【空港税関・怪物図鑑 チュパカブラ密輸編】 #お仕事小説部門

あらすじ

 暴力団幹部ハタケは違法薬物『乾燥チュパカブラ粉末』ビジネスのため、チュパカブラ密輸を計画した。
 メキシコカルテルの新入りディエゴは、成り上がるためチュパカブラの運び屋を請負ったが、税関に拘束される。
 保健所職員の獣医ヨシオカは、税関で押収されたチュパカブラを保健所に輸送する職務を負っているが、裏でハタケと繋がっていた。
 ハタケはいつもどおり、ヨシオカからチュパカブラを受け取るはずだった――税関で事件が発生していなければ。
 ハタケは大金を払い密輸したチュパカブラを回収するため、部下とともに空港の税関に乗り込むが……。
 空港税関職員、ヤクザ、獣医、運び屋。みんなおかしいお仕事モノ。


part.1 税関職員カツモトと同僚ナナミネの奮闘

 8月16日、雨傘国際空港のバックヤード、冷たい床を背に、腕に渾身の力を込めて、俺はチュパカブラの首を締めていた。

 なんだってチュパカブラの首なんか締めているのか? それが俺の仕事だからだ。

 俺は空港に勤務する税関職員だ。職務は密輸の取り締まり。こういうと、麻薬探知犬をつれて空港構内をウロウロとしているイメージをもつかもしれないが、俺は違法薬物の取り締まりはやっていない。じゃあお前は一体何をやっているのか? 俺の職務は動物の密輸を阻止することだ。

 法律や国際条約で輸出・輸入が禁じられている動物は多岐にわたる。絶滅寸前の希少な動物。危険な病原菌を持つ動物。野に放つと生態系を破壊しかねない動物。そして、人間に害をおよぼすような、単純に危険な動物。俺の腕の中で首を絞められて暴れているチュパカブラがまさにそれに当てはまる。極めて危険な吸血UMAだ。こいつらが輸入されようとしているのを見つけ次第押収し、密輸しようとしているアホを逮捕するのが俺の職務というわけだ。

 この仕事に就いて10年になろうとしている。以前は、俺の仕事は退屈なものだった。イヌ・ネコ・書類を眺め、飼い主とともに旅に出るのを見送る。以上。ごくまれに、輸出入禁止の動物が見つかるが、とっ捕まえてバックヤードにある頑丈な檻に入れ、書類の空欄を埋める。以上。

 だが、ここ2、3年は、たまにアクシデントが発生する。今日のような状況がまさにそれだ。どういうわけか、危険動物が大量に密輸されてきた。もちろん、檻に閉じ込めてしっかり鍵を締めておいた。同期の税関職員ナナミネとダブルチェックしているので間違いない。だが、報告書などの書類の山と格闘しているうちに、どいつもこいつも蜘蛛の子を散らすかのごとく脱走してしまった。チュパカブラ7体、ユニコーン1頭、マウンテンゴリラ1頭。あと殺人ビーバーが1匹。

 まさに厄日だ。同僚のナナミネは、
「朝のテレビの占いで運勢最悪だったんだ。多分これのことだね」
と、いつもどおりのドス黒い顔色で言った。そして、動物たちを捕まえに行こうと事務室のドアを開けた途端、ユニコーンのツノに頭を刺し貫かれ、虫の息となった。

 上司は殺人ビーバーに食われて死んだ。享年52歳。いけ好かないやつだった。アーメン。

 空港検疫官とスペイン語の通訳は、トイレでマウンテンゴリラに殴られ、名誉の戦死を遂げた。

 近所の保健所から危険動物たちを引き取りに来た獣医のヨシオカは、大量の血痕を残し、行方不明。

 おおむね、大惨事といってさしつかえないだろう。俺は危険動物たちを捕まえるため、孤軍奮闘した。マウンテンゴリラにアッパーカットを食らわせ、手刀で殺人ビーバーを昏倒させた。ユニコーンが突っ込んできたところを、回し蹴りでツノをへし折った。俺の腕力は常人の10倍はある。素手でゴリラとも格闘できる。法で輸入を禁じられた危険動物たちを俺が担当させられているのはそういう理由だ。

 次々と動物をなぎ倒す俺を見たチュパカブラたちは、恐れをなしたか、空港に張り巡らされたダクトの中に潜り込んでいったいった。俺はすかさずその一匹をダクトから引きずり出し、力のかぎり首を締めている。というのが冒頭のシーンだ。

 俺のことを動物虐待クソ野郎とか言って罵倒するやつもいるだろうが、知ったことではない。一応申し上げておきますと、俺は動物好きの男だ。ゴリラを殴ったり、殺人ビーバーをチョップしたり、チュパカブラの首を絞めたり、こういうのは趣味で楽しくやってるわけじゃない。仕方なくやっているんだ。仕事だからだ。文句はいたいけな動物たちを密輸する悪党たちにお願いしたい。

 漁船にあげられたマグロのごとく大暴れしていたチュパカブラも、3分も首を締め上げると、ぐったりと大人しくなった。俺は失神した吸血UMAを押しのけて立ち上がった。あと6匹、空港の中をドッグランのようにのびのびとお散歩している。利用客の目に触れる前に捕まえたい。そうすれば、この大惨事の始末書の量もすこしはマシになるはずだ。

 ことを収めたあとに待ち構えている書類仕事に既にうんざりしながら、ダクトに耳を当てる。せまい空気供給管の中をうろつくチュパカブラの足音に集中する。俺の聴力は常人の数十倍はある。それをもってすれば、奴らの居場所くらい、すぐに突き止められるはずだ。

 などと考えていたところ、第2ターミナルの方から、女性の絶叫がこだました。腹の底からの叫び声。あの声量から察するに、急に産気づいてしまったか、チュパカブラに出くわしたかのどちらかだ。俺は新たな生命の誕生が始まったことを祈りながら、ターミナルの方へと走った。

 職員専用ドアを開けると、そこには、果たして妊婦が産気づいていた。そして、それを2体のチュパカブラが眺めていた。まさか、予想が両方当たると思わなかった。ビックリだ。俺は困惑したが、とりあえず、手近にあった消火器でチュパカブラ2体の頭をぶっ叩いた。フロアに倒れたチュパカブラは糸の切れた操り人形のごとく動かない。俺はチュパカブラを両肩に担ぐと、腰につけていたトランシーバーで救護班に呼びかけた。

「第2ターミナル職員用入口付近で妊婦さんが急に産気づいた模様、オーバー」
「了解。妊婦の状態は…」

 俺はさっさと通信を切った。医者や看護師たちに危険動物の大脱走がバレる前にトンズラしなければならない。税関の中だけで、内々にことを済ませたい。すでに死人が2人も出ている。公になったらもみ消せない。

