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不平等を乗り越える「大富豪」の教え

こんにちは、ヨウです。


今回は「不平等」についてお話しさせていただきます。


皆さんは、「不平等だな」と思ったことはありませんか?

死ぬ気で勉強をしても、自分の上には上がいる。自分より能力が低い人が、優遇されている。誰より周りを大切にしようとしているのに、思いやりのない人が認められる。自分より仕事をしていない人の方が給料が高い。自分が一生懸命に解決している問題が、他人にとってはそもそも問題じゃない。生まれた瞬間から、すでに自分は不利な立場にいる…。

上記は、私が今までに感じてきた不平等です。


平等とは、「差別なく、みなひとしなみであること」ということらしいです。また、近代民主主義の基本的政治理念としての平等は「すべての個人が身分・性別などと無関係に等しい人格的価値を有すること」だそうです。(iPhoneで調べました)

こういう言葉があるにもかかわらず、世の中は不平等で満ち溢れています。


今回は、そんな不平等のリアルと、私がそれをどう乗り越えてきたかについて、お話しさせていただきます。かなり感情的な内容になるかもしれませんが、ご容赦ください。



世の中は、不平等

まず、世の中は不平等です。どんなに我々が平等な世界を求めても、どんなに行動しても、この不平等はなくなりません。これから未来がどのように変わっていっても、不平等はなくなりません。私はそう思っています。

ある政治家が「どんな不平等もなくさなければなりません」と話している姿を何度も見てきました。その政治家がどれだけ意欲を燃やしても、不平等は決してなくなりません。平等を目指すことはできても、それは絵に描いた餅で終わってしまうとしか、私には思えないのです。


この世の誰もが、同じ時間、同じ時代を生きているはずなのに、そこには見た目の差、収入の差、地位の差、好みの差があります。その時点で、不平等なのです。




生まれた瞬間から開いている”差”

私たちは、生まれた瞬間から、大きな差があります。

美男美女に生まれた子は、幼い時から「かわいいね」と見た目でチヤホヤされます。いつでも可愛がってもらえたでしょうし、ある程度の悪態は許されてきたはずです。

金持ちの家に生まれた子は、産まれた瞬間から、高級な服を身にまとい、高級な食べ物を口にし、お金に困る人生を歩むことはないでしょう。

生まれつき勉強が得意な子は、他の人に比べて、少しの時間で沢山のことを覚え、有名な大学を卒業することができるでしょう。

どんなスポーツも、卒なくこなすことが得意な子は、どの分野のスポーツでも名声を手に入れるでしょう。


私たちは、生まれる環境や、生まれ持った才能を選ぶことができません。

しかも、これが世の中の人にまんべんなく振り分けられるわけではありません。このすべてを持っている人もいれば、一つも手にすることなく生まれる子もいるでしょう。



施設出身の私は、不平等に晒されていた

私は、幼いころから勉強が得意でした。これは、ある種「優位な能力」を与えられたと思っています。

しかし、これはあくまで「先生が言っていることを卒なくこなすことができた」程度に過ぎません。私程度の知能を持った人はごまんといるわけです。そして、私の場合「教えられたこと以外のことはできない。」「察して行動することが苦手」というおまけつきでした。

高校受験の時、まだ私は家庭にいました。私は「公立進学校に行けないのなら、夜間定時制にしかやれない」と親から言われていました。これは私の家族の経済状況が、そうさせていたのです。私立の高校に行くお金はなかったのです。

大学受験の時、私は施設にいました。そこで、私は手に職をつけられることを求められました。学びたいことをただ学ぶだけではなく、その先に明確なビジョンを求められました。それは、「ここで失敗したら、後がないよ」と言われ続けていたからです。親を頼れないということは、そういうことなのです。

大学に行き、自分の夢を叶えるのに、かなりの覚悟が必要でした。奨学金という借金を抱えることが前提でしたし、自立後に頼れる場所はありません。進学先が決まった後、残りの高校生活をバイトで終えました。そして、大学進学後も、バイトをすることが前提でした。


ちなみに、高校時代の周囲に、私と同じような生活をしている友達は一人もいませんでした。大学に入っても、共感して助けてくれる人はいても、そういう苦境を共有できる人は一人もいませんでした。

不平等に晒されながら、孤独に耐えながら、自分の人生を歩むことを決められた人生を、今も歩み続けています。




希望はないのか?

