇道が海へつながる道だった。子どもの頃は、そこから海に行って、わかめやら貝やらを収集して、食べていた。昔食べた柿の種を庭に植えたのがどんどん大きくなって、それでこの木があるんだ。ため池に大きなカメがいて、それを見たくて池に落ちて母親からこっぴどく叱られた。

ご近所さんの少年時代のお話は、どれも面白いものばかりで、昔を懐かしみながら焼酎を飲んでいる皆さんと、楽しい時間を過ごしました。



子ども時代の経験は、年老いても消えない

そんな楽しいことばかりが、思い出話ではありません。ある方から、壮絶な話も聞きました。

 昔、父親が海に仕事に出かけて、帰ってこなかった。そして、小学生になる前には、父親がいない生活をしていた。母親が仕事をしながら生計を立てていた。父親がいないことを、事情を知らない同級生に馬鹿にされた。そのたびに「俺は強くなるんだ。父親の代わりになるんだ。」と、懸命に勉強した。そして、当時稼ぎが多かった重工業の職を手にした。いつもぼろぼろの服をしつこく着ていた母親に、初任給で服をプレゼントした。母親は死ぬまで、その服を大切に保管していて、母親の棺に、その服を入れてやった。

この方は、いつも明るく、楽しそうに振舞っている方です。しかし、この子どもの頃の経験があったから、勉強も仕事も頑張れたとおっしゃっていました。自分を大切に育ててくれた母のために、真面目に、懸命に生きてこられたようでした。



どんな人にとっても、大切な子ども時代

ご近所のご老人方が集まって、「そんなことあったなあ。」「あれは面白かったな。」「あの時は大変だったなあ。」と話しながらお酒を飲んでいる姿は、とても幸せそうで、こんな風に年を取りたいなあ、と思いました。


それと同時に、自分には、そういう「昔は良かった。」みたいな思い出がないことに気づかされました。

家庭が孤立化し、いじめも受けて、母親が精神疾患になって、自ら命を絶とうと決めた少年時代。私は、地元に帰っても、そういう少年時代を楽しく語る相手がいないのです。


しかし、私は運よく児童養護施設に入ることができました。早くに救われなかったものの、そうやって施設で出会った友達は、思い出を共有できる仲間です。そういう友達と巡り会えたことは、幸運でした。

私にとって、子ども時代の思い出のほとんどは、闇に葬り去りたいものばかりです。しかし、それがあったからこそ、今の自分がいると、今は受け入れることができています。


私は年を取って勇退したら、ご近所さんたちみたいに「昔は良かったなぁ。」「あの頃は輝いていたなぁ。」と目尻にシワを寄せながら、仲間と一杯やりたいな、と思います。

そのために、これからも努力と笑顔に溢れた毎日にしていけるよう、頑張りたいと思います。

きっと、施設時代の思い出からでも、遅くないはずですよね?




終わりに ~一番大切な時間を奪う「虐待」~

子どもは、生まれる場所、環境、そして親を選べません。与えられた環境で、限りある財産の中で、自分を成長させるしかありません。不公平な事実ですが、人として生きる以上、それと向き合わざるを得ません。

逆に親は、子どもが自立するまでの責任を負います。その重責は並大抵のことではありません。たくさんのことを与えたくても、与えられない方もいることでしょう。子どもの望み通りのものを与えられずにヤキモキする人も多いと思います。


それは、しょうがないことです。

ただ、虐待は与えてはいけません。


虐待は「子どもから、大切な時間を奪う行為」です。叩いたり蹴ったり、精神的に追い詰めたり、性欲の捌け口にしたり、放置したり。子ども時代に負の遺産を植え付ける行為が、虐待です。そういった行為が、子どもの人生を狂わせる根っこになります。

根っこは、いつまでも残ります。きれいに取り除けたと思っても、心のどこかに残ってしまうものです。それほど、虐待は重罪なのです。


ただ、逆に、その子ども時代が「愛情」で埋め尽くされていたら、どうでしょう? 何かに躓き、苦しみ、災難続きでも、「愛情」が心の根っことして残ります。それが、子どもたちを最終的に救ってくれるはずです。


多くの親御さんには、子どもとの時間を大切にしていただきたいと思います。子どもの話を聞いて、認めて、可能な限りの愛情を注いであげて欲しい。お金や地位、見栄や見た目はどうだっていい。親御さんには、子どもが社会的に立派であろうとなかろうと、最後の最後まで子どもの味方でいてほしい

私は、そう願っています。


私が、そうして欲しかったから。



↓併せて読みたい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?