「そのバケモンはなに!! こわい!! なんなの!!」
と、チュパカブラを目撃してしまった妊婦が半狂乱で叫ぶのを尻目に、
「ゴールデンレトリーバーです」
と、とっさのでまかせを言って、俺はバックヤードにダッシュで戻った。

 予備の檻にチュパカブラを収監しようと証拠保管室に足を踏み入れると、先客があった。同僚のナナミネが、他の怪物たちを檻にしまい込んでいる最中だった。残りのチュパカブラを文字通り一網打尽にしたらしく、網の中で怪物たちがうごめいている。

「やりましたよ、カツモトくん! ワナを仕掛けて大漁です!」
と、ユニコーンに刺されて頭に開いた2つの穴から、血とも脳漿ともつかない液体をこぼしながら、ナナミネはドヤ顔をよこした。顔色はドス黒いが、いつものことだ。

「大丈夫なのか、その頭は」
大丈夫なのはわかっていたが、脳みそハミ出てありあまるグロテスクさを前に、聞かずにはいられない。
「これで死ねたら苦労しませんよ」
と、血まみれの制服の肩をすくめながら、怪物たちを押し込んで、ナナミネは檻に鍵をかけた。

 同期の同僚ナナミネは、身長180センチほど、ほっそりとしていてモデル体型といえなくもない女性だ。しかしその顔色は、この世の終わりを目撃しているか、それとも多臓器不全に陥ったかのようにドス黒く、黙っていると、死んでいるのかと見紛うありさまだ。当初は、危険な動物を相手にするようなタフな仕事ができるとは思えなかった。

 彼女がこの部署に配属されたのが俺と同じ理由であることがわかったのは、着任半年後だった。国際便の貨物室でマウンテンゴリラが発見されたときのことである。なぜそんなところにマウンテンゴリラがいたのかはわからない。知りたくもない。

 最初に現場に到着したナナミネはゴリラを相手取り、バナナ休憩を合間に挟んで3ラウンドの格闘の末、見事、ゴリラをノックアウトしてみせた。体中骨折まみれで手足があらぬ方向に曲がった状態だったナナミネだったが、担架で運ばれるうちにみるみる回復し、救護室に到着する頃には元の状態――極めて健康体、それでいてドス黒い顔色――に戻った。常人の数千倍の回復力を持つ、人間かどうかあやしい存在だった。俺と同じく、素手で危険動物と渡り合えるがゆえに、この部署に回されたのである。

 まさしく適所に置かれた適材である俺達はその能力を遺憾なく発揮し、8月16日の惨事、危険動物の大脱走を昼前に解決したわけだ。残りはこの事件のもみ消しだけだ。方々に電話をかけまくり、頭を下げ、書類の山を相手にグレコローマンスタイルで格闘する。それで終わり、のハズだったが、これは完全な思い違いだった。

 このあとは空港の税関に、ヤクザが山ほどやってくる。死体も盛り沢山だ。どうぞお見逃しなく。

part.2 暴力団幹部ハタケのビジネス

「ヨシオカのやつ遅いな」

 雨傘国際空港から3キロメートルほど離れた駐車場。ハタケはエアコンの効いたデコトラの助手席でぼやいた。昼過ぎにはチュパカブラを空港から運んでくるはずの、保健所勤務の獣医ヨシオカが現れない。飛ばしのスマホで電話をかけ、メッセージを送るが返事はないまま、もうすぐ3時になろうとしている。

 なんだってチュパカブラなんかが運ばれてくるのを待っているのか? それがハタケのシノギだからだ。

 ハタケは指定暴力団である叶組の幹部だ。違法薬物を仕入れ、売りさばいて利益を得ている。大麻・覚醒剤・危険ドラッグ、何でもありだ。金さえ稼げればそれでいい。買った者のことは気にしない。破産しようが、身体がボロボロになろうが、自己責任、というやつだ。

 最近流行し始めている違法薬物が、『乾燥チュパカブラ粉末』だ。アッパー系のドラッグで、鼻から吸い込んでよし、静脈注射してもよし。気分良く、体調もよく、抜けて戻ってきた後も反動とかなく気分爽快。筋肉増量効果まであるらしく、なんだか健康に良さそうとのウワサだった。

 ハタケはいち早く、日本でこの薬物が流通する前から、この『乾燥チュパカブラ粉末』に目をつけていた。ウワサを聞きつけたハタケは、チュパカブラの原産地メキシコに下っ端の部下を複数名送り込み、薬をテストさせたのである。

 毎日部下に『乾燥チュパカブラ粉末』を静脈注射させ、効いていく様子をモニター越しに24時間チェックしていた。部下たちは薬を打つ前よりも健康そうに見えた。元気ハツラツ、まるで高麗人参入りの上等なエナジードリンクでもガブ飲みしたかのようにシャキッとして見えた。

 2週間後、ハタケは部下たちに『乾燥チュパカブラ粉末』の服用を中止させた。使用は絶対に許さないと申し渡したのである。もちろん、部下の健康状態を気遣ってのことではない。

 部下たちは数日も経たぬうちに、禁断症状に見舞われた。

「打たせてください! お願いします!」
部下たちは口々に言った。必死の形相だった。『乾燥チュパカブラ粉末』を服用していたときの健康優良ぶりは完全に雲散霧消してしまった。体中をひっかき、頻繁に喉の乾きをうったえた。呼吸は浅く、情緒不安定になり、泣き出し、怒りだし、笑い出す。尋常でない依存性があるクスリであることは、誰の目にも明らかだった。

 ハタケはモニターの前で、部下たちの苦しむ姿をじっくりと眺めた。その表情からは何も読み取れない。残忍な喜びも、罪悪感も、一切浮かばない。冷たさすら感じさせない目は、動物実験のモルモットを眺めるように、禁断症状の内容をチェックしていた。

 クスリがほしいという欲望、禁断症状に蹂躙されながらも、部下たちは『乾燥チュパカブラ粉末』に許可なく手を出すような真似は決してしなかった。叶組幹部ハタケに対する部下たちの忠誠心は尋常ではないのだ。実験体となった部下の一人、カタオキはその中でもひときわ忠誠の厚い男だった。

 カタオキの家族は小さな料理店を営んでいた。いつも満席に近い盛況ぶりの店で、カタオキは、金の心配などしていなかった。貯金にはそれなりの余裕があるのだろうとさえ考えていた。だが、父は料理の腕こそ確かだったものの、経営のセンスが足りなかった。客層も相まって、客席の回転率は極めて低く、利益率は小さく抑えられ、売上は店のローンを返すには至らなかった。