しかし、私は社会に出て、職を変えたり仕事を変えたりしながらも、それなりに楽しい人生を歩んでいます。「最近、自分の人生は割と良いものなんじゃないかな?」と思えるようになったという方が正確でしょう。

私たちは苦しみ続けながら生きています。持っている才能も環境も選べない中で、不平等に晒されながらも、少しの希望があるのです。




「大富豪」から学ぶ

私は、そんな人生の生き方を、「大富豪」から学びました。

あ、ここで言う「大富豪」は、トランプゲームの「大富豪」です。笑 ちょっと拍子抜けしましたよね? 「タイトル詐欺だ!」と思われるかもしれませんが、まあ、最後まで読んでください。


「大富豪」は、持ち合わせた手札を順番に出し、最終的に早く手札ゼロにしてゲームから降りた人が勝利、というゲームです。手札には、あらかじめランクがあり、弱いものから順々に出していかないといけません。

このゲームは、手札を取った瞬間に、ある程度の差が生まれます。強いカードをたくさん持っている人は難なくゲームを降りることができます。

3<4<5<6<…K<A<2<JOKER と強さが決まっています。ゲーム内容によっては、8切り(場面を1度終わらせることができる)や11バック(そのターンだけ、強さが逆になる)やスペードの3(1枚で戦うなら、JOKERに勝てる)という特殊能力を持ったカードで、作戦を立てながら戦うことができます。

私は、割とこのゲームが得意です。

このゲームでは、カードの切り方や、見せ方が大切です。弱いカードばかりの時にはそれを悟られないようにすることもします。ゲームを始める前に、「弱いけど特殊な能力を持ったカード」を確認し、複雑なゲームとして上手くカードを切ることもできます。相手の切ったカードから手札を予想したりもします。とにかく頭を使うのです。

そうすることで、弱いカードばかりでも、最下位になることはなく、たまにトップで優勝することができるのです。(当然、強いカードが出てきたら負けません)




弱い手札で、負けなかったら「すごい」

とても貧弱な手札が回ってくることも多々あります。そういう時、私は敢えてこう考えます。

「手札が悪かったから、勝てなかった。」

しかし、特に何も考えていない友達からしてみれば、「よく、その手札で負けなかったね!」「すごいじゃん!」となるわけです。

そうすることで、弱いカードで勝てなかった人が、「弱いカードなのに負けなかった人」に変わるのです。




どんな手札も、切り方を間違えたら負ける

逆に、とてもいい手札が回ってきたのに負ける人もいます。これは、「自分はいい手札だから負けないだろう」と、自分の手札に胡坐をかいているのです。戦いのルールを理解せずに、ただカードを切る。それで勝つ人もいますが、なぜかあっさり負けることの方が多いのです。

最強なのは、「ルールを熟知して、切り方を考えている人に、強いカードがたくさん回った時」です。これは手に負えません。運が悪かったと、それなりの順位で落ち着いて終わりです。そういうこともあります。




自分の手札を知り、適切にカードを切る

勝つためには、自分の手札の状況を知る必要があります。そして、ルールを理解することは最重要事項です。


これを人生に置き換えます。


私たちは「自分が持っている手札」をよく知りません。自分にどんな才能があるか、どんな環境を持っているか、そういうことにあまり目を向けようとしません。弱いカードをたくさん持っている人ほど、自分の中のスペードの3に気づかないのです。状況によっては最強になれる手札を、ただの弱いカードとして使ってしまうのです。

まずは、自分の手札を知りましょう。

そして、手札をよく見てみます。弱いカードばかりでも上手く立ち回れば、最下位になることはありません。ルールを熟知して、戦い方や切り方を学び、相手の行動を予測する。頭を使えば、そういうことだって可能です。ルールを理解し、戦い方を学び、それを実践していくという、ただそれだけのことなのです。

適切な戦い方で、戦いましょう。




「特殊カード」なら、みんな持っている

みんな、手札に「どんな場合でも大体強い手札」をもらうことを期待します。その方が圧倒的に楽に勝てるからです。

人生においても同じで、私たちは素晴らしい容姿や優れた能力を望みます。その方が、楽に他人から秀でることができるからです。

おそらく、この文章を読んでいるあなたは、すでに周りに対して何かしらの劣等感を感じているのではないでしょうか? 私も同じなのですが、生まれた時にもっとイケメンに生まれたらなあとか、スポーツができたらなあとか、もっとコミュ力が高かったらなあとか、お金持ちだったらなあとか思っているのです。しかし、いくら望んでも、後から「生まれながらの能力」は手に入れることはできないのです。


