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虐待を「指摘」する

こんにちは、ヨウです。

今回は、虐待をテーマにしていきたいと思います。


あなたは、虐待をしている人に「それ、虐待だよ?」と言えますか?

また、「それ、虐待だよ?」と言われたら、どう思いますか?


今日はそんな内容を記事にしました。



虐待は増えている?

コチラの記事に記載していますが、そもそも「虐待の総数」が増えているのではなく、「虐待相談対応件数」が増えているのです。

つまり、虐待が増えているのではなく、元々あった虐待がどんどん人の目につくようになってきたということなのです。


「虐待者」とは?

虐待という行為をしてしまうのは、間違いなく大人です。被害者が子どもで、加害者が大人であれば、もうそれは「虐待」なのです。

ですから、私たち大人は、全員が「児童虐待」の犯人になる可能性を秘めています。子を持つ親であれば尚更です。大人は、虐待をしてしまう可能性を常に持っています。



SNSから分かる、「虐待者」の性格

今は、SNSで様々なことを調べることができる時代です。私はTwitterとInstagramをしています。そこで、「虐待をする人は、どういう人がいるのか?」ということを調べてみました。

実際、一般化できるような特徴はほとんどなありません。いろんな性格の人が、いろんな環境の中で虐待をしているので、一概に「こういう性格だ」と定義できるものはありませんでした。

しかし、その中で、似たような反応をしているケースがいくつかありました。それは

「虐待している親が、虐待のニュースを見た時、『虐待なんて可哀そう。そんなひどいことをする人がいるなんて!』と言う」

ということです。

俗にいう、「#毒親」というワードで検索すると出てくる話の中に、こういった話が複数見られました。私は心理学の専門家でも何でもないので、この理由については詳しく分かりません。しかし、ここから言えることは、「虐待をしている親は、自分のしている虐待を自覚していない。」か、あるいは、「虐待したことを棚に上げている。」かだと言えます。


つまり、いくら虐待がダメだということを発信しても、啓発しても、実際に行動に移す人がいるということです。


ただ、ここで言いたいことは、「啓発運動が無意味」ということではなく、あくまで「啓発が効かない層がいる」ということです。



虐待を「指摘」することが必要

結局のところ、私たちがしないといけないことは、虐待者に「虐待を指摘する」ことしかないのではないかと、私は思っています。

虐待者の言動を確認して、「それは虐待ですよ」と伝えるのです。もちろん、言い方は気を付けなければいけません。しかし、どういった形であれ、虐待者には、「それは虐待」の一言を伝えなければならないのです。



指摘された時のリアクション

しかし、大抵の大人は、他人から急に「それは虐待じゃないですか?」と指摘されると、「はぁ?」と返して終わりでしょう。

実際、子育てというものは非常に難しく、知識や経験があっても上手くいかないことが多いものです。時代や環境にも大きな影響を受けます。ですから、「お前なんかに言われる筋合いないわ!」と罵声を浴びせられて終わることでしょう。


親は、愛する我が子のために必死で頑張っている人です。私自身もそういう親の一人です。もし、私が他人から、「あなたの行為は虐待ですよ?」と言われれば、「お前に何が分かるというんだ!」と腹を立ててしまう可能性も大いにあります。

でも、考えてみてください。子育てをしていると、我が子が世界で一番かわいい存在だと思ってしまいます。そうなると、周りの客観的な言葉が入らなくなり、「愛は盲目」状態になってしまいます。このように独りよがりになると、相手を批判したり、強い口調で言い返したりしてしまいがちです。そうなってしまうと、より独りよがりになり、いよいよ虐待は重症化するまで発見されない状況になってしまいます。


私は、「虐待を指摘されること」自体は、間違いではないと思います。「それは違う」と教えてもらうというだけの話です。問題は、指摘を受けた時に「お前に何が分かる!」と突っぱねてしまうことだと思います。一度立ち止まって、冷静に話を反芻する余裕が必要なのです。(ただ、これがなかなかできないから、子育ては難しい…)



「指摘してもらえる状況」にしてしまおう

そこで、私は、自分の子育てについて、周囲の人に積極的に話しています。これが上手くいかない、こうやってみたけどダメだった。こういうことを、地域の方や家族、子育て経験のある知人に伝えているのです。

知っている人から言われることであれば、ある程度受け止めることができます。それに、自分から開示していけば、「その時は、こうしたらいいよ。」と虐待をしてしまう前にアドバイスをもらえるかもしれません。


自分で予防線を張るためにも、私は周囲に対して「私の子育て」をオープンにしています。そして、指摘は参考意見として取り入れて、冷静になってから考えるようにします。そうすることで、自分が深刻な虐待をしてしまうリスクを限りなく減らすことができるのです。



終わりに ~虐待はダメなんだ~

ここでは、虐待の指摘の必要性と、その解決方法について書きました。しかし、実際問題、この辺の対応というものは、いろんな考えの人がいるので、簡単に解決するような話でもありません。あくまで一例だと捉えていただければ、と思います。


ただ、「虐待はダメなんだ」ということは、断定させていただきます。


虐待は、子どもの心に深い傷を負わせます。当時のことだけじゃなく、その後フラッシュバックして、大人になっても苦しむことだって少なくありません。幼少期、思春期のころの傷は、急にぶり返して痛み出すことが多いのです。

私自身、大学時代に、当たり前のように仕送りをもらったり、学用品を買ってもらったりしている友達を見て、心底羨ましく思いました。そのたびに、「なぜ、俺は、こんなに必死に頑張ってあいつより成績がいいのに、バイトに必死じゃないと大学に通えないのか…」「なぜ、小さな支援の一つも、すぐに手に入れられないのか…」と自己嫌悪に陥ったことが何度もありました。幸い、私は理解ある友達に囲まれていたおかげで、他人を批判せずに済みました。しかしそれでも、自分の苦境を悲しみ、親を呪ったことが何度もありました。


ただ、私が受けた傷は、他の子たちに比べれば軽いものなのかもしれません。病院に運ばれるほどの暴力を受けた人もいます。望まない性行為によって、ひどいトラウマを抱え続けている人もいます。親から否定され続けたせいで自分の存在を否定し続けている人もいます。差別的な扱いを受けて、愛され方を知らないまま育つ人もいます。

虐待に大小をつけることはできませんが、少なくとも言えることは、「虐待を受けた過去は変えられない」ということです。変えられない過去によって、子どもたちは苦しみ続けます。大人になっても苦しみ続けます。


私は、そんな経験を、今の子どもたちにしてほしくない。最後まで読んでくださったあなたには、少なくとも、「被虐待児」を救える方法を知っておいていただければ…と思います。



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