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同性愛、異性愛

最近はLGBT(LGBTQと呼んだり、最近は呼び方ではなくSexial Orientation, Gender Identificationという概念で捉えたりするようですが)について語られることも多いのですが、その中でこの日本語はどうにも適切でないと思えてならないのです。

もとより、人を愛するということと性的指向(どんな人に対して恋愛感情、性的願望を抱くこと)とは、深い関係性はありますが別な概念です。一般的に言われる異性愛者であっても、同性の子供や親族を深く愛することもあるでしょうし、愛の深い方であれば家族以外でも同性の他者を愛することもあるでしょう。なので性的指向を表す上で「愛」という言葉を使うことは不適切であると考えます。

ではどのように表現すべきでしょうか。まだ日本語には存在しないと思われますので、同性愛はホモセクシュアリティ、異性愛はヘテロセクシュアリティと言うしかないですね。最近は、従来無い概念が海外から輸入された場合に、新しい日本語を新造しようとする動きがあまりないので、そのまま外来語を使い続けるケースが多いですが、それはそれで努力の放棄と思えますが、それはまた別の話で。

ここで性的指向という言葉が出てきましたが、性的指向(Sexual Orientation)と性的嗜好(Sexual Preference )とは別な言葉です。日本語上では読みはおなじ「せいてきしこう」なのでややこしいですね。LGBTを論じる場合性的嗜好という言葉は使うべきでないとされています。なぜなら「嗜好」は自発的選択の結果得られた後天的性質と考えられ、先天的性質である性的「指向」とは別と考えられているからです。

ただ、、何が先天的で、何が後天的か、判断できるのか疑問です。どうやら性的嗜好は、フェティシズムであったり、サドマゾ等を指すようですが、それらが後天的な獲得形質だと言い切れるのでしょうか。

少し前まではLGBTも「治療すべき性的な疾患」と捉えられ多くの人が苦しんでいたわけですが、性的嗜好も、全てが「異常」と考えられるべきものでしょうか。このあいだ足立区の区議が発言して物議を醸した、「普通の人生」というものは、そもそも存在しないし、少数派が多数派に嗜好を合わせるべきという社会は良くありません。

ちょっとWikipediaの性的嗜好の項目を参照してみましょうか。

性的嗜好は、人間のあらゆる行動や行為が多様で、個人ごとで様々な好みや傾向性を持つのと同様に、あまりにも多様で、本来類型化など不可能である。なぜある特徴、ある行為、ある状況に魅惑されるのか、その原因と想定されるものが、非常に多様多彩であることも考えれば、類型を想定することに無理があるとも言える。しかし、それでもある種の性的嗜好は、その原因に関する説明理論から類型が立てられ、また社会道徳的に「異常」と通説されるものは、その行為や嗜好の特異性あるいは外見の特徴から類型が立てられている。異常とされる類型は、精神医学的に、健全な心理の所産とは考えがたいものは性的倒錯の類型となり、世俗道徳的な偏見における類型は、変態性欲の類型になる。

社会道徳的に異常 とか、 健全な心理の所産 とか、これはLGBTの方々を攻撃していた時と同じ表現ではありませんか。

ちなみに、医療界の見解として、性的嗜好を精神疾患として診断・治療すべきかどうかの基準は以下の2つとも満たすケースだそうです。

(1)当人が自分の性的嗜好によって、心的な葛藤や苦痛を持ち、健康な生活を送ることが困難であること。

(2)当人の人生における困難に加えて、その周囲の人々、交際相手や、所属する地域社会などにおいて、他の人々の健全な生活に対し問題を引き起こし、社会的に受け入れがたい行動等を抑制できないこと。

つまり子供に性的願望を抱く人であっても、当人が通常に生活でき、社会内で違法行為を行わないのであれば、疾患として治療すべきものではないということです。まあそうでしょうね。そうしないと人の嗜好を暴き立てて無理やり矯正させる悪夢のような社会になります。

とかく人間は自分と異なる性質を、悪しきものと分類し、目の前から排除し無かったかのようにしたがる傾向にあります。でもそのような脊髄反射的な行為で社会が良くなっていくはずもなく、犠牲者が増えるだけです。

性的嗜好についてだけではなく、人間が持つ反社会性についても、誰にでもある普遍的なトピックとして十分意識すべきではないでしょうか。

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