指導者は選手の人間性に救われている
チームには、「どのようにプレーするか」という設計図があり、それを基にトレーニングメニューを計画します。
選手のレベル、使用できるコートの大きさ、参加人数、道具の有無、天候なども考慮しながら組み立てます。
このように、指導者は毎日のトレーニングに対して、できる限りの準備をしたうえで臨みますが、いざトレーニングが始まるとうまく進まない、自分がイメージしていたものと違ったものになっている、などということがあります。
しかし、うまくいっていない、イメージとは違う進み方になっていても、「良い内容に見えてしまっている」ことがあります。
これはトレーニングだけに限らず、試合においても同じことが言えます。
今回は、なぜ良い内容に見えているのか、それに対して指導者は何を自覚しなければならないのか、について自戒も込めてお話しさせていただきたいと思います。
なぜトレーニング設定が良くなかったのに、うまくいっているように見えるのか。
それは、「選手の能力と人間性」にサポートされているからだと考えています。
指導者は、計画したトレーニングメニューを選手に行ってもらいますが、以下の3つのうちのどれかの結果になります。
①適切な設定だったため良い内容だった
②設定が良くなかったため内容も良くなかった
③設定が良くなかったが良い内容に見える
②と③だったとき、指導者がどのようにその結果を捉えるか、というところが非常に重要だと考えています。
②は指導者のミスです。
それなのに、「選手が上手くプレーできなかったから良い内容にならなかった」という選手の責任だけにしてしまって、自分自身を改善することを放棄してしまえば、次に何も活かされないまま進んでしまいます。
そして、③は指導者を勘違いさせる一番良くない結果だと考えています。
上記でもお話ししたように、これは「選手の能力と人間性」に救われているから良い内容に見えているだけであって、決して指導者が良い指導をしたから、というわけではないと思っています。
能力の高い選手が集まっていれば、色々なことがごまかされ、たとえトレーニングの目的や設定が曖昧でも、「良いトレーニング」として見えてしまいます。
選手に対して伝える際も、何が言いたいのか分からなかったり、その状況と合っていないことを指導者が伝えていても、選手が空気を読んで理解してくれるから成り立っている、ということもあります。
このような、本質が見えづらいときほど勘違いせず、自分が計画したものを疑うことができるか、選手にアプローチする際のタイミングや伝え方は適切だったか、というところを振り返ることは非常に大切なことだと思っています。
「選手の人間性に救われている」ということを自覚し、選手の力に頼ることなく、より質の高い指導ができるように、指導者は積み重ねていかなければなりません。
誰でも、そのクラブのウェアを身にまとい現場に出れば、選手や保護者からは「コーチ」として認識されます。
しかし、選手にとっての本当の「コーチ」になるには、選手に受け入れてもらえなければなりません。
今回は指導に関してのお話しをしてきましたが、選手に受け入れてもらえなければ、トレーニングを計画し、指導することはおろか選手に関わることすらできません。
選手のプレーや意見に対して理解や共感を示すこと、そして選手が納得できるような提案をし続けることで、良い関係性になっていくのではないかと思います。
トレーニングや試合、コミュニケーションを取ること、全てが選手の成長のためになっていなければなりません。
選手に救われるのではなく、選手を正しい方向に導いていけるように、私自身が積極的に学び続けていきたいと思っています。
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