 カタオキが雨傘中学に進学してしばらく経った頃、カタオキの父は愛車とともに崖から落ちた。事故死ではない。自分の命と引き換えに、保険金で店のローンを返済しようと考えたのだ。だが、残念ながら、保険金は支払われなかった。事故現場の実況見分から、あえてアクセルを踏み込んだ、すなわち自殺と認定されたのである。自殺と認定されてしまうと、生命保険はおりないのだ。父を失ったカタオキの家には、母一人子一人、借金だけが残された。借金取りがキツツキのごとく、飽きもせず、毎日ドアを叩き続ける。
「カタオキさん、いますよね、カタオキさん!!」
母は借金取りのノックの音にノイローゼになった。父の死と合わせ技一本で、完全に精神が参ってしまい、布団にこもりきりになった。

 カタオキは決心した。どうせ進学する金もない。学もなく、借金まみれの家の子となれば、ろくな仕事にも就けやしないだろう。

 15になったカタオキは、中学の卒業式を終えると、その足でまっすぐ、地元ヤクザの事務所に向かった。カタオキが叶組幹部のハタケと出会ったのはその時である。ハタケは40後半の精悍な男で、ラグビー選手然とした体格に、オーダーメイドのスーツをぴったりと着こなしていた。15歳のカタオキには、ハタケが大人に見えた。車で崖から飛び、家族に借金を残して死んだ父よりもずっと大人に見えた。

 ハタケは予定をキャンセルし、中学を出たばかりの若造の話を、はじめから終わりまでじっくりと聞いた。料理人だった父、病人の母、残された借金。

 ハタケはカタオキの母に精神疾患の手厚い治療を受けさせ、借金を肩代わりした。

「お前が死んだ後も、母親の面倒を見てやる。俺の部下が死んだら、そいつの家族は全部俺が面倒を見る。それが、俺の流儀だ。代わりに、俺の言うことは絶対だ。俺が死ねと言ったらお前は死ぬんだ。できるか?」

 ハタケは犠牲となった部下の家族の面倒を完全に保証する。これは温情によるものではない。単なる投資である。だが、ハタケに拾われるまで人生のドン底にいた部下たちにはそれで十分だった。死後も家族が金に困ることはない、寝食に困ることはないという絶対の保証があるからこそ、部下たちは忠誠を誓うのである。平気で命を投げ出すことすらできるのだ。

 逆に、ハタケを裏切った場合には。ハタケの部下全員が、裏切り者とその家族を追い詰める。言葉で言い表せないほどに悲惨な末路をたどる。金を持ち逃げしようとした部下は、目をくり抜かれ、そこからコンクリートを流し込まれた。

 ハタケと部下たちの関係性は、自分たちのつながりが金でできた仕組みであることを十二分に理解していて、それでもなお、強固な信頼で成立していた。

 『乾燥チュパカブラ粉末』のクスリ断ちから1週間。深刻な禁断症状に苦しんだカタオキは、それでもクスリに手を付けることなく、20歳でこの世を旅立った。
「母をよろしくお願いします」
それがカタオキの最後の言葉だった。
「どうやら、若いほど禁断症状が深刻なようだな」
口から泡を吹いたカタオキの死体を見て、ハタケはこともなげに言った。

 その後、ハタケはカタオキの母の治療代の支払いを部下に命じた。部下は感激の顔でハタケを見た。死後も家族の面倒をみるという約束は必ず果たされるのだ。この部下もハタケが命じれば喜んで死ぬだろう。

 メキシコでの人体実験を経て、ハタケは『乾燥チュパカブラ粉末』は日本でも通用する、そう判断した。『健康にいいクスリ』として意識の高い層に安値で売り出す、いつもの手だ。誘惑的な言葉で、一度試させる。一度、それで十分だ。依存状態に陥れる。そうなれば、二度と手放すことはできないはずだ。クスリを断とうとすれば、あの恐るべき禁断症状が待っている。文字通り、死ぬほどの渇望に蹂躙されることになる。クスリ無しには生きられない体になる。どれほど高値でも、借金をしてでも、体を売ってでも、クスリを求めるようになるだろう。

 こうしてハタケはチュパカブラ密輸ビジネスに乗り出したのである。チュパカブラを中米から密輸し、日本で繁殖させる。それができれば、莫大な利益が期待できる。以前から覚醒剤の取引があるメキシコのカルテルと手を組み、チュパカブラを密輸した。あとは自然に繁殖するのを待つだけのはすだった。

 だが、ことはそう簡単には運ばなかった。メキシコと日本の環境の違いが、チュパカブラの生態に影響したのである。

 チュパカブラとは中南米に生息するUMA(未確認生物)である。最近存在が確認されているので、実のところ未確認でもなんでもない、人間サイズの二足歩行の爬虫類だ。鋭い爪と牙を持ち、哺乳類に噛みついて吸血するという栄養摂取の方法を取る。

 乾燥した環境では、乾眠という状態になる。体内の水分をほとんどすべて排出して砂の山のような外見になり、水分も栄養も補給せず、数百年もの間、生存し続けることができる。この乾眠状態になることが、チュパカブラの経済効率的な繁殖にとって重要だった。

 乾燥した中南米の砂漠に対して、高温多湿の日本。乾眠状態になるような乾燥した環境は作れない。そして、乾眠しない場合、チュパカブラは眠ることなく無尽蔵に食料――哺乳類の血を求めてさまよい続ける。毎日牛一頭の血を啜るチュパカブラは、日本で繁殖させるには、あまりにも餌代がかかりすぎることが判明したのだ。

 毎日生きた牛を何頭も調達するのは至難である。いっそのこと、畜産にも手を出そうかとハタケは考えた。しかし、土地も人手もかかりすぎる上にあまりに迂遠である。投資回収にいつまでかかるかわからない。

 ハタケはまとまった金を欲していた。餌代の問題さえ解決すれば、『乾燥チュパカブラ粉末』ビジネスは巨大な収入源になる。莫大な上納金と、死も厭わぬ部下の忠誠心。この2つがあれば、組長の椅子も手に入る。

 ハタケは日本国内でも乾燥した地域に目をつけた。地名に雨傘と名付けられるほどに、昔から今に至るまで雨を渇望し続けた乾燥帯地域、雨傘県である。雨傘国際空港をチュパカブラの輸入拠点にし、その近辺の砂地でチュパカブラを育成する。

 そのために保健所に勤務する獣医に大金を握らせた。輸入禁止動物を空港から運搬し、安楽死させる職務に就いている獣医ヨシオカを金とクスリで抱き込んだのである。

 チュパカブラを空港税関でわざと押収させる。密輸を阻止したと税関は満足している。その後を狙う。チュパカブラは保健所に運ばれ、獣医によって安楽死させられる。その獣医を買収することで、チュパカブラを手に入れるのである。

 この方法で、ハタケはすでに数回、チュパカブラの密輸に成功している。失敗はない。確かな密輸ルートを確立できたと判断した。

 そこで今回は大金を投じ、一気に7体のチュパカブラを輸入することにしたのである。今日も時間通りにチュパカブラが運ばれてくるはずだった。が、獣医ヨシオカは現れない。連絡一つよこさない。

