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書籍『かなりや荘浪漫:廃園の鳥たち』

村山早紀 2019 PHP文芸文庫

11月になり、私は三度目のがんの手術を控えて、あわただしくしていた。
初回は対内で卵巣が破裂したので出血多量で死にかけたし、前回は切り取ったものが多くて身も心も痛くて仕方なかった。
腫瘍が見つかったその日に摘出手術を決めたものの、入院日までの安静を言い渡されわけでもなく、仕事の引き継ぎやしばらくできなくなるあれこれを予定に詰め込んでは、日々疲れやすくなり、やる気が出なくなる…そんな日々を過ごしていた。

入院間近な日、とても優しい小包が届いた。
小包に、ぎゅうぎゅうに優しいいたわりが詰め込まれていた。
手術が終わった後、まだ気力も体力も赤点滅だけど、これなら読めそうと思って読んだ本は、その小包に入っていたものだ。

茜音ちゃん。19歳の真面目で健気で働き者でまっとうなお嬢さんだ。笑顔で大事に商品を扱い、接客し、アルバイト先にも可愛がられてきたような。
夜分に迷子を見かけたら放っておけず、きちんと連絡をとった上で送り届けるような。
ちょいとばかし不幸か要素が多い生い立ちでも、すれず、ひねくれず、根をはって倒れぬように踏ん張ってきた苗のような。

しかし、どんな苗でも、土と水と光を必要とする。
茜音ちゃんがたどり着いたかなりや荘という場所。
この物語はこれから育っていくので、この一冊目は主人公と、かなりや荘と、そこに住む人々の紹介になっている。
だから、そこはこれ以上触れずに、サブタイトルの意味を読み取ってほしいとだけ書いておく。

茜音ちゃんが風邪を引いて寝込んでいるところを、私は病院のベッドの上で臨場感を持ちながら読んだ。
まだ、絶飲食だったので、そのお粥美味しそう…メロンパン食べたい……と、欲望を刺激してもらった。
欲望は回復へのモチベーションになるから、いい。
そして、主人公の回復やこれからの成長や成功の予感が、私にも未来への希望をともしてくれた。
一人きりで過ごす病室で、不必要に落ち込んだり、暗くならずに済んだのだ。

もしかしたら、ミルトン・エリクソンのトマトの話のようなもの?

今、院内を歩き回れるようになってきて(というか、歩くべしと奨励される)、給湯室でお湯を汲んで美味しい紅茶を1日1つずつ楽しんでいる。
今日はデカフェのアップルティ。薄めに香りだけを楽しむようにして。
ゆっくりゆっくり、私もまた、自分の目指すところへ羽ばたくための力を回復させねばならない。
と同時に、この物語の、茜音の伴走者になれたら嬉しい。

なお、この本は集英社オレンジ文庫からの移籍になり、PHP版だけのおまけの短編が付け加えられている。
これがまた、違うクリスマスの違うプレゼントであり、あの人もこの人もみんな幸せにな~れ☆と祈りをこめて閉じる仕掛けになっている。

村山さんに心から感謝。

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