見出し画像

「生い立ちを言い訳にするな!」って言うな!

こんにちは、ヨウです。


今回は、ニュースをもとに、私のような社会的養護を受けた人間としての私見を書かせていただきます。



痛ましい「虐待死」のニュース

6月上旬、東京都大田区蒲田のマンションのこの一室に1人で放置された梯稀華(かけはし・のあ)ちゃん(3)は激しい脱水症状を起こし、飢えに苦しみながら亡くなったとみられる。娘をかわいがっていたとされる母親の沙希容疑者(24)はなぜ、ネグレクト(育児放棄)に至ったのか。

3歳の子どもがネグレクトによって死亡した事件で、多くの方が心を痛め、母親に対して怒りを感じたことでしょう。

この記事には、こう書かれていました。

 関係者によると、小学2年の夏に当時住んでいた宮崎県内の自宅で母親から頭や顔を殴られ、体をビニールテープなどで縛られ放置された。十分に食事を与えられず、児童相談所が保護した際はあばら骨が浮き出るほどやせ細っていたという。
 当時、児童養護施設に入所したという沙希容疑者。捜査関係者によると、自身の虐待経験と稀華ちゃんの放置を結びつけるような言動はしていないが、杉山氏は虐待経験によって「リアリティーのある親のモデルを持ち得なかったのではないか」とみている。

当然、人ひとりを死に至らしめた母親は、司法によって裁かれ、しっかりと処分を受けるべきだと思います。それは、司法の仕事です。


私は、この事件を踏まえて、社会的養護出身の人に対して、ある種の偏見が現れることを恐れています。



被虐待経験によって、我が子に虐待をしてしまう可能性は高い

実は、「虐待は連鎖する」というのは、児童福祉の界隈ではよく聞く言葉です。親のモデルを持っていない、自身の経験を我が子に重ねてしまう、精神的ストレスが強い等、被虐待経験は、虐待のリスクを上げてしまうことは事実です。

私自身も、長いこと虐待を受けて育ちました。親から暴力を受けたことは数知れず、目の前で自傷行為をされたこともあり、母が入院しているときに子どもだけで生活した経験もあります。はっきりと被虐待児でした。

そんな私も、「我が子に虐待してしまうリスクが高い」のです。そこは十分に気を付けているつもりです。



じゃあ、児童養護施設出身の子は、みんな虐待するのか?

今回のニュースでは、母親について「自身も虐待経験がある」「児童養護施設に入所していた」と伝えられています。

断片的な知識しかない方は、この報道を見て「児童養護施設出身の子は、虐待をするんだ」と偏見を持ってしまうかもしれません。


しかし、それは否定させてください。社会的養護を受けて、親を頼れずに育った大人でも、素敵な家庭を築いている方はたくさんいます。自分らしく生きていて、社会に貢献している方もたくさんいます。私自身はそんな素晴らしい人間じゃないかもしれませんが、虐待をしないようにするために沢山勉強して、虐待しないで済むような環境を作り続けてきました。

一部の報道で、一括りに「施設出身はダメだ」と決めつけることだけは止めてもらいたいのです。また、そういうことを言っている人がいたら、この部分だけは否定して欲しいのです。リスクは高いかもしれませんが、全員が虐待をするわけではない、と。



みんな「生い立ちを言い訳にしたくない」と思っている

もちろん、この母親が虐待をしてしまったことは完全な悪です。虐待は絶対悪だし、生い立ちを言い訳にしてほしくありません。私は、しっかりと罰を受けてもらいたいと思っています。


私は、多くの施設出身者の友達や、社会的養護を受けている子、虐待サバイバーの子と話したことがあります。その方々は皆「生い立ちを言い訳にしたくない」と思っています。

生い立ちを言い訳にしてしまう子も、中にはいます。それは、虐待を受けたことによって抱えるストレスや精神的苦痛が解消されず、それによって社会で上手く行かないことが多くなってしまっているからです。自身の境遇が社会生活を邪魔している事実があり、つい出来心で「虐待経験のせい」にしてしまうのです。最初から「私は虐待を受けたから、虐待してしまうんだ」と開き直るつもりはないのです。



自分で解ってるから、外野がとやかく言うことではない

そんな自分のことを解っている方々に「虐待されたことを言い訳にするな!」と思うことは、個人の自由です。個人がどう思おうが、個人の勝手です。どんな偏見も固定観念も、思う分には勝手にしてください。

しかし、「生い立ちを言い訳にするなよ!」と赤の他人が個人に対して、いちいち言ってやる必要はありません。テレビやスマホの前で自由に思っていただいて、自由に意見をSNSに投稿してもらってもいいと思います。でも、個人攻撃は止めてあげてください。また、関係のない人まで否定したりするのも止めてあげてください。

みんな解ってるんです。


この母親の進退は、司法に任せておきましょう。司法がおかし判断をしたと思うのならば、そこで批判しましょう。



その現場を見たら、止めてあげて欲しい

そして、私がこのニュースを見て「この母親の行為をみすみす見逃していたのは誰だろう?」ということです。誰か、子どものことを気にかけて、母親に注意してくれたり、児相に通告したりしてくれなかったのか。

実際、児童虐待は家庭内で起きることが前提なので、そもそも見えにくいものです。しかも、家庭内のことなので、他人が介入することが難しいのです。


今回の事件で私たちが学んだことは、こういう事案が身近にあるということ。そして、子どもは死ぬ、ということ。

こういう悲惨なことを繰り返さないためにも、まず、私たち一人一人が子どもを大切にしようと思う気持ちを持つこと。そして、身近な人が「虐待かも?」という行為をしていたら、話を聞いて、止めてあげてください。注意をするなり通告するなり、子どもを救うことを考えてあげてください。


亡くなってしまった尊い命に、心が痛みます。でも、私たちは当事者ではなく、赤の他人です。そんな私たちにできるのは、この事件を繰り返さないように学び行動していくことだけなのです。



終わりに ~誰もが虐待をする可能性を持っている~

このような虐待の事件が起きた際、親の過去や経歴を確認して、その中から原因を探してしまいがちです。やれ施設出身だとか、親がひどかったとか。原因が分かると安心できるんです。「私は大丈夫。」だって。

しかし、私たち大人は、子どもと関わることで虐待のリスクを抱えます。誰しもが、虐待の可能性を持っているのです。これだけは理解してください。


重ねて言いますが、この事件で犯罪者を罰するのは司法の仕事です。私たちは、この事件をきっかけに、虐待について学んでもらいたいのです。

ネガティブなことかもしれませんが、虐待について学ぶことは、長期的な視点で子育てや教育の役に立つのです。よりよい未来のために、私と一緒に学んでいきませんか?



↓併せて読みたい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?