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【随想】置かれた場所では咲けない

最初に断っておくが、以下の文章は読んだことのない本のタイトルだけを見て感じたことを書いたので誤解があるかも知れない。


「置かれた場所で咲きなさい」という本を本屋で見かけた。

それを見て、我が家の庭には様々な雑草が生えてくることを思い出した。

陽当たりの良いところ、悪いところ。
乾いたところ、湿ったところ。
酸性土壌、アルカリ土壌。

適した土地に適した雑草が生える。

動物も同じで、
先日ふとした思いつきでビオトープを始めた。
ボウフラが湧いて大変なことになった。

ボウフラの天敵はメダカということだったので
メダカを数匹入れたら
あっという間にボウフラは「絶滅」した。

そんな変な入り口からメダカ飼育にハマった。

しばらくして、メダカが卵を産み始めた。

メダカはなんでも食べるらしく、自分の卵や稚魚まで食べてしまうと知った。

そこで、卵を隔離してみると、
メダカの稚魚がたくさん「湧いて」くる。
変な話、稚魚はボウフラに似ている感じがした。

その後、水槽から卵を隔離するのをやめてみると、たまに稚魚の姿を確認することもあったが、すぐに見なくなってしまう。
やはり、親メダカが食べているようだ。

何が言いたいのかというと、
それ程「環境は大切」ということだ。

我慢して「置かれた場所で咲こう」とする前に、
まず「快適な環境づくり」をすることが最優先だと、この経験から学んだ。
少なくとも、我が家の庭の動植物内ではそれが生き残るための「自然の摂理」である。

中には、雑草が日陰を作り出したりして、適さない環境から適した環境になる場合もあるが、
いずれにしても考えなしに歯を食いしばって「置かれた場所で咲こう」と念じていても、文字どおり神頼みだ。

人間は動物だから動いて適した環境に近づけることができる。
植物でさえタネを飛ばして環境を変えようとしている。

正直、「置かれた場所で咲けている」のは環境がたまたま合っていただけで、
努力でどうにかできる範囲は環境に比べたらかなり小さいと見積もられる。

なぜなら、
水さえあれば湧いてくるボウフラでさえ天敵の登場で「絶滅」するし、
あのしぶとい雑草たちでさえ、そもそも生えてこれないのだから。

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