幽遊白書の戸愚呂(弟)は、なぜB級どまりなのか?
『幽遊白書』は、90年代に人気を博した少年漫画で、週刊少年ジャンプで連載をされていた。
物語は、霊能力に目覚めた少年「浦飯幽助」が、霊界探偵となって、仲間達と共に妖怪と戦うという物語である。
当時、絶大な人気を誇っていた『ドラゴンボール』とは違い、妖怪や霊を基盤としたダークな世界観で子どもたちを魅了した。
原作者は冨樫義博で、後に、大ヒット作『ハンター×ハンター』を描いている。
冨樫義博は、悪役キャラを魅力的に描く漫画家であり、『ハンター×ハンター』でも、ヒソカや幻影旅団等、魅力的な悪役キャラを多数描いている。
『幽遊白書』の人気キャラである飛影も、当初は悪役キャラであった。
そして、『幽遊白書』の悪役キャラで、ファンの人気が高いのは、戸愚呂(弟)というキャラクターである。
戸愚呂は、暗黒武術会編で登場したキャラクターであり、体の筋肉を自在に操作できる能力で肉弾戦を得意としている。
しかし、これといった特殊能力や、妖力を使った攻撃ができないため、B級どまりの妖怪となっている。
そのため、ネットでは時折、戸愚呂がB級どまりであることが話題のネタとなっている。
なぜ、戸愚呂は、B級どまりなのか、そして彼の何が人を魅了するのかを解説していこう。
戸愚呂とは?
まず、戸愚呂とは何者なのかを解説しよう。
戸愚呂は、闇ブローカーと呼ばれる妖怪たちを束ねる存在であり、闇稼業をしている人間たちと手を組んで仕事をしている。
前述の通り、戸愚呂は特殊能力をまったく持たない敵キャラクターで、完全に物理攻撃のみしかできないキャラクターである。
しかし、それでも途方もない強さを誇るため、多くの妖怪たちから羨望の存在となっている。
単に強いだけでなく、正々堂々とした戦いを好み、又、力だけでなく、相手の強さを見極めることの重要性や、戦いにおける心構えもしっかり身に着けており、主人公の幽助さえも、彼の言葉に影響を受けている。
そのうえ、戦いのみにしか感心の無い男というわけではなく、ユーモアやサービス精神もあり、暗黒武術界では、パフォーマンスとしてリングを体一つで運んで、観客を楽しませていたりもしている。
つまり、戸愚呂はどこか人間臭いところのあるキャラクターであり、そうした一面もまた、彼の魅力となっているが、実は、元々、人間の武術家であったのだ。
彼は、50年前に行われた暗黒武術に出場したことがあり、その時に優勝し、より強大な力を求めて、兄と共に妖怪に生まれ変わったのである。
自らを妖怪の姿に変えてまで、強さを求めると言う、この貪欲なまでに力を求める姿が、戸愚呂の魅力の一つとなっている。
しかし、幽遊白書の世界では、より強くなるためには、霊力や妖力をあげるのが一番であり、肉体的な力は限界がある。
実際、本編で主人公の幽助がパワーアップの修業をした際、師匠である幻海は、筋力ではなく霊力を使うようにと言っている。
つまり、戸愚呂は肉体的なパワーのみで、B級上位にまで昇りつめたということになるが、それほど強さに執着するのなら、なぜ、彼は妖力を鍛えようとしなかったのかという疑問が出てくる。
戸愚呂が妖力を持たなかった理由は?
戸愚呂が妖力を持たなかった理由の一つに、肉体の強さにこだわっていたというのがあげられる。
前述したように、戸愚呂は、もともと人間であり、優秀な武術家でもあった。彼の仲間には、後に幽助の師となる幻海がいた。
彼は当時、自身の肉体に自信を持っており、回想シーンでは、自分の体が最盛期の時に、歳と共に徐々に衰えていくことを恐れ、そして、鍛え抜かれた自分の体を惜しんでいた。
そのため、前回の暗黒武術会で優勝した際、妖怪に生まれ変わって、強靭な肉体を手に入れた。それほど、戸愚呂は、自身の強靭な肉体に固執していたのだ。
戸愚呂の罪とは?
戸愚呂が妖力を鍛えなかった最大の理由は、自分自身の罪の意識によるものではないかと思われる。
戸愚呂は、かつて、己の弟子達を妖怪に殺されたことがある。しかも、その時、戸愚呂は強さの最盛期であり、己の強さに自信を持っていた時であった。
戸愚呂の弟子を殺したのは、潰煉と言う妖怪で、その姿は妖怪となった戸愚呂に似ており、実力も相当なものであった。
当時の幻海でも、 どうにもならなかったと言わしめるほどであり、具体的な描写はないが、当時の戸愚呂も敵わなかったと思われる。
なす術もなく、己の弟子達が殺されるのを目の当たりにした戸愚呂の心に鬼が宿り、その当時の暗黒武術会に出場した戸愚呂は、かつて己の弟子を殺した潰煉を倒し復讐を遂げる。
しかし、戸愚呂は潰煉を倒しても、弟子を死なせてしまった自分自身も許せず、心の奥で償いを求めていた。
そのために、妖怪に生まれ変わり、誰か己を倒す者を待っていた、それが幽助であった。
戸愚呂の償いとは?
戸愚呂は、自分自身を殺せる者を待っているほど、自分のことが許せなかった。では、戸愚呂は自分自身の何が許せなかったのか?それは、彼の心の中にあった驕りではなかったのか?
戸愚呂は、前述したように、潰煉が弟子を殺すまで、自分自身の力に絶対の自信を持っていた。しかし、それにも関わらず、潰煉に勝てなかった。
自分の強さに自信を持っていた戸愚呂のプライドは、完全に潰されてしまい、その上、弟子たちを皆殺しにされてしまうという憂き目にあってしまった。
そのため、戸愚呂は敵である潰煉以上に、己の中にあった強さに対する驕りがどうしても許せなかったのではないか。後に、潰煉を倒して仇をとったがゆえに、現状に甘んじていた自分自身が、尚のこと許せなかったのではないのだろうか。
現に、暗黒武術会の決勝戦では、幽助に本気を出させる際、彼の仲間である桑原を殺して(実際には殺していない)、彼に本気を出させていた。
つまり、あの当時の自分と同じ状況を作り出すことで、幽助に本気を出させたのである。
戸愚呂は妖力を持とうとしなかったのは、己の心にあった罪悪感や後悔から、自分自身を戒めるために、枷をつくった状態で、ひたすら強くなろうとしたのではないのではないのだろうか。
つまり、戸愚呂は、自分の肉体のみで強くなろうとすることで、自分の強さに奢っていた自分を戒め、同時に、弟子を死なせた償いをしようとしていたのかもしれない。
そして、死後においても彼は、償いを求めた。彼は、霊界において、一番過酷な地獄である冥獄界に行くことを選んだのである。
コエンマに言わせれば、戸愚呂は、本来、もっと軽い地獄ですまされるはずであったが、自分で一番過酷な地獄を選んでしまったのだ。
それほど、彼は自分自身が許せなかったのだ。
戸愚呂の本当の魅力とは、強さだけでなく、強さの背景となった、彼の悲しい過去、そして、枷を作った状態で、B級上位にまで食い込むほどの力を手に入れた、そのストイズムにあるのではないかと思っている。