「いくら払ったと思ってやがんだあいつは」
 ハタケは左手首のロレックスに目をやった。時刻は午後3時を過ぎていた。

 ポケットから取り出したマルボロに火をつけ、煙をくゆらせ、考える。どうしたものか、こちらから空港を見に行くべきか。思案をめぐらせていると、トラックのドアを叩く手があった。べたり、血まみれの手が、ドアの窓を叩いていた。

part.3 保健所の獣医ヨシオカの憂鬱

 ヨシオカは目をそらした。痩せた猫からつぶらなひとみを向けられ、罪悪感に耐えきれなかった。今日もヨシオカは猫を死に至らしめる。

 なんだって猫を死に至らしめるなんて恐ろしいことをするのか? それがヨシオカの仕事だからだ。

 ヨシオカは獣医だ。子供の頃、物心ついた頃から動物が大好きだった。動物図鑑をすみからすみまで暗記し、週末が来るたびに、雨傘動物園に連れて行ってほしいと両親にねだる少女だった。雨傘小学校に入学すると、ウサギ小屋の当番をすすんで引き受けた。

 獣医になろうと思ったのは、ヨシオカにとって当然のことだった。苦しむ動物を助けられる仕事だ。病気を治し、怪我を治し、長生きする手助けができる。最高の仕事に思えた。そのころのヨシオカには、幼い子供には、現実が見えていなかった。獣医になるということが最悪の選択であったことに気づいたのは、夢と情熱が雲散霧消したあとのことだった。

 獣医学部を卒業する前、いよいよ動物病院に就職しようとしたが、就活は身を結ばなかった。履歴書や面接では仕事に対する情熱を強くアピールした。だが、求められているのは、ある種のドライな感覚だったのかもしれない。

 命を前に、動揺しないこと。救えないこともあるということ。そういった実情をうまく受け止め、時には受け流せる。嵐の中でも倒れないヤシの木のようなしなやかさが期待されたのかもしれなかった。ヨシオカの強く硬い情熱は、現実にぶつかると根本から折れてしまう。そういう印象を持たれたのかもしれない。

 ようやく見つかった就職先は、雨傘市の保健所だった。両親は喜んでくれた。
「夢みていた動物病院ではなかったけど、でも、公務員でしょ、よかったじゃない」
と母は言った。

 毎日、捨てられた動物、飼い主がわからない動物の世話をしていた。どの犬も、どの猫も愛らしかった。だが、保健所の面積も、予算も、人的リソースも無限ではない。

 殺処分。

 初めて犬をガス室に送った日のことを覚えている。あの殺処分の日から、毎晩、泣きながら眠りについていた。

 酒に溺れるようになったのも、当然のことに思えた。ストロング系の缶チューハイを何本も空にし続けた。毎晩そうしているうちに、昼間の業務時間中に、手が震えるようになった。体型も、健康的とはいえない風体にみるみるうちに変わっていった。さすがにまずいと思い、近所のバー――大衆酒場的な、あまりおしゃれとは言えない店――で2,3杯ひっかけるだけにした。そのバーを選んだのが幸運だったのか、それとも不運だったのか、ヨシオカにはわからない。 

 29歳になり、体型もずいぶんマシに戻ったとまでいかなくとも、少なくとも酒の飲み過ぎでついた脂肪はあらかた落ちてきたころ、体格がよく精悍な、スーツの中年男が声を掛けてきた。

「店長から聞いたんだけど、獣医さんなんだって?」
「はい、そうですけど……」
「ああ、ごめんよ、ナンパとかではないんだ、気分良く飲んでるところに申し訳ない」

 警戒心を感じ取ったか、男は両手を軽く上げて、降参、といったおどけたポーズをとった。男はヨシオカのタイプの顔立ちだった。年齢は20ほど離れているだろう、流石に離れすぎている……もっと近ければ……場合によっては……だったかもしれない。
「一人で飲んでる人に仕事に関わる話をするのはどうかとおもったんだけど、獣医さんに家で飼ってるの犬のことを質問させてほしくてね」

 ニコニコしながらスマホの画面に犬の写真を見せる男から嫌な感じはしなかった。男がヨシオカのドリンクにクスリを入れたことに気づくこともできなかった。クスリの名前は『乾燥チュパカブラ粉末』だった。

「もうすこし馴染みやすい略称を考えてるところなんだがな」

 数ヶ月が経ち、すっかりクスリにハマってしまったヨシオカの眼の前で、粉末の入ったパケを揺らしながら、精悍な中年男――ハタケはつぶやいた。
「『乾燥チュパカブラ粉末』。言いにくい。でも気の利いた名前は通りに立つ売人とかが名付けるもんだよな。あいつらはなんて呼んでるんだろうな。今度聞いてみるか」

 ヨシオカは見事に薬物中毒に陥った。クスリがなければ半日も耐えられない。貯金の殆どを『乾燥チュパカブラ粉末』に使い果たしてしまった。通帳には、かろうじて家賃を払える分だけが残っていた。

「か…体は? 体で払います」
「いらんな」
「お金がないんです…」
呼吸が浅くなる。ヨシオカの精神状態が不安定なのは端から見ても明らかだった。禁断症状。倫理観をかなぐり捨てるまであと一歩か、とハタケは見て取った。

「実は、このクスリは手に入らなくなるかもしれない、と言ったらどう思う?」
「え? なんで…なんでですか」
「原材料のコストが高くてな。チュパカブラを飼うのは金がかかる。餌代がな。今のままでは割に合わない」

 絶望に打ちひしがれたヨシオカの目から涙が流れ、口からヨダレが垂れるのを見て、ハタケは計画の成功を確信した。いま、この女はクスリを手に入れるためなら何でもするだろう、と。

「ヨシオカ、君にやってもらいたいことがある。やってくれたらクスリはタダだ。いくらでもやろう。別途報酬で金もつける」

 保健所の獣医という立場。税関で押収されたチュパカブラの横流しは、さして難しいことではなかった。

 安楽死させるために空港から引き取ったチュパカブラをハタケに渡す。

 書類は捏造して安楽死させたことにする。

 死体回収業者が来るので、別の動物の死体――チュパカブラが吸血した牛の死体――を引き渡す。

 それだけ。

 大したリスクを背負うことも無く、ヨシオカは報酬の『乾燥チュパカブラ粉末』を受け取ることができた。

 クスリのお陰で、殺処分に心を痛めてもすぐに立ち直る事ができる。クスリさえあれば、アルコール頼みの不健康な生活をすることもない。マッチングアプリで出会った親切な男と付き合い始めた。結婚も視野に入れていいと思える相手だ。獣医の仕事について以来、初めて人生が上向き始めている気がした。そして油断した。

