子供時代を奪った親の罪深さ。
最近見たYouTubeでマイケルがマコーレをとても大切にしていた理由を解説した動画をみた。
https://youtu.be/FxZmfUVAgTo
マイケルとマコーレの生い立ちにとても共通点があり、マコーレの境遇と自分を照らし合わせていたのかと納得した。
マイケル・ジャクソンは、あまりに歌が上手くて、5歳から仕事をはじめた。
マコーレー・カルキンも4歳から劇団に入れられ仕事を始めている。
二人の共通点は、
人にはないスターのオーラと
類を見ない才能を持ち合わせていること
兄弟が多く、裕福でなかったこと。
そして、親が
かつてスターを夢見ていたこと。
だから我が子の才能をいち早く気が付き、
猛烈に売込みたいという衝動にかられたと簡単に想像できる。
そりゃ我が子に才能があれば、そうなるのは、理解できる。
けれど、マイケルとマコーレの
親の大きな罪は、子供を
「金のガチョウ」扱いしたことだった。
自分の子供なのだから、
なんでもいくらでも思い通りになると
勘違いしたところに、大きな悲劇がある。
本来、幼児というのは、
かなり心理的な成長に大切な時期であり
大切に成長をしずかに見守ってあげる事がたいせつなのだ。
だから、小学生の前に保育園や幼稚園が存在して、経験を積んでいく場があるのだ。
児童心理学者エリクソンが唱える、
「エリクソン発達理論」では、
乳幼期は、自分が愛されているという実感を得る時期である。その時期を獲得しないと、自分自身や他者に不信感を抱くようになると解説している。
また、幼児期では、てさぐりで自分の意志をコントロールすることを学んでいく時期。それに失敗すると自分の行動や能力に恥や疑惑の感覚を抱く様になるというのだ。
マイケルもマコーレも、父親に強い調子で仕事を強要され、自分の意志など、まるで無視されて、必死で働いた。それも、家族のために。それでも親の喜ぶ顔みたさに必死だったと思う。
遊ぶことで、人間として大切な経験をつむ大切な時期を手にするチャンスを親は与えようとしなかった。
それは、大人になってからは絶対に獲得できない。
マイケルは、大人になっても、普通にはなれなかった。永遠に子供のまんまみたいな人だった。
だって普通は子供時代を経験するから大人になっていく。その過程を親がとりあげたからだ。
だから、マイケルは、ネバーランドで少年たちと必死に子供時代を取り戻そうとした。
マコーレが同じように親のエゴで子供時代を奪われたことに酷く心を痛めて、マイケルは彼をとても大切にしようとした。
けれど、うしなった臨界期(そのときにしか獲得できない時期)を完全に取り戻すことなど、生物上もうできないのだ。
それでも親のあたたかな言葉があればまだ救いだった。
かれらは、ひとこと言葉を言ってもらうことを夢見ていた。
「愛している」と。
しかし、いくらマイケルがオックスフォード大学の講義で、「自分を開放するため、父親を許したい」といっても
幼児期にしか獲得できなかった信頼をとりもどすことなど、絶対にできないのだ。
子供は、自分のものではない。
親の出来なかったことを子供に期待する気持ちは理解できても、自由をうばうほどの強要は決してしてはいけないのだ。
これは、マイケルやマコーレだけの問題ではない。
現在のお受験も同じである。
いくら子供の将来のためとはいえ、がんじからめに勉強させている家庭は少なくはない。
それは、どこまで子供の意志があるのか、
どこまでが、子供のためなのか。
子供を自分の欲望の道具にしていないか、
私達は考えるべきだと思う。
子供を愛していない親などいない。
けれど、そこに貧困やさまざまな事情がはいりこむと、
マイケルやマコーレのような
二人のような*Childhood(子供時代)を忘れ物センターにさがしにいかせるような目にあわせてしまう。
私達は、大切な子どもたちを見守ってあげる使命があるんだと思っています。
*マイケル・ジャクソンのChildhoodという歌のなかに、「子供時代を忘れ物センターで探してるけどみつからない」という切ない一節があります。