見出し画像

病歴⑤補記:入院前にしたことと世界とのつながり

私の卵巣腫瘍の病歴は、前回書いた「病歴⑤」でひと段落つけようかと思ったが、ふたを開けてみると、私の一年分の健康への不安であるとか、医師への不満であるとか、怒りの供養のような文章になってしまっていた。
そのために、ありがたくも怒ってくださる方や心配して下さる方がいらした。
この文章を書いている現時点において、私は主治医とそこそこ良好な関係を築いている、と思う。私がだいぶ慣れてきたというのもある。なんというか、朴訥とした人なのだ。とても真面目で、言葉がやや少なめで、あれこれ言うと取っ散らかったり舞い上がりそうな人という印象だったりする。
医師のほうだって、誰かの処置した患者の引継ぎよりも、自分が手術するほうが自分の患者って感覚になるんじゃないのかなぁと思ったり。
今回の手術前の検査を決める段階から病状説明の時、とても真剣に取り組んでくださっていることを、私は感じることができたし、パートナー氏や両親もそれなりに納得してくれたように思う。

さて、せっかくなので、病歴⑤の補記として、書き忘れたエピソードをいくつか記録しておきたい。

この入院の直前の日程で、私はTwitterで知り合った数名の同業の女性たちと、持ち寄りパーティのようなオフ会をしようと企画していた。
それは非常に楽しみな試みで、食器を選んで購入し(箱、開けずに部屋に置きっぱなしだ!)、どんな献立にしようかとわくわくしていた。
2か月ぐらい前から準備していただろうか。遠方より参加したいとおっしゃってくださっていた方もいた。
これが10歳若ければ、生来の無謀さで、私はごり押しで実現したと思う。
だが、この時は頑張れないと判断した。同業の方たちは、知的で共感性が高く、思いやり深い人たちであり、私が変な無理をすれば、心配をおかけして却って気まずくなることもあっただろう。
おひとりおひとりにDMし、快く中止を了解してくださっただけではなく、その後の入院から現在にいたるまで、声をかけてくださることも多い。
このTwitterというツールがあったことで、たとえば論文を読むグループや事例について話し合うグループなどに交流が広がり、仕事を休んでいる間も臨床にどこか触れていることができたり、個室に入院しても自宅で療養していても孤独にならずに済んだことが、私のメンタルヘルスに役立った。
ほんとうに、ありがたくて、四方八方に向かって手を合わせて頭を垂れたい。

入院前は必要なものをあれこれと揃えないといけない。病院がパンフレットをくれたので、それに沿って、洗面器であるとか、タオルであるとか、ストロー付きで蓋つきのカップであるとか、お箸であるとか、家にあるものでも揃えられそうであったが、憂さ晴らしに100均でも購入した。
寝間着+部屋着と下着も買い揃えておきたくて、パートナー氏にユニクロにつきあってもらった。
腹部の手術の後は締め付けることがつらくなった前回の経験から、ワンサイズ大きな下着と寝間着を買っておきたかったのだ。それと、下腹部を柔らかく押さえてくれて、なおかつ食い込まないガードルのようなものを探しておきたかった。
買い物をしていると、退院後になにを着ようか?と考えてしまった。
前回の入院中の記憶よりも退院後の働きはじめてからの記憶のほうが根強くて、暖かくて締め付けない服装を考えて、ついつい買い物が増えてしまった。
会計時にパートナー氏がびくっとしたのは申し訳なかったが、その後、もう一度、一人で行って似たような量の買い物をしてきたのは内緒である。

入院前に、パートナー氏と過ごした海がとても気持ちよかった。
数年に一度ぐらいか、たまに泊まるホテルの前が海岸になっており、のんびりと日向ぼっこをしながら、風に吹かれ、波に耳を傾けた。
それがとても気持ちいい時間で、うっかりすればそのまま、自分が元気になれそうな気がした。
その波音を動画に撮って、当時、抗がん剤治療している伯母の看護に疲れ気味の従妹にシェアしたりした。
それがとてもよい体験だったこともあって、仕事を休むようになってから、両親を連れてドライブに出かけた。
とある豆腐屋さんが昼に出している食事を食べに行こうと提案し、親孝行がてら連れていったのだ。初めて行く店で、駐車場が見つけられずに手間取ったけれども、食事も美味しくて、両親にも少しばかりの気晴らしをしてもらえたように思う。
その帰りに、これまた違う海辺にある製塩所に立ち寄り、そこの名物のプリンをいただきながら、砂辺ではなく岩場に打ち付ける波の音に耳を傾けた。
この時の二つの海は、気候がよくなって、私が今よりも元気になったら、また行きたい場所になっている。
太陽と、風と、海と。
こころとからだのなかを綺麗にしてくれるようなエネルギーが降ってくるような、そういう景色が今も目に浮かぶ。