 雨傘国際空港発、税関の証拠保管室。殺処分となるチュパカブラを引き取りに来たヨシオカは、重大な見落としをした。ヨシオカは『乾燥チュパカブラ粉末』をやってハイになっていたのだ。危険動物を閉じこめている檻の鉄格子が折れていることにすら気付けないほどに。

 鼻歌を歌いながら、檻を保健所の車両に移そうとしたヨシオカに、飛びかかる小さな影。

 殺人ビーバーだった。

part.4 カルテルの新入りディエゴの運命

 ディエゴはメキシコシティ国際空港で7匹の犬を貨物として預けた。書類上は7匹の犬。実際のところは、犬の皮をかぶせたチュパカブラが7体だ。

 税関職員はろくにチェックもせず、手続きを終えた。普通は犬の腹に違法な薬物でも仕込んでないかと怪しんでくるところだが、金を掴ませてあるので安心だ。

 なんだって犬の皮をかぶせたチュパカブラなんてものを日本行の旅客機に乗せるのか? それがメキシコ麻薬カルテルの一員である、ディエゴの仕事だからだ。

 ディエゴはメキシコシティのはずれ、雑貨屋の次男として生まれた。家族は両親と、年の離れた兄貴が一人。

 決して裕福ではない生活だった。だが、不満を感じたことは無かった。頭の良い父、力持ちの母、優しい兄貴。家族さえいれば何もいらない。ディエゴは本気でそう思っていた。

 兄貴がガールフレンドのリサとの結婚を決めたのは、2年前のことだった。リサを招いた夕食の席、結婚の報告を聞いたディエゴたちは、タコスを食べながら喜んだ。母は
「こんなめでたい話と知ってりゃあ、タコスだけじゃなくて、もっと豪勢なメニューにしたのにねえ」
と満面の笑顔で言った。

 リサはすぐに妊娠した。めでたい話続きだった。ディエゴはまた家族が増えることを喜んだ。

 そこが幸せの絶頂だった。『だった』。過去形だ。頂点に達したならば、次は? くだらなければならない。ディエゴが大切にしていた家族は粉々に砕け散ることになる。比喩ではない。文字通り、家族が、一人残らず、粉々に、砕け散る。

 メキシコシティのカルテル、ボスの息子カルロが、リサに目をつけた。あの女を自分のモノにしたい。そう言い出したのだ。

 カルテルのボスであるラザロはカルロを溺愛していた。年老いてできた子どもほど可愛いものはない。はちみつたっぷりのパンケーキのごとく甘やかされて育ったカルロ。あれが欲しいといえば何でも買ってもらえたカルロ。あいつを殺してほしいといえば、誰でも殺してもらえたカルロ。もちろん、あの女、ディエゴの兄の妻も、欲しいと言いさえすれば手に入る。そう思うのも無理ないことだった。

 ディエゴが雑貨を仕入れに出かけていたときのことだ。ラザロの部下たちが、ディエゴの家にやってきた。リサを渡せというのだ。当然、ディエゴの兄は抵抗した。
「リサは俺の妻だ。俺の子を妊娠しているんだぞ。渡せだと? 本気で行っているのか? 冗談じゃない。リサはどこにもいかない」

 リサも大声で同じく言った。
「わたしはこの家族の一員なんだ。とっとと失せろ、アホ面ども。甘やかされた坊っちゃんのカルロによろしく言っときな」

 カルロはキレた。このやりとりを、少し離れた車の中で聞いていたのだ。中国一人っ子政策で作られた小皇帝のごとく短気なカルロは、罵倒の言葉にブチ切れていた。カルロは車に積んであったアサルトライフルを手にすると、ディエゴの兄とその妻に駆け寄り、引き金を引き、弾倉の中身をぶち撒けた。

 雨あられ、降り注ぐ弾丸が引き裂く。ディエゴの兄の顔を、胸を、腕を、リサの肩を、膨らんだ腹を。仲睦まじい夫婦が人の形を失くすまでに、10秒もかからなかった。銃声を聞いて思わず飛び出して来たディエゴの両親も同じ末路を辿った。

 仕入れから帰ってきたディエゴは、家のすぐ近くで、カルロの車とすれ違った。ディエゴは見た。後部座席に座るカルロの笑い顔を。

 ディエゴの家は爆弾で粉々になっていた。ディエゴの家族は銃弾で挽き肉になっていた。まるでそこだけが戦争の跡のようだった。

 ディエゴは家の前で膝をついた。家族さえいればよかったのに。家族さえいれば他には何も要らなかったのに。

 すれ違ったカルロの車。カルロだ。ディエゴは直感的に理解した。カルロがこれをやったのだと。

 ディエゴは決意した。残りの人生をカルロを殺すために使おうと。ラザロのカルテルを倒すために生きようと。

 ディエゴはラザロに敵対するドスカルテルに加わった。ドスカルテルに入れば、ここでのし上がれば、カルロを殺すチャンスが回ってくる。ボスの信頼を得るためなら何でもやろうとディエゴは考えた。

 そして、組織に入って1年。忠実に過ごしたディエゴに、ボスから声がかかった。

「ディエゴ、お前、クスリの運び屋やったことはあるか?」
「ありません、ボス」
「密輸は? 国境越えて運んだことはあるか?」
「ありません、ボス」
「ハポンに行ったことあるか?」
「ありません、ボス」
「チュパカブラ、見たことあるか?」
「ありません、ボス」
「そうか。まあ、お前でいいか。やってもらうことがある。ハポンで逮捕されろ」

 ディエゴはハポン――日本に行くこととなった。もちろん観光ではない。密輸だ。モノは覚醒剤かと思ったが、違った。チュパカブラの密輸。『乾燥チュパカブラ粉末』の原材料を生きたまま運ぶのだ。

「『乾燥チュパカブラ粉末』の存在は、日本の当局には知られていない。つまり、密輸がバレたとしても、それは単なる動物の違法な輸入として扱われる。覚醒剤の密輸とかみたいな重罪ではない。大した罪には問われないということだ。執行猶予がつくか、せいぜい2、3年の刑で済む。メキシコに戻ってきたら、報酬はデカい。ボロい仕事だな」
ディエゴは上役に説明を受けて、旅券と航空券を受け取った。

 犬の皮をかぶせて偽装したチュパカブラを貨物室に乗せ、ディエゴは初めての空の旅を楽しんだ。難しくない仕事だが、ボスの信頼を得られる。復讐に一歩近づく。ディエゴの気分は上向いた。

 日本に降り立ち、ディエゴは税関で逮捕された。チュパカブラは押収されたが、最終的には依頼主の手に渡ると聞かされている。スペイン語通訳が到着するまで待つようにと言われ、手錠をしたまま、税関の取調室の椅子に座っていた。ディエゴは気楽な気分で、通訳と取調官を待った。

 外が騒がしくなり、叫び声、怒鳴り声。再び静かになり、数時間一人で放置され続けた。たびたび部屋の外から聞こえてくる日本語が全く理解できないディエゴはさすがに落ち着かない気分になった。あたりを見回すと、部屋の中にぬいぐるみが落ちていることに気づいた。

