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♪ 清らに星澄む今宵

久しぶりに音楽の話題です。

表題は、英語では『O Holy Night』というタイトルの、有名な讃美歌。

12月のこの時期にはいつも、
クリスマス礼拝で歌われる讃美歌たちや、
ヘンデルのオラトリオ《メサイア》の
『ハレルヤ・コーラス』が聴きたくなり、
更には
歌いたくなる。

社会人になってからはその習慣から遠のいてしまったけど、
昔はクリスマスには毎年かならず、
そうしていたから。

私はある理由があって、
信徒ではないのだけど
キリスト教とのご縁が深い。

家族の中で一人だけ、
5歳の時からキリスト教の日曜学校(子供礼拝)に
通わされていた。

なぜ通うことになったか、
その理由をとりあえずざっくりと説明しますと

私は子供のころ病弱で、
生まれてからずっと、入退院を繰り返していた。

4歳になった時、大きな手術を受けるため自宅から遠い病院に入院していて
ある日
母が病院で私との面会時間を終えたあと、
帰りの電車の中で眠ってしまい、

ふと目を覚ますと

きれいな絵のカードが一枚、
母の足元に
落ちていたのではなく
足首に添って立て掛けるようにして
置かれているのを見つけた。

不思議に思いながら拾い上げて見てみると、
そのカードに描かれていたのも不思議な絵で、
イエス・キリストと思われる風貌の、
長髪に白い服を着た西洋風の人物のそばに、
着物を着た、日本の小さな子供たちが寄り添っている光景だった。

母が不思議な符合を感じたのは、
その絵の子供たちの、それぞれの年頃と人数が
偶然にも、
その当時の私達(きょうだい)と、ぴったりと一致していたことだった。

こちらがそのカードの現物。
かなり色褪せてしまいました。
ハガキより二回りほど小さい大きさです。

おそらくは
電車の中で病院通いに疲れて眠る母の顔には、子供の手術に対する不安や苦悩も、表れていたのかもしれない。

その時たまたま同じ車両に乗り合わせ、
そんな母の姿を見かけた
心優しいキリスト教信者のどなたかが

きっと心配して、
励ましてあげたいと思って下さって、

眠っている母を起こさないように
そっと

「神さまが守ってくださいますように」
あるいは
「神さまが守ってくださいますよ」
と伝える為に、
そのカードを母に残して下さったのだろうと思う。

母は実際、そのカードを見て
とても勇気づけられたと語っていた。
まるで眠っている間に天使がやって来て、
静かに祝福してくれたかのように感じ

「きっと大丈夫だ、
きっとこの神様が助けてくれる」

心からそう思えて来たおかげで
不安や恐怖心は小さくなって行き、
信頼や確信の気持ちが大きくなって行った
と話していた。


…という事情がありまして。

後日、無事に手術が成功して
元気に退院できた私を
母は近所の教会に連れて行き、

守って下さった(と思われる)キリスト教の神様に
感謝を示すため、
それ以降
私は毎週日曜日に、教会に通うことになった。

私は日曜学校に行くのがとても好きだった。
小学生になっても、ずっと通い続けていたくらい。

学校以外の友達ができて、
彼らと話したり、遊べたり、
学校と家以外の世界があるのは、
習い事もそうだろうけど
子供ながらに見聞を広める機会になったし

私が音楽を大好きになったのも、
教会そこ
讃美歌という、きれいな音楽とたくさん出会えた原体験が大きいと思うし、

その讃美歌の歌詞が
これもまた
とても美しい、古風な日本語だったことも、
今に至るまで、古い言葉や文語の響きが大好きになった理由のひとつだと思う。

日本人は一般的に
宗教というと、
アレルギー反応を起こしてしまうか、
怖がって最初から避けてしまうかだけど

私がその日曜学校で学んだのは、
限られた狭い世界で、偏った、信者だけの幸福を願うような排他的なものではなく、

「感謝すること」や、
他人ひとのために祈ること」だった。

いつも礼拝前は、子供たちはお喋りしていて騒がしいのだけど
時間になって、牧師先生が台座へと進み、
私たちに優しく話しかけるようにひと言、
「祈りましょう」と仰ると