しかし、こういう「生まれながらにしてもらえなかったもの」を探して悲しんでいても、何も進みません。私たちは、「今の手札」を見ないといけないのです。

私たちは、今の手札の中に、特殊カードが潜んでいることを知りません。複数枚並んでいる弱いカードばかりを眺めて嘆いているだけなのです。




Nの特殊カード

私が以前とある小学校で働いていた時、他の先生から「Nは融通が利かなくて、頑固だから取り扱いづらい」と引継ぎをされたことがあります。Nは、確かに融通が利かないし頑固者だったけれど、一度納得したら、とことん突き詰めるタイプの子どもでした。

私は、Nに、学級のある大切な仕事を任せました。そこに、「こういう場合はこうする。」「こう困った時はこうする」と、マニュアルを伝えるように、淡々と、細かくNに仕事を与えました。するとどうでしょう。クラスのどんな優等生よりもしっかりと仕事をやり遂げていたのです。


Nが手にしていた手札は、ただの「3」ではなく、ある場面では最強の力を発揮する「スペードの3」だったのです。




特殊カードを発掘するのが、大人の仕事

こういう「特殊カード」の存在は、大人になれば何となく勉強して見つけることができる可能性があります。しかし、客観性の乏しい子どもが自分で見つけることは難しいのです。何かきっかけがあって、自分を見つめなおすことができるようにならないと、そうそう簡単に見つけることはできません。

意外なことに、自分が「こんなこと、できて当たり前じゃん」と思っていることが多く、そこに特殊カードの能力が潜んでいる場合があります。


私は、特殊カードを見つけることが、大人の役目だと思っています。

客観的に子どもを見て、どういう力があるか、どういった方向の努力が実を結びやすいか、そういうことを掘り起こしていくことがめちゃくちゃ大切なのです。




終わりに ~強い手札でも~

今回は、不平等についてお話しさせていただきました。

実際、世の中は不平等なのですが、「ないものねだり」という言葉もあります。自分に無いものを、他人が持っていたら、羨ましく思う現象です。不平等に嘆き悲しむ人の多くは、この「ないものねだり」を続けてしまいます。

しかし、これは「強いカード」を持っている人も同じなのです。



美男美女に生まれた子は、幼い時から「かわいいね」と見た目でチヤホヤされます。しかし、いつでも見た目ばかりで全てを判断されてしまいます。しかも、目立つ存在になってしまうため、調子に乗ればあらぬ噂を流されるターゲットになりやすいかもしれません。

金持ちの家に生まれた子は、産まれた瞬間から、高級な服を身にまとい、高級な食べ物を口にし、お金に困る人生を歩むことはないでしょう。しかし、自由が利かないかもしれません。親の跡継ぎを強いられたり、親と同等の能力を求められ、そういうしがらみに苦しんでいるかもしれません。

生まれつき勉強が得意な子は、他の人に比べて、少しの時間で沢山のことを覚え、有名な大学を卒業することができるでしょう。しかし、他人からひがまれるかもしれません。能力が高いことで期待値が上がり、たまに失敗したときに大きく評価を下げられるかもしれません。また、勉強が得意であるがゆえに、努力することを怠り、変なプライドだけが残って人生を台無しにしてしまうかもしれません。

どんなスポーツも、卒なくこなすことが得意な子は、どの分野のスポーツでも名声を手に入れるでしょう。しかし、それが長続きするとは限りません。人間の体は、正しく管理をしないと壊れます。人間は、年を取れば必ず身体的な能力が下がります。自信のセンスをひけらかし、不摂生ばかりしていると、落ちるところまで落ちるでしょう。

全ての手札を持っている人は、何でもできてしまうがゆえに、頑張ってやり遂げることも、分かち合う喜びも、真に感じられないかもしれません。人生に面白みを感じることができないかもしれません。


強い手札を持っている人でも、カードの切り方を間違えて脱落していった人は大勢いるでしょう。それもまた人生なのです。


私たちのように、「弱い手札」をたくさん持っている側の人間は、今持っている手札を確認するところから始めましょう。

私は、「児童養護施設出身」という一見弱いカードを、強く見せてきました。たしかに、弱いカードです。むしろ、負けにつながるカードかもしれません。しかし、SNSでは、「児童養護施設出身」を強いカードとして取り扱うことができる猛者がどんどん出てきました。



自分のカードが、どんな能力を発揮するか、楽しみになってきたでしょう?

さあ、自分の手札を、今一度見てみましょう。



それと、大富豪で遊びましょう!笑




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