 置き忘れられたものか。それとも、税関取調室の殺伐とした空気を和ませるために置かれているのか。ディエゴは手錠のかかった手を伸ばし、ぬいぐるみを撫でた。毛並みは柔らかく、あたたかく、骨ばっていて――そして気付いた。いま手が触れているものはぬいぐるみではないということに。

 ぬいぐるみのように愛らしいビジュアルのげっ歯類は、昼寝から目覚めると、伸びをして、両手で顔をゴシゴシこすり、振り返った。ディエゴと殺人ビーバーの目があった。

 次の瞬間、殺人ビーバーはディエゴに飛びかかった。

 殺人ビーバーの持つ強靭な歯が、ディエゴの頭蓋を貫通し、その中身を破壊した。

 脳が機能不全に陥ったからか、ディエゴはあの日の幻覚を見た。母、父、兄、リサ。5人でテーブルを囲み、タコスを食べたあの夜を。

 家族の他には何もいらない。そう思っていた頃の幸せな記憶に包まれて、ディエゴは取調室で息絶えた。

 ディエゴの脳内のことなど知る由もない殺人事件ビーバーは、ディエゴの首をねじ切った。ダムの材料にするために。

part.5 【今話題】殺人ビーバーって何?【解説】

 以下は、雨傘新聞ウェブサイトキッズニュース2024年8月13日付のページから抜粋したものです。

 『最近、野生のイルカが人を襲うニュースが話題を集めています。そこで今回は、イルカの他にも人を襲う意外な動物がいるのか? 調べてみました。 すると、意外なことに、ビーバーが人を殺すことがわかりました。

 デンマーク産の殺人ビーバーについて、この記事で解説します。

 ビーバーは中型犬くらいのサイズの齧歯類です。親に教えてもらわなくても、本能的に、ダムを作ることでよく知られている動物です。とても大きな前歯を持っているのが特徴です。普通のビーバーは、歯に鉄分が含まれているのですが、殺人ビーバーは違います。

 なんと、殺人ビーバーの前歯には、未知の特殊合金が含まれているのです。その前歯は、鉄やダイヤモンドを豆腐のように簡単に破壊することもできるようです。

 この歯で、殺人ビーバーは人を殺すのです。人間の頭を前足でがっしりと掴み、後頭部に向かって特殊合金の前歯を突き立てます。歯は脳に達し、一撃で人間を仕留めます。そして、首をねじ切り、人間の頭を持ち去るのです。

 殺人ビーバーはなぜ人を襲うのでしょうか?

 殺人ビーバーは、殺した人間の頭をダムの上に置きます。

 これは、『縄張りをアピールするため』だといわれています。

 ほかの専門家によると、『自然環境を破壊をする人間に対する復讐』という意見もあるそうです。

 いかがでしたか?

 一見かわいいビーバーですが、とても危険な動物であることがわかりましたね。

 殺人ビーバーと人間は共存できるのでしょうか?

 それとも、戦わなければ生き残れないのでしょうか?

 人間と殺人ビーバーの今後に注目です。』

part.6 空港税関の怪物たち

 ハタケは暴力団幹部であり、現場好きでもある。修羅場に居合わせたことは数しれない。だが、いきなり血の手形が窓に現れたのにはさすがに肝を潰した。

 ハタケは思わず懐から銃を取り出し、車のドアを蹴り開けた。エアコンの効いた車内に、8月の熱気がなだれ込む。

 うだるような暑さとともに、生臭い血の匂いがハタケの鼻をついた。鉄板のように熱をたたえた駐車場のアスファルトの上に、獣医のヨシオカが倒れていた。うめくヨシオカの顔と服は血だらけだった。

 ハタケは状況を把握すべく、ヨシオカがが乗ってきた保健所のバンの後部ドアを開けた。いつも通りなら、そこにはチュパカブラが乗せられている。それを回収してこの場を走り去るのがルーティンだ。

 だが、バンの中身はカラっぽだった。車内にあったのはエアコンから吹き出す冷気だけ。ハタケはヨシオカをアスファルトから引き剥がし、水を与えて、尋ねた。

「ブツはどこいった? ヨシオカ、お前には大量のクスリと高い金を渡してる。それに見合った働きが出来んと言うなら、せめて状況説明くらいしろ」
「ビーバー、ビーバーが。ビーバー…」

 血まみれのヨシオカは、うなされるようにビーバーと繰り返し、息絶えた。その後頭部には、削り取ったような大きな穴が開いていた。

「クソが。なにがビーバーだ」

 運び屋の獣医が死んだ。メキシコカルテルに大金を払って密輸したブツは手に入らなかった。時間をかけ、金をかけ、確実なルートを構築した。大枚をはたいているというのに、投資が回収しきれていないままだというのに。

 このままでは大損だ。

 雨傘県でのチュパカブラ養殖さえ軌道に乗れば、今よりも一ケタ上の金を組に納められたのに。組長の座が手に入るすぐそばまで来たというのに。

 空港にいるチュパカブラを回収しなければならない。だが、チュパカブラが空港のどこでどうしているのか。そもそも獣医のヨシオカはどうして後頭部をえぐられて足元で死体となっているのか。

 空港で何があったのか、ハタケには分からない。大脱走からの大捕物が催されていたことなど知る由もない。

 ハタケは考えた。空港には異常事態が起きているはずだ。少なくとも、バックヤードでは混乱が起きているに違いない。足元の獣医の死体がその証だ。ならば、それに乗じて、税関の証拠保管室から押収品――チュパカブラを奪取できるのではないか、と。

 ハタケはスマホを取り出し、部下に電話をかけた。

「そうだ。全員だ。銃と特殊警棒。服の下に隠せる目立たないやつを持って行け」

「逮捕したメキシコ人が死んでる。死体が温かいから、殺られたのはついさっきだと思います」
「なんでだ! どこで? なぜにwhy!?」

 税関事務所。ナナミネの報告に、俺は思わずトランシーバーを投げ捨てそうになった。大脱走したファンタスティックビーストどもは全部檻の中に仕舞ったはずだ。

「本当に危険動物のせいか? 自殺じゃないのか? それはそれで大問題だが…」
「後頭部にでっかい穴が開いて、首がねじ切られてる。手錠されてる人間が自分でこれをやるのは無理ですよ」
「チクショウが! 俺は証拠保管室を確認してくる。ナナミネはその死体の始末をつけてくれ」
「まかしといて」