騒ぎはピタリと収まり、
みんなそれぞれの椅子に座り直して
目を閉じ
小さな両手を組んで、
静かな『お祈り』を捧げる姿勢になる。

そうして心を落ち着けると
やがて聞こえてくる牧師先生のお祈りの
最初の言葉は、
いつも同じで、変わらなかった。

「神さま、今日ここに
皆とつどえたことに感謝します」
「ここに今日来られなかった人たち、
今ここに向かっている人たち、
そして世界中の他の人たちも同じように、どうかお守りください」

大人たちがちゃんと、変なカルトを見極める目を持ってそれを避けさえすれば、
小さい子供の最初の情操教育として
お寺や教会に通って宗教を学ぶのって、
個人的には良いと思っている。

私はその後、中学高校をミッションスクールへと (母の趣味で) 進学しても
けっきょくキリスト教徒にはならなかったけど
(仏教の方が良いというか深いと思って、そちらをもっと知りたかったので…)

子供の頃からキリスト教についてよく学べたから
逆に、
他の宗教の教えや世界観はどういうものなのだろう?と
〈哲学としての宗教〉という視点から学んでみたくて、仏教やイスラム教の本を読んでみたり

文化人類学などへも好奇心が広がって
自分の国だけじゃなく外国の歴史や文化にも興味を持つことが出来たし、

ヨーロッパの美術館で観るさまざまな宗教画の主題などは、解説が無くても
「あぁ聖書のあのエピソードね」
と理解出来たので、けっこう便利(笑)だった。


さて。

ずいぶん前置きが長くなってしまいましたが
この讃美歌は、キリスト生誕について歌っています。

羊飼いたちのところに天使が現れ、お告げをした夜(クリスマス)の光景と、
後に東方三博士がやって来て、
礼拝をした時の描写と。

聖書から少し引用すると

御使みつかいは言った、
「恐れるな。見よ、すべてのたみに与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。…」
…するとたちまち、おびただしい天の群勢が現れ、御使と一緒になって神を賛美して言った、
「いと高きところでは、神に栄光があるように
(Gloria in Excelsis Deo)
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」〉
(ルカによる福音書 2:8 - 14)

この曲は本当にきれいな歌で、
大好きな讃美歌です。
歌詞を載せておきますので、
古い日本語の美しさも
味わってみてください。

日本語の歌詞は別バージョンのものもあるらしいのですが、
私のノスタルジアのために(!)
〈うちの学校で歌っていた歌詞〉をご紹介しますね♪(無理やり(^^;)

動画も勝手ながら、当時の自分たちの歌声にいちばん近いものを選んでしまいました(*´꒳`*)
伴奏もピアノだけだったので、そこも同じ。

音源がライブ録音らしく、高音が一部割れてしまっているのが残念だけど、
曲の美しさは損なわれていないので良し👌としました。

英語バージョンの方も、
ちょっと曲がアレンジされてしまっているものもありますが、併せてご堪能ください。
音もイメージも、とても綺麗です✨


みなさま、どうぞ良いクリスマスを
お過ごしくださいね🎄

きよらに星今宵こよい

清らに星澄む今宵
神の子 天降あもりましぬ

けがれに染める世人よびと
いのちを与えんために

望みのあしたを迎え
喜びの日をあお

ああ 誰も聞け 
御使みつかいの歌声 空に渡り
キリスト 生まれましぬ

信仰の光を辿たど
我らもはいしまつらん

しき星影を踏みて
来たりし博士ならねど

馬ぶねに眠る御子みこ
世の悩み負う主なり

ああ 主こそ 
世の罪人つみびとの友なれ
いざ来たりて
ゆだねよ が重荷を


英語バージョン①

部屋を真っ暗にして観てみてください😉
空間と、空気と、光を感じる…
この映像、VRゴーグルで見たらおもしろいかも?


英語バージョン②

天使の合唱みたいにきれいなので、追加です☺️


ヘンデル《メサイア》より
ハレルヤコーラス

私にとって年末は、
第九じゃなくてハレルヤ・コーラス(^^)
こちらはカメラワークやカッティングが独創的。
音も良いです。


クリスマスの讃美歌をもっと聴きたい方のために
タイトルだけ置いておきますね。
どれもきれいな音楽です。↓

♪ ああベツレヘムよ
♪ 神の御子みこは今宵しも
牧人まきびと羊を
荒野あらのの果てに
あめには栄え
♪ 久しく待ちにし
諸人もろびとこぞりて
etc.

書いたものに対するみなさまからの評価として、謹んで拝受致します。 わりと真面目に日々の食事とワイン代・・・ 美味しいワイン、どうもありがとうございます♡