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リサコラム#20 「好き」は、そこまで重要ではない?

パートナーとの関係において、お互いを「好き」と感じること。それだけで十分なのか?或いはそれが一番重要なのか?​まだ日の浅い恋愛関係ならまだしも、結婚の理由で、「好き」だから、「一緒にいたいから…」、そういう言葉を耳にする度、疑問が沸いてきます…。

「好き」という気持ちから、次第に愛情が生まれることもあれば、シンプルな尊敬の気持ちから「好き」が生まれることもあるでしょう。

そもそも「好き」という気持ちは主観的なもの。今、「好き」な人や物などが5年後も「好き」であるとは限りません。「嫌い」になったり、関心の対象から外れることもあるかもしれません。その間に得た経験によって、好みが変わることは十分にあります。

なぜ人は、「好き」にそこまで価値を置くのでしょうね…?

今、何かを選択する場面では、判断材料として重要かもしれません。

しかし、例えば結婚などの長期的関係を決める状況で、「好き」という、不確定で不安定ともいえる要素に大きく価値を置くのはどうなのかな…と思ってしまうのです。


———価値観への疑問

離婚の原因に、「価値観の違い」がよく挙げられます。面倒な説明をそれらしく言う常套句として使われているのでしょうけれど、ちょっと変だな…と思いませんか?

価値観の違いは必ずあるもの。そもそも、価値観は一つに限りませんし、​共通するものが一つも無かった、ということかもしれません。しかし、価値観の重なり具合や、それぞれの影響具合などもあるものではないでしょうか?同じか違うかだけが問題ではなく、それぞれの価値観は影響し合うそういったことは完全に無視されているような気がします…。


私たちは普段、言葉でお互いの認識を確認することがおおいのではないでしょうか?しかし、同じ言語、同じ言葉を使っていてもそれぞれに感じ方は異なります。何故ならその言葉を習得し、使えるようになるまでの背景が人それぞれ違うこと、そもそもその人の個性や性質が異なるからです。

例えば別の方法で、お互いが絵で表現したとしましょう。一見、双方の構成は全く違う、しかし、彩色やタッチが似ている、そんなことがあったりします。

「価値観」という話になった場合は、どうしても文字、言語での表現手段になりますが、それが双方の間でどれだけ違い、どれだけ近いかは当人たちだけが知る…、というか感じること。説明が難しいために、簡単に「価値観の違い」という表現になるのかな、なんて思います…。


———最重要なのは、共通の喜びがあるかどうか

お互いにとって共通の「喜び」を感じるポイントが多ければ多いほど良い
そして、どれだけその瞬間を共に感じ、満たされるか。それが最重要だと感じています。

前にも書いたように、例え価値観の違いがあっても、それが影響し合い、共通の喜びが沸き上がってきて共に感じられること、言い換えるならば、材料と方法は違うけれどもそれが双方の喜ぶ味になって共に幸せを感じられたら最高ではないでしょうか?。


———疑似の喜びの存在

「喜び」という感情は、時に他の感情と混同されます。それは「楽しい」や「興奮する」といった感情です。

「楽しい」や「興奮する」は、しばしば「ワクワク」や「ドキドキ」と表現されますが、しかし、本当の喜びは、そうした状態よりは寧ろ心の充実感や安心感で満たされるゆったりした状態をもたらします。

あなたか感じる、感じている、その喜びは本当の喜びなのか、或いは疑似の喜びなのか、どちらでしょう?

自分の本当の喜びを知り、判断できる人にとっては簡単なことですが、長い人生であまりにもいろんなことに我慢をし、それに意識を払ってこなかった人にとっては、非常に非常に難しいことです。かく言う私もその一人でした。


なぜ人は、「好き」にそこまで価値を置くのでしょうね…?
「喜び」の方が、「好き」よりもはるかに重要ではないでしょうか?

あなたのパートナーとの「喜び」とは一体何でしょうか?
共に心から喜べるもの、喜びを感じるものは何でしょうか?
どんな、じんわりと湧き上がる喜びを共に感じられましたか?


​私たちは生きる過程で、自分ではない誰かと、
心から喜びを分かち合えることを望んでいるものです。


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by リサ@サブミッシブ



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