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施設出身は「弱者」じゃない

こんにちは、ヨウです。



今回は、施設出身者の立場についてお話しさせていただきます。



施設出身者は困難な状況に立たされている

私たち施設出身者は、虐待や貧困、親の不在によって、苦しい選択を迫られていることは言うまでもありません。親を頼れないことによる弊害は、様々です。

頼れる場所のないことから起きるメンタルの不調、金銭的支援の薄さ、親権者の同意がいる書類の多さなど、不遇は続きます。私たちが悪いわけではなく、親が起こした問題から、私たちは困難な状況に立たされているのです。

しかし、それによって、私たちは「弱者」になったわけではありません。



コエールで登壇した5人のイルミネーター

先日、イベントで登壇した5人は、自分の過去を振り返り、辛い現状や、苦しかった過去を持っています。それらを乗り越えて、社会に向けて発信したのです。

イルミネーターとして招集されたメンバーで、辞退した人間もいました。親や関係者に目撃され、自身が不遇に陥る可能性もないとは言い切れません。

そんな中で、社会問題について、自身の経験をもとに発信することは、それなりのリスクを負うことになるのです。


そんなイルミネーターが、果たして「弱者」と呼べるでしょうか?

少なからず、そういった障壁を乗り越えて登壇するという「強い意志」がないと、「過去の経験を伝える」ということはできないはずです。強いからこそ、できることなのです。



施設出身者は、「弱者」ではなく「被害者」

施設出身者は、親権者の不都合によって、被害を受けた子、いわゆる「被害者」です。これは紛れもない事実です。

「被害者」であるが故に起きる不調や不都合が、結果的に施設出身者を「社会的弱者」に追い込んでいることがあります。施設出身者が抱えるデメリットは一言では語ることはできません。

私たち施設出身者は、「弱者」ではなく、「被害者」。その延長で、結果的に弱者になってしまうことが多いというだけの話なのです。



「被害者」が「弱者」になっている現状

これは、施設出身者以外でも、同様のことが言えます。


例えば、痴漢のような性犯罪においても、社会的、精神的にダメージを受けるのは、被害者です。被害を立証することができなければ、被害者は救われないようになっています。

また、いじめの問題についても同様です。いじめを受けた子が転校を余儀なくされる現状も少なからずあります。本来ならば、加害者側を罰して再教育や環境改善をするのは、加害者側なのですが、学校現場では往々にして「被害者が転校する」「被害者が不登校になる」など、被害者側が対処しなければならないことが往々にしてあります。

社会的養護を受けることができなかった子も同様です。児相に一時保護されたものの、施設や里親につながらず、結局虐待の被害を受け続けて大人になっていく「虐待サバイバー」は大勢います。そういった方も、過去に縛られて、苦しい選択を迫られるのです。親ではなく、子どもが被害を受けて、結果的に弱者になってしまうのです。


被害を受けることによって、結果的に弱者に成り下がってしまう現状は、そのままにしていていいのでしょうか?



カエルの子はカエル

社会的養護を受けた子どもは、その親自身が苦しい過去を持っていたり、社会的に弱者であったりすることがあります。児相で働いていた時も、「実は、この親、施設にいた子だよ」という話も珍しくないのです。

子どもの学力や将来の収入についても、親の経済力がはっきりと相関していることは言うまでもありません。私たちは、生まれながらにして、親を含め過去呪いと戦い続けています。

そういった現状を打破するのも、自分しかいないのです。自分で力をつけて、脱出しないといけないのです。それが、日本の現状です。カエルの子はカエル。結局私たちは、血縁が持つ過去を踏襲して生きていき、変わることができないでいるのです。



再生産されないようにするためには

私は、貧困家庭から脱却し、自分の生活を手に入れることができました。しかしそこには、私自身の心や現状で、様々なことを犠牲にしてきました。そうでもしなければ乗り越えることはできなかったし、社会に向けて発信するということもできませんでした。

私たちが過去と向き合うためには、私たち自身が過去を塗り替えなければなりません。新しい過去で埋め尽くして、過去よりももっと良い過去を築く必要があります。


そのためには、社会で子どもを育てる必要があります。社会全体が「子どもは家庭が育てるもの」という考えを捨てなければなりません。

もちろん、私たちにも親がいて、親がいたからこそ、この世に存在することができています。しかし、その責任を親に任せていては日本は良くなりません。


まず、社会が子育てに力を入れていくこと。そして、「社会で子どもを育てること」を念頭にしなければなりません。親子だって人間ですから、上手くいかないこともあります。最終的には、子どもは親元を離れて社会に飛び立ちます。その時期が早くたって遅くたっていいじゃないですか。


親がいなくても、頼れなくても、自分の能力に合った場所にたどり着くことができる世界にしていきたい。そのために、福祉に、教育に、力を入れることはめちゃくちゃ大切です。


できることなら、私は、困難な道でも、平坦な道でも、自分で選んで歩みたかった…。

そう思う子どもを一人でも減らせるように、情報発信を続けていきたいと思います。



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