 俺はため息をついた。つかずにはいられなかった。今日は死体がこれで4つ目だぞ? どうしてこうなる。やってられない。

 死者が出たら、不祥事をやらかしたら、隠蔽しなくてはならない。表ざたにならないように、内内に済ませる必要がある。

 なぜ死者のもみ消しなんて物騒なことをやらなければならないのか? 税関は腐敗しているからだ。頭から爪先まで。組織のどこもかしこもが。

 税関は麻薬を押収する。象牙を押収する。押収した証拠物件は、実は、闇でさばかれている。税関組織の裏金となるのだ。

 警察が3億円事件の際に押収したあの大金。3億円事件は事件未解決、犯人不明で迷宮入りということになっている。あれは見せかけだ。犯人は警察に殺され、3億円は警察組織の裏金になったのだ。あれと同じことを、税関もやっているというわけだ。

 警察の捜査が入ると、税関の悪事が明るみに出る可能性がある。税関で死体など出すわけにはいかない。今日の事件はまるっと揉み消されなければならない。

 公務員の給料なんて大した額でもないのに、俺はどうしてこんなことをしているのか。危険手当もスズメの涙。どうせ年金制度は破綻するというのに、この安月給じゃあ、老後資金の貯金もできやしない。別の仕事を探そうにも、無理だろう。なぜなら俺は――なんてこった。

 証拠保管室にたどり着き、危険動物たちの檻を検めたところ、またしても、檻の鉄格子が破壊されている。オマケにチュパカブラ1体と殺人ビーバーがご不在だ。

 一度目の大脱走もおそらく殺人ビーバーの仕業だろう。あの前歯で鉄格子を食い破ったのだ。

 俺は鉄格子を掴み、思い切り力を込めた。俺の腕力は常人の十倍はある。だが、鉄格子はびくともしない。

 これを壊せる動物か。すごい生き物がいるものだ。世界は広い。たまげたぜ。俺は大自然の神秘に感銘を受けた。

 だが、感心している場合ではなかった。不審な強面おじさんたちが、ザッと20名ほど、証拠保管室になだれ込んできたからだ。

 俺は焦った。なんだコイツ等は? 警察が強制捜査に乗り込んできたのか? どこで今日の事件を嗅ぎつけた? それとも別件か? 

 マズイことになった。警察にバレたなんてことになったら、税関の裏組織に粛清されてしまうかもしれない。

「令状は? 令状を見せろ!」
俺は怒鳴った。

 すると強面おじさんたちは互いに顔を見合わせたあと、銃を取り出し、俺を撃った。2発。

 日本の警察はこんなにホイホイ銃を撃たない。ということはこれは警察の捜査ではない。ひと安心だ。そう思いながら、俺は証拠保管室の床に倒れた。

 警察でないということは、おそらくヤクザであろう、ガラの悪い男たちはチュパカブラやマウンテンゴリラを搭載した檻を運び出そうとしていた。ヤクザどもは密輸されてきた違法動物の荷受け主だということか。税関に押収された違法動物を無理やり回収しようという算段か。俺は床に寝転んだまま、ヤクザたちのやりとりに耳を澄ませた。

「おっかねえ生き物だぜ。見ろこの爪」
「おいおい、ゴリラまでいるじゃねえか。こいつも運んだほうがいいのか?」
「ハタケの兄貴に電話して聞いてみろ。チュパカブラ6体とユニコーンとマウンテンゴリラがおんなじ檻に入ってるなんてのは想定外だ。ちゃんと確認しねえと」
「もしもし! ハタケの兄貴!ゴリラがいるんです。チュパカブラとおんなじ檻に。なんでゴリラがいるのか? さっぱりわかりません。兄貴が注文したわけじゃないんですよね? いらない? どうしましょう、撃ち殺していいですかね? ユニコーンも? 了解です!」

 聞いた感じ、コイツらはやはりヤクザだ。用があるのはチュパカブラだけのようだった。そして気の毒なマウンテンゴリラは銃殺されるらしい。やれやれ。

 俺は汚職している税関職員だ。我ながらロクでもないやつだ。あの世があるなら、きっと地獄行きだろう。だがそんな俺も、ゴリラが銃殺されるのを黙って見過ごせるほどの冷血漢ではない。

 俺は銃弾2発分のダメージをこらえて立ち上がった。かなり痛い。だが仕方ない。

「おい、生きてるぞコイツ」
「なんでちゃんと殺しておかねえんだ」
「至近距離から2発食らわしたんですよ? 生きてるほうが変でしょうに」
「当たりどころが良かったんだろ。さっさと撃ち殺せ」

 賑やかな暴力団員どもは俺を撃ちまくった。典型的なオーバーキルというやつだ。次々と銃弾を撃ち込まれた俺は、その衝撃で体を躍らせ、再び冷たい床に潰れるように倒れ込んだ。

 そして再び俺は立ち上がった。

「なんだコイツ。なんで死なねえんだ?」
「当たりどころの問題だろ。もっと撃て。」
「もう弾切れっすよ。全弾打ち込んだっす」
「人間じゃねえんじゃねえか?」

 当たりだ。大正解。花マルを進呈したい気分だが、銃弾を撃ち込まれすぎて、体じゅうがばらばらになりそうなほどに痛む。さすがの俺も、軽口を叩くことはできなかった。

 俺は人間じゃない。俺はオオカミ人間だ。正確には4分の1くらいがオオカミ人間だ。つまりオオカミ人間の孫だ。

 常人のおよそ10倍の腕力をもち、マウンテンゴリラ相手にステゴロで立ち回ることができる。常人のおよそ数十倍の聴力を誇り、その気になれば100m先の人間の会話も聞き取れる。弾丸の雨あられに打たれても、死ぬことはできない。残念ながらスゴク痛いが。

 減らず口の一つでも叩いて、俺の不死身っぷりにおののくヤクザ共をからかってやりたいところだったが、痛みでうめき声くらいしか出そうにない。仕方がないので俺は無言で全員ぶちのめすことにした。

 常人の十倍の腕力を持つ俺が人をぶん殴るとどうなるのか。飛んでいき、壁にぶつかり、そのまま動かなくなる。5人に1人くらいは死ぬ。だが、俺を殺す気でさんざん銃弾を撃ち込んでくれたお返しだ。容赦はしない。というより、体中が痛すぎてまるで手加減できない。ヤクザどもの自業自得だ。

 さらなる銃弾を撃ち込まれながらも、気にせず拳を叩き込み、全員を暴力的に寝かしつけることに成功した。ヤクザたちは、悪事など働いたこともありません、とでもいうかのような、安らかな寝顔をしていた。幾人かは永遠の眠りについていた。アーメン。

 お片付けのためにナナミネを呼ぼうとトランシーバーを手に取ったが、先程の銃撃で完全に壊れてしまっていた。流石にこの惨状を俺一人で片付けられない。俺は市場のマグロのようにゴロゴロと転がったヤクザを蹴り飛ばし、証拠保管室の外に出た。

 全身どこもかしこもが痛む。昔はこの程度の全身蜂の巣状態はすぐに回復したが、三十路を迎えたあたりから、妙に治りが遅くなった。数字が30代になったことよりも、身体が衰えつつある、昔のようにはいかないという事実が、年齢を実感させる。