長時間のドライブは、最後のほうは腹部がむくんでシートベルトが食い込んで痛く、両親には気を遣わせてしまった部分もあったけれど、ああいう時間はなかなか無いから、個人的には結果オーライ。

入院中は本を読みたいと思って、職場と自室の積読本を紙袋いっぱいに詰め込んだ。
がんがんと読むつもりだった。
入院したのは月曜日で、その前の土曜日に手に入れたばかりの小野不由美さんの『白銀の墟 玄の月』の3・4巻をいかにして読み上げるかが課題だった。
これを最後まで読まないことには、安心して手術が受けられないとばかりに、睡眠時間を削って読んだ。
どうせ麻酔で眠るんだからと、手術の前夜も読み終えるまで寝なかった。
これができただけでも、最初から個室にしてよかったと思う。

手術の後は発熱と痛みとの戦いになるため、読書の速度は一気に落ちた。
もともと小説は没頭して短時間で読み上げるが、専門書などになるとじっくりとメモを取りながらゆっくり読む。
手術直後に読んだのは、村山早紀さんの『かなりや荘浪漫:廃園の鳥たち』だった。ちょうど主人公が風邪をひいて寝込んでいる話だったので、思いがけない臨場感があった。優しい心持ちになる本で、これを一冊目に選んだ自分は偉いと自画自賛した。
NetGalleyでゲラを読ませていただいた本もある。そのうちの一冊のレビューがまだ書けていないのは気がかりだ。
なろう系のお気に入りの小説は、スマホで何度も何度もいまだに何度も読み返しているものがある。
しかも、これもまたSNSの素晴らしさであるが、いつも暖かいまなざしと気遣いをくださる村山早紀さんのみならず、私がnoteにレビューを書いたことが『急に具合が悪くなる』の磯野真穂さん、『呪いの言葉の解きかた』の上西充子さんの目に留まり、お二人ともそれぞれ言葉を交わせたことは刺激的な体験となった。
何度見直しても誤字脱字が出てくるつたない文章であるが、この二冊のレビューを書くときは、自分が研究をしていた頃の気分を思い出させてくれたから。
こんな風に、インターネットは、自分と世界をつなげてくれている。

改めて振り返ってみると、宮野真生子さん・磯野真穂さん『急に具合が悪くなる』は、この時の読書のなかで私に残したインパクトが大きい。
これは入院前というか、私が発病しているとわかる前に、村山早紀さんにTwitterで勧めていただいた一冊だった。私自身が、自分が急に具合が悪くなるなんて、思っていなかった頃だった。
宮野真生子さんという方ががん患者として「急に具合が悪くなる」と言われた中で始まった往復書簡であり、生と死、偶然と運命、がんと日常、様々なことを考えさせられる一冊だった。
これを読むことはエネルギーがいり、病室を訪ねてくれた緩和ケアナースさんはあまりいい顔をしなかったけれど、今この時に読めるという奇遇はそうそうあるものではなかったと思う。
確かに、読んでて怖くなった部分もある。宮野さんは数年後の私であるかもしれないわけだ。
私は自分の病を抱えて、最期にどれだけ苦しむことになるのか、ビビッドに想像させられた。
この想像は、腫瘍をすべて取り除くことはできなかったと医師に説明を受けてから、何度も舞い戻ってきた。私から「治る」という選択肢がなくなったわけだから。ほんとは、最初の発病時に卵巣を破裂させたときから、その選択肢はなくなっていたのだが、私は「治った」と勘違いすることを許されながら、目を半分そむけながら10年を過ごすことができていたのだ。

これまで、5-6年に1度のペースで再発しているわけだから、自分が還暦まで生き延びるとしたら3回ぐらいの手術を受けるのか。70歳まで生きるなら5回ぐらいになるのか。そのたびに、私はどの臓器を失いながら生きていくのだろうか。
そして、最期はどのような痛みに襲われ、もがき苦しんで死ぬのだろうか。
この想像は、今も怖くてたまらない。

せっかくなので、この私の病気についての振り返りは、今後も書けそうな時は書き継いでいこうと思う。

サポートありがとうございます。いただいたサポートは、お見舞いとしてありがたく大事に使わせていただきたいです。なによりも、お気持ちが嬉しいです。