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Lutraが始まるまで〜自分のことその2

みなさんこんにちは!Lutraのまなみです。今日はなんでLutraしてるの?についての話ということで、前回に続いて引き続きまなみの生い立ちについてお話ししていきます☺️

〜今回は私とスポーツとの出会いから〜🏓

きっかけは母親が町内の友人に誘われて卓球を始めたところから。
母親は私が小学生に入った頃から、母親なりに自分の時間を求めて、近くの小学校で卓球を毎週夜週2回通っていたようでした。
その中で近くに卓球クラブがあるから、子どもたちを通わせるのがプチブームになっていたようです。
始めた当時は、その前に水泳とかピアノをやっていたけど全然続かなくて、学校もつまらなくて、私は何もすることがなくて不貞腐れていた頃。
母親がとりあえず行ってみたらと背中を押して行き始めた小学校3年生の頃。

全然強くもなんともなかったし、別に好きでもなかったけど。他にやることもなくて、いろんなことを中途半端で過ごしている気がして、卓球はとりあえず続けてみようかなと思えたのかな、と今なら思います。
小学校5年の時にたまたまトーナメントの引きが良くて、初めて全国大会への出場が決まった日もまだ覚えてて、その日の試合は3位で、私が所属しているチームの中では全然よくなかったけど。
私はすごく嬉しくて、自分で「自分はこれができる」というものがやっと持てた気がして、自分のなんとなく灰色に見えてた世界に色がついたのを今でも覚えています。

その後も所属していたクラブの中ではそれほど強くなかったけど、卓球ができることで自信がついていくことの喜びや、窮屈だった家と学校以外に自分の場所ができて、トレーニングは嫌だったけど😂なんとかついて行ってた感じだったのを覚えています。
その後周りは卓球の推薦で中学、高校に進学していてて、私は親のこともあるから地元の学校に残るのがすごく嫌だったし、どこかで自分は卓球に才能がないことを自覚していたから中学校で辞めたかったけど、お母さんが私が卓球で自信を持ったことを知っていて、辞めて欲しくなさそうだったから、高校も地元の高校で続けることにしました。
でも、その高校が今私が思ってもすごく特殊というか、非常に卓球に打ち込むのに最高の環境でした。

私は高校入学のタイミングで辞めようと思っていたけど、その高校の当時のコーチが、「お前は少なくとも全国ベスト8にはなれる」と言ってくれた(当時は私は全国行ければ十分くらいのレベルだった)ことが、私に火をつけて、さらにその部活の中で出会った先輩、後輩、仲間たちや先生、ライバルのおかげで私のアスリート根性がここで芽生えることになるのです・・・

 続きは次回😂(近日中にあげますw) 

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