 恐ろしいのは、俺はこれでまだ33歳だということだ。40になったら俺は一体どうなってしまうのか? 想像したくもない。

 こんな仕事を続けていていいのか? 動物を殴ったり、蜂の巣にされたり。今なら他の仕事を探せるんじゃないか? そんな考えが横切っていく頭を振った。

 まともな仕事に転職するには健康診断書が必要だが、俺には手に入れられない。

 俺は人間じゃない。健康そのもので、常人の十倍の腕力、数十倍の聴力があるが、人間じゃない。人間じゃないヤツが健康診断をうけるとどうなるか知ってるか? 血圧から何から、おかしな数値が山ほど出てきて緊急入院させられてしまう。健康を証明することなど出来はしない。結局、税関をやめても、別のろくでもない仕事に就くしかない。

 税関で飼い殺し。それが俺の人生だ。人生も何も、人間じゃないが。

 取調室にナナミネを呼びに行くと、生臭いニオイが充満していた。常人の数十倍の嗅覚を持つ俺は、顔をしかめた。

 部屋には3人いて、そのうちメキシコ人が死亡。税関職員ナナミネはまたしても頭に穴を開けられ、虫の息。取調室の床は血まみれ。その真ん中に、ガタイの良いスーツの精悍な中年男が1人。右手に銃を持って立っていた。

 多分、さっきのヤクザ連中のボスだろう、と俺は思った。まるで、人間ではないかのような風格を湛えている。それともこれが極道の気迫というやつか。

 俺は咄嗟に身構えようとしたが、腕がいうことを聞いてくれなかった。男の放つ回し蹴りがガラ空きの胸を直撃し、俺の体は取調室から叩き出された。廊下の壁に頭からぶつかり、首の骨が――多分首だ、確信はないが――ボキリto折れる音がしt。たちあがrなi。ちくsh。

 回し蹴りを放ったハタケは体勢を戻し、乱れたスーツを整えた。

 ハタケは税関の職員を可能な限り殺害するつもりでいた。目撃者は消す。

 誰が何を押収品から強奪したのか。それも、わざわざ税関に乗り込んでまで。侵入者である自分たちの目的や素性を知られたくない。『チュパカブラを奪いにヤクザがのりこんできた』、という事実を当局に知らせないためだ。『乾燥チュパカブラ粉末』の危険性や依存性は、まだ当局に知られていないのだ。勘ぐられるのは非常によろしくない。

 蹴り飛ばした税関職員の頭に銃弾を2発。ハタケは証拠保管室に向かおうと踵を返した。そして、足首を掴まれた。驚いて下を見ると、先ほど頭に銃弾を撃ち込んだ税関職員2名の指が、ハタケの両足にかかっていた。

 全身撃たれ、回し蹴りを食らい、首を折り、頭にオマケを2発。さすがに永遠の眠りにつきたくなる最悪の気分だったが、残念ながら、これでは死ねない。

 ナナミネも同様だ。頭から血を流し、ついでに口からも血を吐いているが、その程度では、俺たちは死ねないのだ。

 回復力の落ちた体を叱咤し、俺はヨロヨロと立ち上がった。驚くヤクザの親玉の手から銃を叩き落とし、両手で太い首をつかむ。そのまま渾身の力で締め上げる。あまり力が入らないが、それでも俺の腕力は常人の十倍だ。こいつを食らってくたばりやがれ。

 撃ち殺したはずの税関職員が、ゾンビじみた動きで立ち上がり、ハタケの首を、万力のような力で締め上げる。どうして死なないのか。どこからこんなチカラが。

 ハタケはその体格から渾身の打撃を繰り出した。頭部にフック。みぞおちに膝蹴り。アバラめがけた拳の連打。どれも、常人がもらえば、とても立っていられない威力だ。最悪の場合死ぬ。それほどの攻撃を税関職員は防御することもなく、すべてモロに浴びた。

 だが、だんだんと首を絞める力は強くなっていく。ハタケは全力で首にかかった指をへし折り、引き剥がした。そして、再度の回し蹴り。ついでに足元の女性職員の首を踏み折る。

 今度こそ片が付いた。そう考えたハタケは証拠保管室に向かった。

 またしても回し蹴りを食らい、もはや立ち上がることもできない俺は、床の冷たさに身を任せていた。ひんやり。仕事として、給料分以上に働いたはずだ。これ以上を要求されても困る。

 耳を澄ませ、証拠品保管室から檻が運び出される音を聞いていると、それとは別の妙な音が耳に入った。小さな足音だ。ガタイの良いヤクザのそれではない。かなり小さい。子ども? ここにいると危険だ。ヤクザに鉢合わせたらまずい。ヤツは子どもでも容赦なく殺すだろう。

 俺は子どもを見殺しにできるような冷血漢ではない。立ち上がろうとした。だが、ダメだった。一歩も動けない。ナナミネも虫の息だ。なんてことだ。

 俺は焦りながら耳を澄ました。子どもを助けられなかったとあってはオオカミ人間の名折れだ。ヤクザの気をこちらに向けさせないと――

 俺の耳に、天井が破れる音が届いた。何かが落下する音。ヤクザのわめき声。体格のいい男が倒れる音。頭蓋骨に穴が開く音。首の皮膚と骨がネジ切れる音。

 先ほどの小さな足音の正体を俺は悟った。子供ではなかった。

 最凶のげっ歯類、殺人ビーバーだ。足音の主はダクトの中を歩く殺人ビーバーだったのだ。チュパカブラを密輸しようというヤクザの企みは、特に関係ない齧歯類によって、見事、阻止された。一件落着。

 およそ3時間床に寝そべった後、俺とナナミネは回復し、職務に復帰した。いつまでも、床でおねんねしていられない。残業だ。死体をもみ消し、書類の山を少しづつ削ってゆく、地道な作業に取り掛からなければならない。

 ヤクザたちの死体を違法清掃業者に引き渡した俺は、ふと、背後に目をやった。預けた荷物が流れるベルトコンベヤ。その上に、回転寿司のごとく鎮座ましますチュパカブラと殺人ビーバー。ビーバーの足元にはヤクザの首があった。二人と頭が一つ、仲良く俺の視界を流されてゆく。

 そういえば、ヤツらが檻から逃げ出していたのを忘れていた。俺は急いでベルトコンベヤに運ばれていくファンタスティックビーストたちをを追いかけた。

 なんだって、ベルトコンベヤの上のビーバーとチュパカブラなんかを、必死こいて追いかけなきゃいけないのか?

 大した額でもない給料をもらって、危険な動物と追いかけっこをし、ときにはヤクザと闘いもする。それが税関職員である俺の、仕事だからだ。

【終わり】

#創作大賞2024 #お仕事小説部門