【随想】フワちゃん騒動で感じたこと
「フワちゃん」というお笑い芸人兼YouTuberがネット上に不適切な書き込みをしたため、活動を休止することになった。
それで思い出したのは、私が初めて「ネット掲示板」に書き込みをしたときのことだ。
当時(西暦2000年)は、「ネチケット」(ネット+エチケット)という言葉があり、これはネチケット的にどうなのか?書いて良いのかダメなのか?と考えながら、恐る恐る「エンターキー」を押下したものだ。
それから24年経過している。
良い言葉も、悪い言葉も、誰の役にも立たない情報もネット上にたくさん溢れている。
これらは、仏教でいうところの「三毒」
(誤解を恐れずにいうと「欲と怒りと迷い」の煩悩のこと)
という心の動きのなせる業だと思う。
かくいう私も、ほぼ毎日、「三毒」を撒き散らしている。
まじめに考えると、本当に誰かにとって有用なコンテンツを発信するべきだとは思う。
「凡夫」なので仕方がないが、少しは意識をしないといけない。
私は他人を不快な気持ちにさせる発言を好むところがある。
つまらない普通の話より、多少刺激のある方が良いと思い込んでいるきらいがあるのだ。
ただ、そうなると常に、「刺激、刺激」でまるで刺激に最適化された社会に向かってしまう。
サブスクで常に一番見たいモノ、聴きたいモノつまり一番好きな刺激で時間を埋めている。
見聞きしたくないモノを見ている時間は人生を損している。という認識
それが、「楽しい」
そこに、誤解があると思う。
やはり、人間である以上、相手がいるのだ。
内心の自由は憲法で保障されている。
ただし、それはやはり一個人の範囲である。
「人」としては自由でよいが、
「人間」としてとなった時に相手に「苦」を与えないような配慮が必要である。
私もなかなかできないが、一定の努力はしたいと思っている。
でも、つい出てしまう。不快にされたら、黙っていられない。
苦を受けたことを分からせようとしてしまう。
一歩下がって「眺める」がなかなかできないものだ。
まあ、それが少しずつできるようになることを楽しむのが人生なのかもしれない。
フワちゃんは東洋哲学の学士だそうだ。
恐らく、たくさん考える人なんだと思う。
ただその思考過程で「エンターキー」を押下してしまった。
ネットは世界中の人間が見る「公共の場所」である。
ただ、「気軽さ」もネットの良さである。これはなくしたくない。
このバランスが極めて難しい。
一個人と人間は意外と陸続きで、一個人の範囲をネットは簡単に超えてエンターキーを気軽に押させてくるところがある。
ネットには「苦」を流さないようにする。
という意識をしっかり持つようにしたいと思わせる騒動だった。
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